第70話 出発
翌朝。
まだ空気の冷たさが残る時間。
窓の外は、薄く白んでいた。
宿の中は静かで、遠くで誰かが動く気配だけがする。
荷物を整える。
必要最低限のものだけ。
無駄はない。
それぞれが、自分の役割と重さを理解しているようだった。
帝都まで——あと三日。
距離としては短い。
だが——
そこに辿り着くまでに、何が起きるかは分からない。
「……行きましょう」
メイラが言う。
いつもより少しだけ、声が引き締まっていた。
覚悟を決めたような声音。
「うん」
セリスが頷く。
短い返事。
それでも、迷いはなかった。
宿を出る前に。
扉に手をかけたまま——
セリスが、立ち止まる。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「少し——待って」
振り返らずに言う。
「どうしたんですか?」
メイラが問いかける。
「……窓から、空を見たくて」
理由としては、あまりにも小さなもの。
それでも——必要な時間だった。
窓を開ける。
軋む音が、静かに響く。
朝の光が、差し込む。
柔らかく、淡い光。
夜の名残を、ゆっくりと押し流していく。
青い空。
まだ完全な青ではない。
白と青の境界が、溶け合うような色。
(……エルマさん)
心の中で、名前を呼ぶ。
声には出さない。
(行ってきます)
それは、報告であり——
挨拶であり——
祈りのようなものだった。
胸に——包みがある。
あの部屋で見つけた、小さな贈り物。
まだ、開けていない。
指先で、そっと触れる。
確かな存在。
でも——今は、それでいい。
(帰ってきます)
言葉にしなくても、強く思う。
(約束します)
誰に対してなのか。
それはもう、はっきりしていた。
(今度は——ちゃんと)
あの日、果たせなかった約束。
今度こそ。
同じ後悔は——繰り返さない。
宝石が、一度だけ光る。
胸の奥で、かすかな反応。
(ノイエ)
呼びかける。
(……準備できています)
落ち着いた声。
だが、その奥にわずかな緊張がある。
(ありがとう)
短く伝える。
(……どういたしまして)
ほんの少しだけ、柔らかい響き。
以前よりも——
わずかに、人に近づいたような声だった。
窓を閉める。
光が、細く遮られる。
振り返る。
メイラとライラが、待っていた。
何も言わずに。
ただ、信じているように。
「……行きましょう」
今度は、はっきりと言う。
「はい」
メイラが頷く。
「ええ」
ライラも短く応じる。
三人が——歩き始める。
宿の扉を開ける。
外の空気が、流れ込む。
朝の匂い。
新しい一日の始まり。
帝都への道が——始まる。
正確には、続いている。
だが——
ここからが、本当の意味での「出発」だった。
石畳が、朝の光に照らされていた。
一歩踏み出すたびに、靴音が響く。
その音が、やけに鮮明に感じられる。
(……一人ではなかった)
ふと、思う。
(あの時とは違う)
(背中に、誰かがいる)
(二人が——いてくれる)
メイラとライラ。
それぞれ違う強さを持つ、仲間。
(それだけで)
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
(十分だった)
完全ではない。
空っぽの部分も、まだある。
侵食も、止まってはいない。
それでも——
歩ける。
前へ。
止まらずに。
三人の影が、朝日に伸びる。
長く、まっすぐに。
帝都へ向かって。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




