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【毎日更新!】魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜  作者: 筑紫隼人
第三章「崩れていくもの」

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第72話 揺らぎ

 朝食の後。


 

 セリスは一人、廊下を歩いていた。


 

 窓の外には、帝都の景色。


 

 整然とした街路。行き交う馬車。絶えない人の流れ。


 

 すべてが秩序の中で動いている。


 

(……なのに)


 

 胸の奥だけが、落ち着かなかった。


 

 理由は分かっている。


 

 分かっているのに、うまく言葉にできない。


 

(……結婚を急かされている)


 

 あの声。


 

 静かで、逃げ場のない声音。


 

(……妻になってほしい)


 

 足が止まる。


 

 思い出したくないのに、勝手に浮かぶ。


 

(……関係ない)


 

 自分には関係ないはずだ。


 

 帝国の、それも上層の話だ。


 

 関わる理由などない。


 

 それでも。


 

(……断った)


 

 レナは、迷いなく断った。


 

 はっきりと。


 

 逃げるでもなく、濁すでもなく。


 

(……なのに)


 

 あの時の声が、離れない。


 

 ほんのわずかに――柔らかかった。


 

 拒絶しているはずなのに。


 

 どこか、相手を傷つけないようにしていた。


 

「……どうして」


 

 小さく呟く。


 

 答えは出ない。


 

 ただ一つ、分かるのは――。


 

(……気になる)


 

 それだけだった。




   *




 中庭。


 

 朝の光の中で、レナは剣を振っていた。


 

 無駄のない動き。


 

 風を切る音だけが、静かに響く。


 

 数合。


 

 そして、ぴたりと止まる。


 

「……用があるなら出てきなさい」


 

 振り向かずに言う。


 

 間を置いて、足音。


 

 柱の影からリヒターが現れた。


 

「相変わらずだな」


 

「気配、消す気ないでしょ」


 

「……そうかもしれん」


 

 短いやり取り。


 

 レナは剣を鞘に収めた。


 

「で?」


 

「殿下の件だ」


 

 一瞬だけ、空気が張る。


 

 だがレナの表情は変わらない。


 

「断ったわよ」


 

「聞いている」


 

「なら終わり」


 

「……終わらん」


 

 リヒターは静かに言う。


 

「殿下は諦めていない」


 

「勝手にすればいいわ」


 

 素っ気ない返答。


 

 だが、その声はわずかに硬い。


 

 リヒターはそれ以上踏み込まない。


 

「……お前はどうする」


 

「何もしない」


 

「今まで通りよ」


 

 即答だった。


 

「軍にいる。それだけ」


 

「……そうか」


 

 リヒターは頷く。


 

 そして一歩引く。


 

「無理はするな」


 

「してない」


 

「ならいい」


 

 それ以上は言わない。


 

 それが彼のやり方だった。


 

 リヒターはそのまま立ち去る。


 

 足音が遠ざかる。


 

 レナは空を見上げた。


 

「……ほんと、ずるい」


 

 ぽつりと漏れる。


 

 誰にも届かない声で。




   *




 同刻。


 

 屋敷、執務室。


 

「……断られましたか」


 

 リヒターの報告に、男は苦笑した。


 

「見事にね」


 

 ヴァルターは椅子に深く腰掛ける。


 

 指先で机を軽く叩いた。


 

「分かってはいたんだ」


 

「彼女が簡単に頷く人間じゃないことくらい」


 

「それでも言ったのですね」


 

「言わずに後悔するのは、性に合わない」


 

 静かな言葉だった。


 

 リヒターは何も言わない。


 

 促すように、視線だけを向ける。


 

「……時間がない」


 

 ヴァルターが続ける。


 

「宮廷が騒がしくてね」


 

「婚姻の話が絶えない」


 

「いずれ、決めなければならない」


 

 淡々とした言い方。


 

 だが、その奥にあるものは隠しきれていない。


 

「それでも」


 

 一度だけ、言葉を切る。


 

「選べるなら、彼女がよかった」


 

 率直な本音だった。


 

 リヒターは静かに受け止める。


 

「……彼女は」


 

 ゆっくりと言う。


 

「誰かに選ばれることを望む人間ではありません」


 

「分かっている」


 

 即答だった。


 

「だから困っている」


 

 ヴァルターは苦笑する。


 

「どうすればいいと思う?」


 

「待つか、諦めるかです」


 

「簡単に言うな」


 

「事実です」


 

 短いやり取り。


 

 だが、遠慮はない。


 

 それがこの二人の距離だった。


 

 わずかな沈黙。


 

 やがて、リヒターが続ける。


 

「もう一件」


 

「客人の件です」


 

「セラ・エーレンベルクか」


 

「はい」


 

「どう見た」


 

「……場慣れはしています」


 

 言葉を選びながら答える。


 

「ただし、軍人のそれではありません」


 

「ほう?」


 

「身のこなしに無理がない」


 

「過度な力みもない」


 

「ですが——完成された技量ではない」


 

「未整理の部分が多い」


 

 ヴァルターの目が細くなる。


 

「つまり?」


 

「素質はあるが、叩き上げではない」


 

「……なるほど」


 

 小さく笑う。


 

「面白いね」


 

「敵か味方かは?」


 

「判断保留です」


 

「ただ」


 

 一拍置く。


 

「害意は感じません」


 

「勘かい?」


 

「経験です」


 

 即答だった。


 

 ヴァルターは軽く肩をすくめる。


 

「君がそう言うなら信じよう」


 

 立ち上がる。


 

 窓の外を見る。


 

 帝都の景色が広がっている。


 

「……嵐の前触れかな」


 

 誰にともなく呟く。


 

 リヒターは答えない。


 

 ただ静かに控えていた。




   *




 その頃。


 

 セリスはまだ知らない。


 

 自分が踏み込んだ場所が――。


 

 どれほど深い場所なのかを。


 

 そして。


 

 自分の知らないところで。


 

 いくつもの視線が、すでに自分に向けられていることを。




   *




 揺らぎは、小さなものから始まる。


 

 だがそれはやがて――。


 

 大きな流れへと変わっていく。

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