19.やっぱりブンブンは頼りない
全国大会を終えて島原に帰ってきた海は、校舎の上から大きく目立つように掲げられた垂れ幕が目に入り、正門の前で足が止まった。
「うっそ!?」
その場から走り出して校舎に近づき目を擦って見上げると、それが見間違いではないとわかる。
「行く前はなかったのに!」
男子バスケットボール部と並んで新しく設置された垂れ幕には、「祝! 吹奏楽部全国大会出場!」と書かれており、加えて金色の丸い布も貼られていた。
これは校長からのサプライズだ。吹奏楽部が遠征に出かけた後で、業者にお願いしていた垂れ幕が学校へ届けられた。顧問の文から結果の報告をもらうと、そこに賞の色もつけ足して屋上から吊した。
学校の顔とも言えるバスケ部と対等に扱ってもらうことが叶い、海は鞄を高く投げて歓喜の舞を踊った。それを、周りの生徒が不審な目を向けながら通っていく。ほかの吹奏楽部員もこのプレゼントに喜んだが、海の同類とは思われたくないためほとんどがスルーした。しかし、二年生の村里清羽は違った。大きな声で海に挨拶をし、一緒に踊って喜びを全身で表した。彼女たちは生活指導の教師に声をかけられるまでそれを続けた。
部員たちが公欠で授業に出られなかった分は、クラスメイトにノートを写させてもらいどうにかなった。また、どの生徒も結果を聞いて祝ってくれた。これは、自慢せずただ嬉しそうに伝えた部員の態度によるものが大きい。ここで偉そうにしたり、ノートを借りることを当たり前のように振る舞ったりでもしたら、吹奏楽部の評判は一気に下がる。部員たちは計算ではなく、自然に正しい言動ができていた。
校内の生徒に対してだけでなく、それ以外の者への配慮も怠らなかった。例えば、個人のSNSで報告することを禁止にした。理由は、不特定多数の者が目に触れるかもしれない環境で、全国大会への出場が叶わなかったり、出ても納得の結果ではなかった者を傷つけないようにするためだ。素直な感情を書き込むのは誤りでなくとも、変に拡散される恐れはある。だから、嬉しさは一部の友人や家族だけに直接伝えた。また、ホームページでの報告にも気をつけた。賞の色に相応しい品格を持ち、誰かを煽っているように思わせず感謝の言葉を連ねた。
これらの指示をしたのは実音だ。春里均がやってきたことを、彼女は守った。方南高校もずっとこのスタイルである。だからこそ、逆に偉そうに思われていた部分もあるが、初出場の大三東はまだそこまで反感を買うような存在としては見られていない。取材の依頼がまた増えても、冷静に対応した。
この日の午後は、警察官による防犯教室が開かれた。
最近物騒な事件が起きたり不審者の目撃が相次ぐことから、体育館に座る生徒に対し護身術などが伝授された。担当ではないがなぜか非番の一丸パパも来ており、彼は息子の幼馴染の造酒迅美に直接指導をした。それを彼女は迷惑そうな顔で聞き、実践に入る。相手役は一丸飛竜だが、彼女が大事すぎるあまり襲いかかれない。なかなか進まないことに苛立った造酒が彼を攻撃し動けなくすると、生徒たちから拍手が起こった。
防犯教室が終わり警察官たちが帰ると、ついでに吹奏楽部の表彰式が行われた。
今回は全員で登壇する。すぐに移動できるように、部員たちはあらかじめ体育館の端に固まっていた。いつものイベントのようにスカートの丈は長くし、身だしなみをしっかりと整える。
移動の直前、泓塁希は黄色いハンカチを取り出して胸ポケットに入れた。これはコンクールスタイルだが、今は必要ない。縫壱月が無言で首を横に振り間違いを伝える。すると、泓は手をポンッと叩いて今度は黄色いスカーフを首に巻こうとした。それも今はいらない。網田九十九が黙ってこれを回収し、彼の奇行を阻止した。
壇上にコンクールメンバーの五十五人が並ぶと、代表で海が校長と向かい合い、賞状とトロフィーを受け取った。そして、全員で生徒の方へ深くお辞儀をする。全校生徒から温かい拍手をもらうと、部員たちは静かに元の位置へと戻った。
帰りのホームルーム後、大護はコンクールのことを祝うために実音を呼び止めた。
「金賞おめでとう! そうなるって思っとった! やったな!」
「うん。ありがとう!」
大護は海の兄の陸と共に、ライブ配信を鑑賞し大三東を応援していた。ほかの団体の演奏も素晴らしいと思ったが、どうしても身内が一番に思えてしまう。
「これでやっと落ち着けるんか? よかったな」
「ううん」
「へ?」
「まだ終わってないよ」
大護は、実音の態度がさっぱりしているように見えた。労うためにどこかへ誘おうと考えていたが、彼女は荷物を持って急いでいる。
「部活あるからごめんね!」
「え? あ、おう!」
手を振って音楽室に向かう実音を大護が見届けていると、背中に何かが激突した衝撃を受ける。
「イッテ!」
後ろを見れば、幼馴染の海が振り回した鞄が当たったことを知った。
「なんばしょっとか!」
「あ、ごめーん!」
「ったく。おい、海。お前ら、まだ部活あるんか?」
「あれ? 言っちょらんっけ? 週末、最後の演奏会があるんよ」
「あー、廊下にポスター貼ってあったな」
「あれね、一年生が描いてくれたんよ。上手でしょ!」
「三年生も出るんだな」
「そうだよ」
「だったら、海も早く部活行けよ」
「行くよ! ……あ、そうだ! 大護にまたお願いがあるんよ!」
「は?」
そう言って、海は次の演奏会で必要なことを大護に頼んだ。
部活はまず、個人練習とパート練習から始まった。
コンクールの曲ばかりを練習してきたため、コンクールメンバーには次の曲をさらう時間が必要だった。次の本番まで残り一週間もない。過密スケジュールで準備をせねばならず、実音はピリピリモードのまま後輩の面倒も見た。
一年生の巴子と北浦奈也は、先輩がいない中でも練習をしっかりやってきた。そのことは音になって一発でわかる。優しさを抑えた実音のことも見学して知っており、戸惑うことはない。コンクールメンバーの合奏中は、オーケストラと吹奏楽の両方のスコアを見比べ、メモを取りながら勉強してきた。ふたりは素早く実音の要求に反応し、テキパキと行動ができるようになっている。まだまだソロ奏者になるには不安があるが、これなら実音がいなくなっても合奏で困ることはなさそうだ。そう判断し、実音は心の中でふたりをたっぷり可愛がった。だが、今は本番までそれを現実で実践するつもりはない。
分奏の時間も取って部活が終了すると、音楽室でミーティングが行われた。解散となり帰りの身支度をしていると、文が生徒たちの前で大きく伸びをする。
「ふわぁ〜。……いやー、疲れたねぇ。通常運転に戻ったけど、まだ気持ちが乗らないよ」
「ブンブン、欠伸せんでよ! こっちまで移る」
「そうそう! そもそも、最後の演奏会の予定もらってきたのブンブンなんだからね」
「おかげで休みゼロよ」
「ばってん、打ち上げ楽しみだよね!」
「がぶ丼! がぶ丼!」
「海、涎出ちょる」
遠征最終日の朝、全国大会金賞のご褒美として、海は文へ島原に帰った後での豪華な食事をねだった。それを叶えられるほど、公立の教員は裕福ではない。そこで彼は、同じホテルに宿泊するネロへ助けを求めた。年長者とは思えない行動に暴君は冷めた目を向けたが、慣れている文は動じない。やがて、ネロから部員へのプレゼントとして食事を奢ることが決定した。演奏会後の打ち上げ場所については、すぐさま副部長の法村風弥が店を予約し確保した。ただし、支払う本人はその日コンクールのため不参加だ。彼にはもらった花束より高価な支払い請求書が後で届く。
海が食べたかったのは、「がぶ丼」という名前のローストビーフ丼だ。島原において長年愛される名店では、ほかにも和食を中心に様々な料理を楽しむことができる。
「僕そこ初めてなんだよね。あぁ、楽しみだなぁ」
「そうですか」
「うん! ……あれ?」
文の前には着替え終わった実音が立っている。その表情からは、静かな怒りが感じられた。
「先生。浮かれすぎじゃないですか? お世話になった方々への報告はお済みなんですよね?」
「あ、はい。……あ、でもあとちょっと残ってるかも?」
「……演奏会への招待状が届いているのか、確認しましたよね?」
「うーんと、たぶん?」
「たぶん?」
「あ、いや、ちゃんと確認します! すぐします!」
「……法村さんと吉川さん。悪いけど、文先生がちゃんとできてるかチェックお願い」
「あ、うん」
「はい!」
実音は大きな溜め息をついてから、音楽室にいる部員たちにも厳しく声がけをする。
「みんなが疲れているのはわかる。切り替えが簡単にできないのも理解できる。でも、今週の演奏会にいらっしゃるお客さんたちのことを考えてほしい。私たちはどうするべき? こんなんで演奏会やったら、失望されるんじゃない? 『この程度で全国って行けるんだ』とか思われるかもね。それでいいの? どこまで精度を高めて練習してきたのかを聴かせて、これまでの感謝を伝えるんじゃないの? 三年生は両立が大変だけど、受験組はいつまでも部活オンリーでいられないんだよ? しっかり後輩の手本となるよう考えて行動してほしい。それ以外だって、全員いつまでも浮かれモードでいないでね。……わかったら、顔洗って切り替えて。それで明日の部活も実りのあるものにしよう。話は以上です」
実音が話し終わると、しんとなった音楽室から海と泓と村里と北浦が慌てて廊下に出ていった。そして、四人共顔をタオルで拭きながら戻ってくる。
「ごめん! これでもう大丈夫!」
「みおたん、これでよかかね?」
「洗いました!」
「ました!」
言葉どおりに実行する海たちに内心笑いながら、実音は「よし!」と言った。




