第137話 悪魔の朝
翌朝。
宿の主人が——朝食を出してくれた。
黙って——置いた。
目を——合わせなかった。
でも——出してくれた。
「……ありがとうございます」
セリスが——言った。
主人が——少し、止まった。
振り返らなかった。
でも——止まった。
「……食え」
それだけ言って——奥へ行った。
「……昨日より、少し多いですね」
メイラが——皿を見て言う。
「そうですか」
「うん。スープも——具が増えてる」
「……そうですね」
ガイウスが——黙って食べた。
ライラが——周囲を確認しながら食べた。
クレスが——地図を見ていた。
食べながら。
セリスは——昨夜の主人の目を、思い出していた。
(……一瞬、止まった)
(何かを——言いかけた)
(でも——止まった)
(恐れていたのか)
(それとも——別の何かを、感じていたのか)
出発する前に。
主人が——また、出てきた。
「……北へ行くのか」
ライラが——答えた。
「ああ」
「山の方か」
「そうだ」
主人が——少し、間を置いた。
「……気をつけろ」
「何があります?」
主人が——セリスを見た。
「帝国の施設が——山の手前にある」
「研究のための施設だ」
「最近——兵が、増えている」
「なぜですか」
「……わからない」
「でも——増えている」
「それだけだ」
主人が——また、奥へ引っ込んだ。
「……情報をくれた」
メイラが——言う。
「ええ」
「昨日は——怖がっていたのに」
「怖がっていても——言える人もいる」
ライラが——言う。
「それだけの人だった、ということだ」
「……そうですね」
宿を——出た。
村が——朝の光の中にあった。
子供たちが——走り回っていた。
昨日の——男の子も、いた。
セリスを——見た。
一瞬——また、止まった。
でも。
今度は——逃げなかった。
じっと——見ていた。
セリスは——その子と、目が合った。
逸らさなかった。
少し——頷いた。
子供が——また、走り始めた。
(……怖がっていない)
(昨日より——少し、違う)
(気のせいかもしれない)
(でも——逃げなかった)
歩き始めた。
村が——遠ざかっていく。
「……今、あの子と目が合いましたよね」
メイラが——言う。
「ええ」
「頷いてましたね」
「ええ」
「逃げなかった」
「……そうですね」
メイラが——少し、笑った。
「よかった」
「……そうね」
「小さな一歩ですけど」
「小さくていい」
「積み重なれば——変わる」
「……そうですね」
道が——上り始めた。
山脈が——近づいている。
空気が——少し、変わった。
冷たくなっていく。
「……山の空気だ」
クレスが——言う。
「ここから——どのくらいですか」
「山の手前の施設まで——今日中に見えてくると思います」
「施設には、近づかない方がいいですよね」
「はい。大きく迂回します」
「わかりました」
午前中の半ば。
道の脇に——人が倒れていた。
ライラが——立ち止まる。
「……人だ」
「帝国の兵か」
「違う。民だ」
「老人——一人」
全員が——止まった。
老人が——道の端に、倒れていた。
意識は——ある。
でも——起き上がれない。
足が——どうかしているらしかった。
荷車が——近くに倒れていた。
野菜が——散らばっていた。
「……荷車が、倒れたのか」
「足が——引っかかったのかもしれない」
メイラが——駆け寄ろうとした。
「待て」
ライラが——止める。
「なぜ」
「周囲を確認する」
「でも——」
「一分だ。一分待て」
ライラが——周囲を見回した。
「……問題ない」
「行け」
メイラが——老人の側に行った。
「……大丈夫ですか」
「……足が」
「見せてください」
メイラが——足を確認する。
「捻っていますね。骨は——折れていないと思います」
「……助かった」
老人が——息をついた。
「回復魔法を——少し、かけます」
「ありがとう」
セリスは——散らばった野菜を、拾い始めた。
荷車を——起こす。
重かった。
「……手伝います」
クレスが——来た。
二人で——荷車を起こした。
野菜を——荷車に戻す。
「……あなたたちは」
老人が——メイラに言った。
「旅人です」
「北へ行くのか」
「ええ」
老人が——セリスを見た。
セリスの剣を——見た。
「……」
何も——言わなかった。
でも——何かを、考えている目だった。
「……立てますか」
メイラが——聞く。
「……少し、待ってくれ」
老人が——ゆっくりと、起き上がった。
足を——庇いながら、立った。
「……立てた」
「無理をしないでください」
「わかっている」
老人が——荷車を見た。
「……野菜を、戻してくれたのか」
「ええ」
「……ありがとう」
老人が——セリスを見た。
「あなたが?」
「一緒に」
老人が——少し、間を置いた。
「……帝国のお触れに」
「剣を持った女が——悪いことをした、と書いてあった」
「……読みましたか」
「ああ」
「……」
「でも」
老人が——荷車に手をかけた。
「野菜を拾ってくれる悪魔は——いないだろう」
セリスは——少し、止まった。
「……そうですね」
「いないですね」
老人が——頷いた。
「達者でな」
「あなたも——お気をつけて」
老人が——ゆっくりと、荷車を引き始めた。
足を——庇いながら。
でも——歩いていた。
四人で——また、歩き始めた。
「……野菜を拾ってくれる悪魔はいない、か」
メイラが——言う。
「ええ」
「いい言葉ですね」
「……そうね」
「行動が——言葉より、正直だ」
ガイウスが——言う。
「ええ」
「帝国が何を言っても——行動は、変えられない」
「見た人間が——自分で判断する」
「……そうですね」
道が——さらに上っていった。
山脈が——近づいてくる。
空が——青かった。
昼前。
遠くに——建物が見えた。
石造りの——大きな建物だった。
周囲に——柵がある。
「……あれか」
「はい」
クレスが——言う。
「帝国の研究施設です」
「兵が——いますね」
「ええ。昨日より——多い気がします」
「主人が言っていた通りだ」
ライラが——言う。
「増えている」
「なぜ増えているんですか」
「……封印の補強を——急いでいるからか」
「あるいは——私たちが来ることを、察知しているか」
「どちらだ」
「……わからない」
「でも——近づかない」
「迂回します」
「ええ」
施設を——大きく迂回した。
森の中を——進む。
施設の音が——聞こえた。
何かを——動かしている音。
機械的な——音だった。
「……何をしているんですか」
メイラが——小声で聞く。
「封印の補強のための——装置かもしれない」
「装置?」
「魔導石を使った——何かだと思います」
「……魔導石」
「ルシファーの封印と同じ力で作られたもの」
「それを——また、封印に使っている」
「……なんか、複雑ですね」
「ええ」
施設を——迂回し終えた。
また、道に——戻った。
「……クレスさん」
セリスが——言う。
「はい」
「ここまで来てくれれば——十分です」
「でも——」
「ここから先は、私たちで行きます」
「施設の近くは——危険が増す」
「あなたを——巻き込みたくない」
クレスが——少し、間を置いた。
「……エルディン様から」
「できる限り、案内するように言われています」
「エルディンには——十分、案内してもらったと、伝えてください」
「……わかりました」
クレスが——頭を下げた。
「……お気をつけて」
「あなたも」
「エルディンに——よろしくお伝えください」
「はい」
クレスが——来た道を、戻っていった。
四人だけに——なった。
「……また、四人だ」
メイラが——言う。
「ええ」
「なんか——こっちの方が、落ち着きますね」
「そうですか」
「うん。クレスさんは——いい人でしたけど」
「四人の方が——動きやすい」
ガイウスが——言う。
「そうですね」
山脈が——目の前に、迫ってきていた。
大きかった。
見上げるほど——大きかった。
「……ノイエ」
歩きながら——呼ぶ。
『……はい』
「近づいてきた」
「封印のある場所に」
『……はい』
「感じますか」
『……』
少し——間があった。
『……感じます』
「どんな感じですか」
また——間があった。
今度は——少し、長かった。
『……懐かしい』
セリスは——少し、止まった。
「……懐かしい」
「封印されていた場所が?」
『……はい』
「……怖くはないですか」
『……怖い、かもしれません』
「懐かしくて——怖い」
『……はい』
「……私も、似たような気持ちかもしれない」
「知らない場所に向かうのに——何かを、知っている気がする」
『……』
「おかしいですね」
『……おかしくないと、思います』
セリスは——山を見た。
大きかった。
でも——足が、動いていた。
止まらずに。
前に。
四人で——山脈への道を、歩き続けた。
空が——少しずつ、狭くなっていく。
山が——大きくなっていく。
夕方が——近づいていた。
「……今日は、どこで休みますか」
メイラが——聞く。
「山の入口手前に——岩場がある」
ライラが——地図を見ながら言う。
「そこで野宿だ」
「わかりました」
「屋根はないが——風は防げる」
「……十分です」
歩き続けた。
山が——どんどん、近くなる。
空気が——冷たくなっていく。
息が——少し、白くなり始めた。
岩場が——見えてきた。
大きな岩が——いくつか、重なっている。
風を——防いでくれそうだった。
「……ここか」
「ええ」
「今夜は——ここで」
荷物を——下ろした。
火を——小さく起こした。
メイラが——干し肉と固いパンを配った。
四人で——食べた。
山が——目の前に、そびえていた。
夜の山は——暗かった。
でも——星が、多かった。
山に——遮られていない空が、広かった。
「……星が、多いですね」
メイラが——言う。
「山だからだ」
ガイウスが言う。
「光が少ない」
「だから——よく見える」
「……きれい」
「ええ」
「こういう夜は——好きです」
「……私も」
「セリスさんも?」
「……嫌いじゃない」
「さっきより——前向きな返事ですね」
「……少し」
メイラが——小さく笑った。
ライラが——見張りに出た。
ガイウスが——地図を確認した。
メイラが——星を見ながら、眠りについた。
セリスは——山を見ていた。
暗くて——何も見えなかった。
でも——そこにあった。
「……ノイエ」
「明日——入ります」
『……はい』
「一緒に——行きましょう」
『……はい』
「怖くても」
『……はい』
「懐かしくても」
『……はい』
「それでも——行きましょう」
『……はい』
山が——静かだった。
星が——動かなかった。
風が——岩場を、かすかに鳴らした。
セリスは——目を閉じた。
明日が——来る。




