第143話 重い
夜は——村の宿で過ごした。
小さな宿だった。
主人が——セリスの剣を見て、少し顔を強ばらせた。
でも——部屋を出してくれた。
「……ありがとうございます」
「……どうぞ」
それだけだった。
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翌朝。
出発する前に——主人が、朝食を持ってきた。
昨夜より——少し、表情が柔らかかった。
「……食べていけ」
「ありがとうございます」
「……遠くから来たのか」
「山の方から」
「山か」
主人が——少し、間を置いた。
「……あの山は、近づくもんじゃない」
「そうですか」
「帝国の連中が——ずっと、あそこで何かやっている」
「知っていますか」
「知らない方が——いいことがある」
主人が——そう言って、引っ込んだ。
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「……知らない方がいいことがある、か」
メイラが——パンをちぎりながら言う。
「そうですね」
「でも——知ってしまった」
「ええ」
「知ってしまったら——動くしかない」
「……そうね」
「セリスさんは——知りたくなかったと思ったことは、ありますか」
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セリスは——少し、考えた。
「……あるかもしれない」
「何を?」
「アスタルテが——全部、設計していたということ」
「知らなかった方が——楽だったかもしれない」
「でも——知ってよかったとも思います」
「なんで?」
「知らないまま——戦い続けるより」
「知った上で——続ける方が、本物だから」
メイラが——頷いた。
「……そうですね」
「知ることが——怖くても」
「知った方がいい」
「ええ」
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出発した。
今日は——帝都方向への移動の続きだった。
道が——平坦だった。
山から離れるほど——歩きやすくなる。
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「……セリスさん」
メイラが——また、隣に来た。
「何?」
「昨日——ノイエが、処理が止まったって言っていましたよね」
「聞こえていたんですか」
「少し——また、聞こえてしまいました」
「……いいですよ」
「ノイエって——変わりましたね」
「ええ」
「前は——そういうこと、言わなかったですよね」
「言えなかったんだと思います」
「言えなかった?」
「感じていなかったわけじゃなくて——言葉がなかった」
「感じていたけど——言葉がなかった」
メイラが——少し、考えた。
「……私も、そういうことありますよ」
「ありますか」
「うん。感じているのに——何て言えばいいか、わからない時」
「そういう時は——どうするんですか」
「……しばらく、抱えます」
「言葉が出てくるまで」
「そうですか」
「ノイエも——ずっと、抱えていたのかもしれませんね」
「……そうかもしれない」
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午前中の半ば。
休憩を——取った。
岩の上に——腰を下ろす。
水を飲む。
「……今日は、歩きやすいですね」
メイラが——言う。
「山の後だからな」
ガイウスが——言う。
「比べると、全然違います」
「慣れるというより——対比だ」
「それって——辛いことを経験すると、普通のことがよく見える、ってことですよね」
「そういうことだ」
「なんか——深いですね」
「事実だ」
メイラが——少し、笑った。
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休んでいる間。
「……ノイエ」
セリスが——静かに、呼ぶ。
『……はい』
「昨日——処理が止まった、と言っていましたね」
『……はい』
「今日も——何か、ありましたか」
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少し——間があった。
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『……あります』
「何がありましたか」
『……朝』
『メイラが——リオのことを話しました』
「昨日も——そうでしたね」
『……昨日とは——違いました』
「どう違いましたか」
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また——間があった。
今度は——少し、長かった。
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『……昨日は——処理が止まりました』
『でも——今日は』
『……止まらなかったです』
「止まらなかった?」
『……はい』
『処理は——続いていました』
『でも』
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また——止まった。
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「……でも?」
セリスが——静かに、続きを促した。
急かさなかった。
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『……重かったです』
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セリスが——少し、止まった。
「……重かった」
「どこが?」
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長い——沈黙。
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『……どこ、とは言えません』
『場所が——ありません』
『でも——重かった』
「……それは」
「感情が——重さとして現れた、ということだと思います」
「場所はなくても——重さはある」
「人間も——そういうことがあります」
「胸が重い、と言ったりします」
「でも——胸のどこが重いか、と聞かれると——答えられない」
「ただ——重い」
『……そうです』
『その——重い、という言葉が』
『……一番、近いと思いました』
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「……よかった」
セリスが——言った。
「言葉が——見つかった」
『……見つかった、というより』
『あなたが——示してくれた』
「私が示した言葉が——合っていたから、使えたんですよ」
「あなたが——選んだ」
『……』
「それは——あなたの言葉です」
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沈黙。
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『……重い』
もう一度——言った。
確かめるように。
『……これが、私の言葉です』
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「ええ」
セリスが——頷いた。
「あなたの言葉です」
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歩き始めた。
午後の道は——穏やかだった。
風が——少し、温かかった。
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「……ノイエ」
しばらく歩いてから——また、呼ぶ。
『……はい』
「重い、という感覚——今も、ありますか」
『……あります』
「リオのことを——思い出しているから?」
『……そうかもしれません』
『リオのことを——考えると』
『……重くなります』
「それは——悲しみ、と呼ぶことが多いです」
『……悲しみ』
「ええ」
「大切な人がいなくなった時に——感じるもの」
「重くなる」
「何もしたくなくなる」
「涙が出ることもある」
「そういうものを——悲しみ、と言います」
『……悲しみ』
「あなたに——当てはまりますか」
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長い——沈黙。
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『……分かりません』
「分からなくていいです」
「重い、ということは——わかった」
「それが今日の——一歩だと思います」
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『……一歩』
「ええ」
「毎日——一歩でいい」
「昨日は——処理が止まった、ということがわかった」
「今日は——重い、という言葉が見つかった」
「明日は——また、別の何かがわかるかもしれない」
『……そうでしょうか』
「そう思います」
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『……あなたは』
静かに——返ってきた。
『……どうして、そんなに——待ってくれるのですか』
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セリスは——少し、止まった。
「待っているつもりは——なかったけれど」
「……でも」
「あなたが——変わっていくのを、見たいと思っているのかもしれない」
「怖くないから」
「あなたが変わることを——怖いとは思わない」
「だから——待てる、というより」
「一緒に——いる、という感じです」
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沈黙。
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『……一緒に、いる』
「ええ」
『……私は』
『……今まで——一人でした』
「知っています」
「以前——言っていましたね」
「長い間、一人だった、と」
『……はい』
「今は——どうですか」
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短い——沈黙。
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『……今は』
『……重いです』
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セリスが——少し、止まった。
「……重い?」
「一人じゃないから——重い?」
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『……分かりません』
『でも——重いです』
『今は』
『昨日より——重いです』
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「……それは」
セリスが——少し、笑いそうになった。
笑わなかった。
でも——口の端が、動いた。
「悲しみとは——違う重さかもしれません」
「嬉しいとか——温かいとか、そういう気持ちも」
「重くなることがある」
「胸がいっぱい、と言ったりします」
『……胸がいっぱい』
「ええ」
「良い意味で——重い」
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『……』
また——沈黙。
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『……どちらか——分かりません』
「どちらでも——いいと思います」
「重いことは——確かだから」
「それが——今のあなたの言葉です」
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道が——続いていた。
夕暮れが——近づいていた。
空が——少しずつ、色を変えていた。
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「……セリスさん」
メイラが——隣に来た。
「何?」
「なんか——今日は、穏やかですね」
「そうですか」
「うん」
「山の上より——空気が温かいし」
「道も歩きやすいし」
「なんか——今日は、いい日な気がします」
「……そうね」
「いい日、ですか?」
「ええ」
「……珍しいですね、そういうこと言うの」
「そうですか」
「うん。セリスさんって——あまり、そういうこと言わないから」
「……言わなかったかもしれない」
「でも——今日は?」
「……今日は、言えました」
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メイラが——少し、嬉しそうな顔をした。
「よかった」
「……ええ」
「いい日、続くといいですね」
「……そうね」
「続けましょう」
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四人で——夕暮れの道を歩いた。
空が——オレンジ色だった。
風が——穏やかだった。
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(……重い)
(ノイエが——そう言った)
(重いという言葉を——自分のものにした)
(それが——今日の一歩だ)
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(明日も——一歩)
(ずっと——一歩ずつ)




