第136話 悪魔と呼ばれた
翌朝。
エルディンが——見送りに出てきた。
「……気をつけろ」
「ええ」
「山は——険しい」
「わかっています」
「帝国の研究施設も——近い」
「警戒します」
エルディンが——セリスを見た。
「……また、会おう」
「必ず」
「その言葉——信じる」
「ええ」
エルディンの館を——出た。
クレスが——山脈の手前まで、案内してくれるという。
「そこから先は——私には、わかりません」
「十分です。ありがとう」
「……お役に立てれば」
四人と——クレスで、歩き始めた。
空が——高かった。
山が——遠くに見えた。
ドラッヘンベルク山脈。
帝国北部の——巨大な山脈。
まだ遠かった。
でも——確かに、そこにあった。
「……大きいですね」
メイラが——山を見上げながら言う。
「ええ」
「あの中に——封印核がある」
「ルシファーの封印が」
「……そうです」
「なんか——実感がないですね」
「あの山の中に、そんなものがあるなんて」
「……私も」
セリスが——言う。
「実感は、まだない」
「でも——近づけば、変わるかもしれない」
「そうですね」
道が——続いていた。
帝国の管理が——薄い地域だった。
人が——少なかった。
でも——ゼロではなかった。
昼前。
小さな集落を——通った。
十戸ほどしかない。
人が——数人、外にいた。
老人と——子供が何人か。
セリスたちが——通り過ぎようとした時。
子供の一人が——セリスを見た。
八つか九つくらいの男の子だった。
その目が——止まった。
「……お母さん」
子供が——後ろを振り返る。
「あの人——剣を持ってる」
「シーッ」
女性が——子供を引き寄せた。
「見てはいけません」
「なんで?」
「……悪い人かもしれないから」
セリスは——聞こえていた。
でも——足を止めなかった。
通り過ぎた。
「……聞こえましたか」
メイラが——小声で言う。
「ええ」
「……気にしないでください」
「気にしていません」
「本当に?」
「……本当に」
嘘では——なかった。
でも——完全な本当でもなかった。
午後。
また——別の集落を通った。
今度は——大人が、数人いた。
セリスたちを——見た。
目が——違った。
恐れ、ではなかった。
でも——警戒だった。
明らかな——警戒だった。
「……何か、広まっているのかもしれない」
ライラが——静かに言う。
「何が」
「ヴァルキリーに関する——情報だ」
「帝国が——流しているか」
「あるいは——噂が、自然に広がっているか」
「どちらにしても——知られている」
「……」
「知られているなら——隠すより、通り過ぎる方が早い」
「そうですね」
夕方。
少し大きな村に——差し掛かった。
宿が——一軒あった。
「……今夜は、ここか」
「はい」
クレスが——言う。
「次の村まで——半日以上かかります」
「ここで泊まった方がいい」
「わかった」
宿に——入った。
主人が——出てきた。
五十がらみの男だった。
がっしりした体格。
目が——鋭かった。
セリスを——見た。
一瞬——その目が、止まった。
「……泊まれますか」
ライラが——聞く。
「……部屋は、ある」
「四人と——一人、五人です」
「……わかった」
主人が——鍵を出した。
「食事は——出せる」
「ありがとうございます」
「……あんたたちは」
主人が——言いかけて、止まった。
「何ですか」
「……いや」
「いい」
主人が——奥へ引っ込んだ。
部屋に——荷物を置いた。
「……主人が、何か言いかけた」
メイラが——言う。
「ええ」
「何を言おうとしたんでしょう」
「……わからない」
「でも——止まった」
「言えなかったのか」
「言わなかったのか」
夕食の時。
食堂に——他の客がいた。
旅人が——二人。
地元の——男が一人。
セリスたちが——座ると。
地元の男が——立ち上がった。
会計を済ませて——出ていった。
急いでいる様子では——なかった。
でも——出ていった。
旅人の二人が——小声で話していた。
断片が——聞こえた。
「……北の方で」
「剣を持った女が——村を一つ」
「……」
「本当か」
「本当らしい。帝国の——お触れに書いてあった」
「……怖いな」
「ああ」
「あんな剣——見たこともない」
セリスは——スープを飲んだ。
聞こえていた。
でも——顔を上げなかった。
フードを——深く被っていた。
(……村を一つ)
(そんなことは——していない)
(でも——帝国が、そう言っている)
(お触れに——書かれている)
(だから——民は、信じる)
(信じるのは——当たり前だ)
(帝国が言っているのだから)
食事が——終わった。
部屋に——戻った。
「……ガイウス」
セリスが——言った。
「何だ」
「帝国が——私についての偽情報を流しているようです」
「村を一つ滅ぼした、と」
「……聞こえていた」
「どう思いますか」
ガイウスが——少し、間を置いた。
「……想定内だ」
「想定内?」
「帝国にとって——ヴァルキリーは、制御できない存在だ」
「制御できないなら——悪魔にすればいい」
「民に——恐れさせれば、協力者が減る」
「情報を——提供する者も減る」
「孤立させる戦略だ」
「……合理的ですね」
「ああ」
「……ガイウスらしい分析だと思います」
「事実だ」
「でも——どうしますか」
「どうもしない」
ガイウスが——言う。
「どうもしない?」
「今は——動き続けることが、答えだ」
「悪魔と呼ばれながら——守り続けることが」
「それだけで——十分だ」
「……」
「言葉で否定しても——届かない」
「行動で示すしかない」
「時間がかかる」
「でも——それしかない」
「……ガイウス」
セリスが——言った。
「リヒター様が言っていたこと」
「人間がいることを——ちゃんと見ろ、ということ」
「……ああ」
「今日——集落の子供が、怖がっていた」
「母親が——隠した」
「それを——ちゃんと見ていた」
「……」
「怖がらせているのは——帝国だ」
「でも——怖がっているのは——本物の人間だ」
「だから——行動で示すしかない」
「その子供が——いつか、怖がらなくなるように」
ガイウスが——少し、黙った。
「……また、近づいたな」
「何に?」
「リヒターが言いたかったことに」
「……そうですか」
「少しずつだが——近づいている」
「……嬉しい」
「礼はいらない」
「受け取ってください」
ガイウスが——何も言わなかった。
でも——目が、少し動いた。
夜。
全員が——眠りについた。
セリスは——一人、窓の外を見ていた。
村が——静かだった。
「……ノイエ」
小さく、呼ぶ。
『……はい』
「今日——悪魔と呼ばれていた」
「正確には——聞こえてきた話の中で」
『……はい』
「……どう思いますか」
少し——間があった。
『……事実と異なります』
「そうね」
「でも——信じている人がいる」
『……はい』
「怖がっている子供がいた」
『……はい』
「……私は、悪魔だと思いますか」
また——間があった。
今度は——少し、長かった。
『……思いません』
「なぜ?」
『……あなたが守ろうとしていることを』
『……見ているから』
セリスは——少し、止まった。
(……見ているから)
(ノイエが——見ている)
(そう言った)
「……ありがとう」
『……はい』
「でも——悪魔と呼ばれていても、続けます」
『……はい』
「守るために——戦い続けます」
「たとえ——恐れられても」
『……はい』
「あなたも——一緒に、いてくれますか」
沈黙。
『……はい』
短かった。
迷いが——なかった。
窓の外で——風が鳴った。
山が——遠くに、暗く見えた。
ドラッヘンベルク山脈が——夜の中に、静かにあった。
セリスは——横になった。
目を——閉じた。
(悪魔と呼ばれても)
(守りたいものが——ある)
(それだけで——十分だ)




