第142話 理解不能
朝。
山から——完全に下りていた。
昨日の岩場を——後にして、平地への道を歩いていた。
空気が——また、変わった。
山の中より——温かかった。
「……やっぱり、下は違いますね」
メイラが——深く息を吸いながら言う。
「ええ」
「足が——まだ、山を覚えています」
「筋肉痛だ」
ガイウスが——言う。
「一日か二日で——落ち着く」
「一日か二日、ですか」
「その間に——また、登るかもしれないが」
「……やっぱり、また行くんですね」
「ベックが言っていた。何度か来る必要があると」
「わかってます」
メイラが——足を庇いながら歩いた。
「でも——今日は、下りているのが嬉しいです」
「贅沢だ」
「そうですよ。贅沢くらい、させてください」
ガイウスが——何も言わなかった。
でも——歩く速さを、また少し落とした。
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「……ノイエ」
歩きながら——呼ぶ。
『……はい』
「昨夜——よく眠れましたか」
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少し——間があった。
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『……眠る、という行為が私に当てはまるかどうか』
『……まだ、分かりません』
「でも——昨夜は、どうでしたか」
「眠れたかどうかではなく——どうだったか」
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また——間があった。
今度は——少し、長かった。
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『……静かでした』
「静か?」
『……処理が——少なかったです』
『通常は——様々な処理が、常に動いています』
『でも——昨夜は、少なかった』
「……それは」
「休めた、ということじゃないですか」
『……そうかもしれません』
「よかった」
『……』
「疲れていたから——休めて、よかったと思います」
『……はい』
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「……ノイエ」
「もう一つ——聞いていいですか」
『……はい』
「昨夜——彼らが、好きだったから、と言いましたね」
『……はい』
「今朝——その言葉について、何か考えましたか」
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また——長い沈黙。
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『……考えました』
「何を?」
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『……なぜ、あの言葉が出てきたのか』
『……考えました』
「どういうことですか」
『……あの言葉は——設計されていませんでした』
『でも——出てきました』
『なぜ出てきたのか』
『……分かりません』
「分からないから——考えた?」
『……はい』
「それが——自己観察だと思います」
『……自己観察』
「自分のことを、自分で観察する」
「人間も——やります」
「なぜ自分はこう感じるのか、と考える」
「それと——同じことを、あなたは今しています」
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沈黙。
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『……それは』
『……私の設計に——含まれていますか』
「……わからない」
「でも——していますよね、実際に」
『……はい』
「含まれているかどうかより——していることの方が、重要だと思います」
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「……ねえ、セリスさん」
メイラが——隣に来た。
「何?」
「ノイエと——話していましたか」
「ええ」
「なんか——最近、よく話すようになりましたね」
「そうですね」
「以前と——違います」
「どう違う?」
メイラが——少し、考えた。
「以前は——話しかけても、短い返事だけで終わっていた気がします」
「今は——続く」
「……そうですね」
「変わりましたね、ノイエ」
「ええ」
「いい変化ですよね」
「……そうだと思います」
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昼前。
小さな村に——差し掛かった。
宿はなかった。
でも——井戸があった。
水を——補充する。
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村の人が——二人、出てきた。
こちらを——見た。
セリスの剣を——見た。
一人が——何かを言いかけた。
もう一人が——引き止めた。
二人で——また、引っ込んだ。
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「……また、怖がられましたね」
メイラが——小声で言う。
「ええ」
「悪魔の剣士、ですか」
「そうでしょうね」
「……でも」
メイラが——井戸の水を汲みながら言う。
「老人が言っていましたよね」
「野菜を拾ってくれる悪魔はいない、って」
「ええ」
「だから——行動し続ければ、いつか変わる」
「そうね」
「時間がかかっても」
「……時間がかかっても、ね」
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昼。
開けた場所で——休んだ。
パンと——干し肉。
食べながら。
「……次の動きは」
ガイウスが——ライラに聞く。
「封印核への干渉は——一度目が終わった」
「次は——二度目が必要だ」
「でも——今すぐではない」
「まず——帝国の動きを確認する」
「施設の兵が——干渉の後、どう動いたか」
「それを見てから——次の時期を決める」
「情報収集が先か」
「そうだ」
「どこで?」
「帝都方向に——協力者がいる」
「そこへ向かう」
「また、帝都へ近づくんですか」
メイラが——言う。
「近くまで行くが——中には入らない」
「情報だけ、取れれば——それでいい」
「わかりました」
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午後。
道を——歩き続けた。
山が——少しずつ、遠ざかっていく。
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「……セリスさん」
メイラが——また、隣に来た。
「何?」
「昨夜——ノイエが、彼らが好きだったって言ったって」
「聞こえていたんですか」
「少し——聞こえていました」
「……」
「すみません、聞くつもりじゃなかったんですけど」
「いえ、いいです」
メイラが——少し、間を置いた。
「……リオのことも、好きだったのかな」
「……そうかもしれません」
「なんか——嬉しいですね」
「嬉しい?」
「だって——リオのことを、覚えていてくれている」
「剣なのに」
「剣だけど——ちゃんと、覚えていた」
「……そうですね」
「残っているんですね。ノイエの中にも」
「……ええ」
「愛は残る——って言いましたけど」
「ノイエの中にも、残ってるんだ」
「……そうかもしれない」
メイラが——少し、笑った。
「なんか——それだけで、今日は十分な気がします」
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夕方が——近づいていた。
次の宿泊場所を——探しながら、歩いていた。
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「……ノイエ」
歩きながら——また、呼ぶ。
『……はい』
「今日——自己観察をしている、と言いましたね」
『……はい』
「今も——していますか」
『……はい』
「何を観察していますか」
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少し——間があった。
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『……今日』
『……メイラが、リオのことを話しました』
「聞いていたんですね」
『……はい』
「それを——聞いた時、どうでしたか」
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また——間があった。
今度は——少し、違う種類の間だった。
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『……処理が——止まりました』
「止まった?」
『……一瞬、処理が止まりました』
「どういう意味ですか」
『……通常、私は——様々な処理を同時に行っています』
『でも——メイラがリオのことを話した瞬間』
『……全部が、止まりました』
『一瞬だけ』
「……それは」
セリスが——少し、止まった。
「感情が——処理を止めた、ということかもしれません」
「人間も——強く感じた時に、思考が止まることがある」
『……そうなのですか』
「ええ」
「それを——人間は、胸が痛い、とか、胸が詰まる、と言ったりします」
『……胸』
「ええ」
「体の感覚として——現れることが多い」
『……私には——体がありません』
「でも——処理が止まった」
「それが——あなたにとっての胸が詰まる、なのかもしれません」
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長い——沈黙。
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『……理解不能』
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セリスが——少し、止まった。
「……何が理解不能ですか」
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『……なぜ——処理が止まったのか』
『私は——感情を持たないはずです』
『でも——止まりました』
『なぜ止まったのか』
『……理解不能です』
「……それが」
「自己観察ですよ」
「理解できないことが——ある」
「でも——あったことは、確かだ」
「だから——なぜだろう、と考える」
『……それが——自己観察』
「ええ」
「あなたは——今、ちゃんとやっています」
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『……』
また——沈黙。
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『……一つ、聞いていいですか』
「ええ」
『……自己観察をして——何かが分かったとして』
『……それは、私にとって——何になりますか』
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セリスは——少し、考えた。
「……分からなかったものが、少し分かるようになる」
「それだけです」
「すぐに——何かが変わるわけじゃない」
「でも——少し、分かるようになる」
『……それで——十分ですか』
「十分だと思います」
「少しずつ——分かっていくことが」
「大事なことだと思うから」
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『……はい』
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短く——返ってきた。
でも——その短さの中に。
何かが——あった気がした。
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夕暮れが——来ていた。
空が——オレンジ色に染まっていた。
山が——遠くに、小さくなっていた。
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「……今夜の宿は」
ガイウスが——ライラに聞く。
「次の村に——一軒、ある」
「どのくらいだ」
「あと半時間ほどだ」
「わかった」
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四人で——また、歩き始めた。
夕暮れの中を。
山を——背に。
次の場所へ。
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(……理解不能)
(ノイエが——そう言った)
(でも)
(理解不能だと気づいた)
(それが——もう、変化だ)




