第69話 手紙
五日後。
ようやく、小さな宿に辿り着いた。
街道沿いの、簡素な建物。
木造の壁は少し軋み、看板も色褪せている。
それでも——
屋根があり、温かい食事が出る場所だった。
三人にとっては、それで十分だった。
宿に着いた時。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
長い道のり。
戦いと、沈黙と。
それぞれが、何かを抱えたまま歩いていた。
夕食を終えて。
質素なスープとパン。
それでも、体には染みた。
メイラは少し安心した顔をしていた。
ライラは周囲を警戒しながらも、椅子にもたれていた。
セリスは——
どこか、遠くを見ていた。
その時。
宿の主人が、遠慮がちに声をかけてきた。
「お届け物です」
「……?」
差し出されたのは、封筒だった。
古びた紙。
けれど、しっかりと封がされている。
差出人の名前は——なかった。
「……ありがとう」
受け取る。
わずかに、手が重く感じる。
中に入っているもの以上の“何か”が、そこにある気がした。
開ける。
紙の擦れる音が、やけに大きく響いた。
短い文章だった。
飾り気のない、簡潔な報告。
『ヴァレン北部の拠点が機能している。
将軍も動いた。
お前たちのおかげだ。
——エルディン』
それだけ。
余計な言葉は、一切なかった。
セリスが、手紙を見る。
じっと、見つめる。
(……守れた)
胸の奥で、小さく言葉が生まれる。
(ヴァレンは——守れた)
あの戦い。
あの選択。
間違いではなかった。
メイラに見せる。
メイラが、ゆっくりと読み——
「……よかった」
小さく、そう言った。
本当に、安堵したような声だった。
「そうね」
セリスも、頷く。
「……よかったですよね」
確認するように。
「うん」
肯定する。
でも——
その言葉は、どこか空虚だった。
喜べなかった。
胸の奥が、満たされない。
(……なぜだろう)
答えは、分かっているはずなのに。
(守れたのに)
(エルマさんが言った通りに——戦えたのに)
(なぜ——こんなに空っぽなんだろう)
勝ったはずなのに。
守ったはずなのに。
その“結果”と、“心”が繋がらない。
——
夜。
宿は静まり返っていた。
木の床が、時折きしむ音だけがする。
眠れなかった。
目を閉じても、思考が止まらない。
廊下に出る。
ひんやりとした空気が、頬に触れる。
公爵の屋敷を出てから——何日経ったか。
数えようとして、やめる。
意味がない気がした。
窓の外に——星が出ていた。
雲はなく、澄んだ空。
無数の光が、静かに瞬いている。
「……エルマさん」
かすかに言う。
声は、ほとんど空気に溶けた。
「守れましたよ」
報告のように。
「あなたが言った通りに——戦えました」
教えられた通りに。
信じた通りに。
「でも——」
言葉が、続かない。
喉が詰まる。
「なんで、こんなに——空っぽなんでしょう」
胸に手を当てる。
そこには、確かに何かが欠けていた。
返事はなかった。
分かっている。
それでも——問いかけずにはいられなかった。
——
廊下に、人の気配がした。
振り向く。
ライラだった。
静かに歩いてくる。
「……眠れないの?」
「はい」
正直に答える。
「私も」
短く言う。
ライラが、隣に立つ。
窓の外を見る。
同じ景色を、共有するように。
「……セリス」
「はい」
「一つだけ——聞いていい?」
少しだけ、迷いのある声。
「どうぞ」
「……前は、怖くなかったの?」
唐突な問い。
だが、核心を突いていた。
「今でも、怖い」
間を置かずに答える。
「……でも、動ける」
「動くしかないから」
選択肢がない。
それだけのことだった。
「……そういうものかしら」
ライラが、小さく呟く。
「ライラは——怖くないですか」
逆に問い返す。
ライラが少し間を置く。
目線は、星のまま。
「……怖い」
静かな告白。
「何が?」
「……また、誰かを失うことが」
言葉は、重かった。
「……そうね」
同じだった。
「でも——失うのが怖いから、近づかないというのも——違うと思ってる」
「……誰かに言われた?」
「エルマさんに」
ライラが「……そうか」と言う。
少しだけ、表情が緩む。
「あの人は——賢い人だったのね」
「はい」
迷いなく答える。
「……惜しかった」
「はい」
短い言葉の中に、全てがあった。
二人で——星を見た。
しばらく。
何も言わずに。
ただ、同じ空を見上げる。
「……ライラ」
「なに」
「空っぽのまま——前へ進んでいいですか」
ぽつりと、こぼす。
自分でも、弱い問いだと思った。
ライラが「いいんじゃない」と言う。
あっさりと。
「空っぽのまま進んだって——道は続くから」
「……そうですね」
少しだけ、息が軽くなる。
「それに——」
ライラが、ほんの少し笑う。
「歩いていれば——いつか、また満たされる」
「根拠は?」
「……経験則」
短く、けれど確かな答え。
セリスが「ありがとうございます」と言う。
自然に出た言葉だった。
ライラが「礼はいらない」と言う。
「言いたいから言います」
「……知ってる」
少しだけ、柔らかい空気になる。
二人が——また、星を見た。
空っぽのまま。
それでも——
前へ進める気がした。
ほんの少しだけ。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




