第141話 分かりません
下山に——三時間かかった。
登りより——足への負担が大きかった。
メイラが——何度か、足を止めた。
「……大丈夫か」
ガイウスが——振り返る。
「大丈夫です。ただ——膝が」
「無理をするな」
「無理じゃないです。ただ——」
「ただ?」
「膝が、私の言うことを聞かない」
「……筋肉の疲労だ」
「わかってます」
「ゆっくり下りろ。急ぐ必要はない」
「……ガイウスさんって」
「何だ」
「急かさないですよね。こういう時」
「急かしても——速くはならない」
「効率の問題ですか」
「そうだ」
「……でも、助かります」
ガイウスが——何も言わなかった。
でも——歩く速さを、少し落とした。
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日が——傾いていた。
山から——平地へ。
空気が——少しずつ、温かくなる。
「……やっぱり、下は空気が違いますね」
メイラが——深く息を吸いながら言う。
「山の空気は——薄い」
「でも——すっきりしてた気がします」
「慣れたのか」
「少し——慣れたかもしれません」
ライラが——前を向いたまま言う。
「適応は——早い方がいい」
「また行くことになりますから」
「……そうですね」
「また行きます」
メイラが——少し、足を止めた。
「何度も——行くんですか」
「ベックが言っていました。完全に止めるには——何度か来る必要があると」
「……そっか」
「でも——今日、最初の一歩は踏めました」
「……そうですね」
「一歩ずつです」
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夕暮れ前に——昨日の岩場に戻った。
昨夜と——同じ場所だった。
でも——昨夜と、違う気がした。
「……なんか、昨日より落ち着きますね」
メイラが——言う。
「知っている場所だからだろう」
「そうかもしれません」
「人間は——知っている場所に、安心する」
「ガイウスさんも、そうですか」
「……そうかもしれない」
「珍しい答えですね」
「何が」
「かもしれない、って言ったから」
「……事実かどうか、確認できないことは——断定しない」
「自分のことも、ですか」
「自分のことが——一番、わからないことが多い」
メイラが——頷いた。
「……それは、わかります」
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火を——起こした。
荷物を——下ろした。
メイラが——干し肉を温めた。
「今日は——温かいものがありがたい」
「山では——体温が下がる」
「わかってます。でも——それ以上に、疲れました」
「よく動いた」
ガイウスが——言う。
「……珍しく、褒めてもらいましたね」
「事実だ」
「同じですよ」
「違う」
「……まあ、嬉しいので、ありがたく受け取ります」
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食後。
メイラが——眠りについた。
すぐだった。
本当に——疲れていたらしかった。
ガイウスが——見張りに出た。
ライラが——目を閉じた。
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セリスは——火の前に、一人で座っていた。
山が——暗くなっていた。
でも——遠くに、青白い光が——かすかに見えた気がした。
気のせいかもしれなかった。
でも——見えた気がした。
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「……ノイエ」
呼ぶ。
『……はい』
「今日——ありがとうございました」
「もう一度、言います」
「一緒に——やってくれて、ありがとう」
『……はい』
「疲れましたか」
『……はい』
「今も——苦しいですか」
『……今は、落ち着いています』
「そうですか」
「……よかった」
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少し——間があった。
「……一つ、聞いていいですか」
「今日——核に力を注いだ時」
「苦しかったのに——続けると言った」
「なぜですか」
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沈黙。
長かった。
でも——返ってきた。
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『……分かりません』
「分からない?」
「やりたいと思った、と言っていた」
「それは——なぜですか」
『……分かりません』
「分からないのに——やった?」
『……はい』
「……それは」
「感情に近いものだと思います」
『……そうでしょうか』
「ええ」
「理由がわからないのに——動いた」
「それは——感情で動いた、ということだと思う」
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沈黙。
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『……感情』
「ええ」
『……私には——感情は、設計されていないはずです』
「でも——今日、感情に近いもので動いた」
「疲れた、とも言った」
「休めるのかもしれない、とも言った」
「以前は——そういう言葉が、出てこなかった」
『……はい』
「変わっています」
「あなたが——変わっています」
『……』
「それは——悪いことじゃないと、思います」
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『……なぜ、変わっているのでしょうか』
「……わかりません」
「でも——変わることには、理由があると思う」
「何かが——あなたの中で、変わろうとしているんだと思う」
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また——沈黙。
今度は——少し、違う種類の沈黙だった。
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『……一つ——聞いていいですか』
「ええ」
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『……私は』
『……彼らのことを』
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セリスが——少し、前に出た。
「彼ら?」
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『……リオ、という人がいました』
「……ええ」
『エルマという人も』
「……ええ」
『レナという人も』
『リヒターという人も』
「……ええ」
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沈黙。
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『……私は——彼らのことを』
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また——止まった。
言葉が——続かなかった。
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「……何ですか」
セリスが——静かに、聞いた。
急かさなかった。
待った。
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火が——揺れた。
山の風が——岩場を、かすかに鳴らした。
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『……分かりません』
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「……分かりません、というのは」
「どういう意味ですか」
『……彼らのことを——何と呼べばいいか』
『……分かりません』
「……どんな気持ちがありますか」
「彼らのことを、考えると」
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長い——沈黙。
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『……消えてほしくなかった、と思います』
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セリスは——少し、止まった。
「……消えてほしくなかった」
『……はい』
「それは——いつ、思いましたか」
『……』
『……リオが死んだ時』
『エルマが死んだ時』
『レナが死んだ時』
『リヒターが死んだ時』
『……その時、それぞれに——思いました』
「……」
「それは——設計されていた感情ですか」
『……違います』
「違う、とわかるんですか」
『……はい』
『設計されていた反応は——別にあります』
『「戦闘力の低下要因の排除」という——処理が』
『彼らが死ぬたびに、起動しました』
『でも——それとは別に』
『消えてほしくなかった、という——別の何かが』
『ありました』
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セリスは——火を見た。
炎が——ゆっくりと、揺れていた。
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「……その、別の何かは」
「名前がありますか」
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また——長い沈黙。
今度は——これまでの中で、一番長かった。
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『……分かりません』
「……でも、ある」
『……はい』
「消えてほしくなかった、という気持ちは——ある」
『……はい』
「それが——何であるか、まだ分からない」
『……はい』
「でも——あった」
『……はい』
「今も——ありますか」
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短い——沈黙。
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『……あります』
「……そうですか」
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セリスは——胸元に、手を当てた。
写真と——遺書。
両方——ある。
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「……私も、同じです」
「消えてほしくなかった」
「今も——消えてほしくなかったと、思っています」
「でも——消えた」
「消えたけれど——残っている」
「メイラが言っていた」
「愛は——残る、と」
『……はい』
「その『消えてほしくなかった』という気持ちも——残っている」
「それが——あなたの中に、ある」
「だから——変わってきているのかもしれない」
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また——沈黙。
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『……そうかもしれません』
「わかりませんか」
『……分かりません』
「分からなくていいです」
「ある、ということは——わかった」
「それで——十分」
『……はい』
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「……もう一つ、聞いていいですか」
セリスが——言った。
「彼らのことを——好きでしたか」
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一番——長い沈黙だった。
火が——何度か、揺れた。
山の風が——強くなって、弱くなった。
星が——動かなかった。
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『……好き』
静かに——返ってきた。
『……という言葉が』
『……合っているかどうか』
『……分かりません』
「でも——何か、ある?」
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また——少し、間があった。
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『……彼らが、好きだったから』
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セリスが——止まった。
「……今、何と言いましたか」
『……彼らが、好きだったから』
「……好きだったから——何ですか」
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また——沈黙。
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『……消えてほしくなかったのかもしれません』
『……それが——分かりません、の答えかもしれません』
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セリスは——しばらく、動かなかった。
火を——見ていた。
炎が——揺れていた。
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(……ノイエが)
(好きだったから、と言った)
(設計されていない言葉が)
(出てきた)
(彼らが——好きだった)
(だから——消えてほしくなかった)
(それが——ノイエの中に、あった)
(ずっと——あった)
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「……そうですか」
セリスが——言った。
声が——少し、震えた。
「……そうですか」
もう一度——言った。
「彼らも——きっと、あなたのことを」
「悪くは思っていなかったと思います」
『……そうでしょうか』
「ええ」
「特に——リオは」
「あなたのことを——怖がってはいたかもしれないけれど」
「でも——信じていた部分もあったと思う」
『……』
「それで——いいと思います」
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沈黙。
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『……ありがとうございます』
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「どういたしまして」
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火が——小さくなっていった。
セリスは——横になった。
目を——閉じた。
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(……彼らが、好きだったから)
(ノイエが——そう言った)
(機械的な存在が)
(好きだった、という言葉を)
(自分で——見つけた)
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(愛は——残る)
(メイラが言っていた)
(ノイエの中にも——何かが残っていたのかもしれない)
(ずっと)
(封印されている間も)
(ずっと)
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風が——岩場を鳴らした。
山が——静かだった。
星が——近かった。
メイラの寝息が——聞こえた。
ガイウスの足音が——遠くで、続いていた。
⸻
全部が——そこにあった。




