175話 風蓋
テパルス湖森で過ごした一夜が明けた。
結果から言えば、何も無かった。
まあ、モンスターは夜間でも襲って来ましたけどね。モンスターに遠慮は有りませんし、気遣いなんて概念も有りませんから。御陰で獲物が大量です。
「それでは、これと言った収穫は……」
「無かったね~。まあ、気になる事という意味でなら、霧が出た後の急激な進行は引っ掛かったんだけど……」
「それにも特に怪しい感じは有りませんでした」
俺が視線でナユに促し、後に続いた。
当然の事ながら、アールバンナに戻ってきて真っ先にギルドで確認──情報収集をしています。
調査に入った他の冒険者達も霧の深さ、深まる早さは気になっていた様ですが、原因は判らず。
寧ろ、「こういうものか……」と思っていました。
違和感は有っても、説明が出来無い事は、そういった解釈に為り勝ちなんですよね~。
──という訳で、はい、手詰まりました。
アールバンナのギルドの一室。其処は会議室みたいな感じになっており、俺達や関係者であればギルド職員に言えば自由に入る事が出来ます。
まあ、大量の資料が積まれている為、普通は入る事を躊躇う──と言うか、嫌がりますけどね。
気持ちは判ります。書類の山なんて見たくないので。好きな人の方が稀だし、少数派でしょうけど。
俺達にとっては人が来ない事も有り、楽ですが。
そんな部屋の中、静寂と共に空気が重くなります。
しかし、この一件、無視は出来ません。
ですが、俺達としても長期で関わる事──滞在する事というのは出来ません。
長引くと色んな方向に影響しますしね。
「アルト様、どうされますか?」
同じ様に考えている皆を代表してフォルテが訊ねる。決定権が俺に有るから仕方が無いんだけど……悩む。
現状、身動きが取り辛いというのが正直な所。
此方等は此方等の都合上、時間を割き難い。
だからと言って……と、堂々巡り。
その場でグルグルと歩き回っている様なもの。
「…………歩き回っている?」
「アルト様?」
ふと、自分の思考に引っ掛かりを覚える。
イメージとしては単純なのだけれど、その何が自分は引っ掛かったのか。
それを考え──不意に一つの可能性が思い浮かぶ。
「ナユ、確か天気の記録って有ったよね?」
「はい、ちょっと待って下さい……ああ、此方等です」
「有難う」
山の様な大量の資料から直ぐに目的の物を探し出し、手渡してくれるナユ。
勿論、ナユだけではなく、フォルテ達も優秀ですが。ナユの文官としての能力は群を抜いています。
世が世なら、大図書館を掌握する大司書でしょう。
密かに“大図書館の主”とか呼ばれる様な。
──という雑念は一旦、排除して。
手にした一冊を開き、内容を確認していく。
まだ可能性でしかないけれど。もし、俺の考えている通りだったら手掛かりを得られるかもしれない。
テパルス湖森の北東。海と内陸とを隔てる様にS字に近い形をしたクヨンレ山。
標高は500ミードに満たず、蒲鉾型だが麓に掛けて傾斜は緩やかとなっている。
棲息域ではないが、コレと言った付加価値──其処の固有種や稀少種、高級な何かが有るといった訳でもない事から滅多に地元の人も踏み入れない。
領地として管理しているアールビーノ子爵家が時折、調査の為に人を向かわせる程度。
当然、今回の件では調査対象外。誰も居ません。
「アルト様、良い眺めですね」
「そうだな。地形や地質が良ければ宿泊施設でも建てて眺望を売りに出来たんだろうけど……」
「半分以上が岩山ですからね……」
フォルテが苦笑しながら──いや、残念そうに言う。別に俺達が商機や利益を逃した訳では有りませんけど、思い付いた事が実現不可能だと判ると……ねぇ?
クヨンレ山の麓と頂上の一部には緑が有るが、多様な生物が棲息出来る環境とは言えない。寧ろ、苛酷です。俺なら別の場所を探します。
ただ、それ故に天敵も少ない、というメリットも有る事から棲息する生き物も居る訳です。
虫や鳥、鼠等の一部の小動物が居る程度ですけど。
その上、地盤は硬いのに地表付近は崩れ易い。
長い杭の様な支柱を何本も埋め込めば基礎は造れる。しかし、それは俺達が遣れば、という話です。
その基礎工事をするだけでも数年は要するでしょう。加えて資金や資材・人員も必要ですからね。
先行投資だったとしても、それを取り返すのには完成してから十年では……厳しいと思います。
俺達が遣るのであれば短期間で黒字に出来ますけど。俺達が関わる事は有りませんから。
そんな事を考えながら、ピクニック気分でのんびりとしていたら、ナユ達が合流する。
年長組の三人には別行動をして此処の周囲の町や村で聞き込みを頼んでいたので。
あと、今日はメアリー様達も一緒です。此処は棲息域ではないですからね。四人も楽しそうです。
眺望以外には何も有りませんけど。そんな不粋な事は言いません。
「御苦労様、どうだった?」
「アルト様の仰有っていた通りでした」
フォルテ達が用意してくれる紅茶と御菓子を見ながら広げた特製のレジャーシートに座り、三人と話す。
ナユ達に頼んでいた事は、周辺に住む人達──それも五十歳以上を対象にした聞き込み。
対象を絞っているのは、ちゃんと意図が有っての事。欲しいのは記録ではなく、記憶に残る情報。
紅茶を一口飲み、一息吐いてからナユが続ける。
「数十年に一度、数日間だけですが、クヨンレ山周辺に深い霧が立ち籠める事が有るそうです」
「此処に? もしかして、それがテパルス湖森に?」
モグモグと口に御菓子を含みながらも器用に言うアンだけれど、今は注意されないからなぁ……
普段は侍女長達が睨んでいますからね。
「過去、そういった事例は無い様ですが……」
「気象の条件というのは常に異なるもので、殆どの予測というのは統計から成り立っている。だから、実際には全く同じ条件の気象というのは有り得ない事なんだ」
そう、何もかもが全く同じという事は有り得ない。
気象学等に詳しい訳ではないけれど、農業をしている身からすると、それは当たり前過ぎる事だったりする。何しろ、農作業に休みなんて概念は有りませんから。
まあ、以前の自分だと言われてみなければ気付かない事であり、納得も出来る話。
だから、情報が揃った事で気付く事が出来た訳です。
話を戻して。
集積した統計から、ある程度の幅を持たせての予測。それが前世でも現在でも天気の予測方法。
それ以外は、個人が積み重ねた経験によって培われた文字通りの感覚という事になります。
それはつまり、人が自然──気象を自由には出来無いという事の証明だとも言えるでしょう。
魔法やスキル、魔道具でも、今の所は有りません。
「絶対に無い」と断言が出来無いのが、この世界。
天艇アーヴァイルの様な実例も有りますからね。
例えば、“条件付き・限定範囲内でのみ可能”と。
そういう感じでなら、ねぇ……
──なんて雑念は一旦、放り投げます。
「クヨンレ山は東側が海に面しているから、東から吹く海風が打付かる訳だけど……地図を覚えてる?」
「……地図? ……あっ、ラルカフ湾っ!」
俺の言葉を聞いて考え、声を上げたのはレベッカ。
齧り掛けの直径30サニタビッグサイズのクッキーを両手で持ったままでなければ決まっていたのに。
可愛いとしか言えません。可愛いは正義でしたね。
「そう。クヨンレ山はラルカフ湾の北側に有る。だから海風は東側からよりも南東からの方が強い」
「……あれ? でも、それだとテパルス湖森の方に霧が出るのって可笑しくないですか?」
「アンの言う通り、基本的には起こり得ない」
「……それを引き起こした原因が?」
「まだ、そうだとは限らないけどな」
脳裏に浮かんだ可能性をナユが確かめてくる。
しかし、俺も肯定する事は難しい。
何故なら、それとこれとは話が別なのだから。
「昨日、俺達がテパルス湖森で見た霧は自然現象だから何れだけ調べても何の痕跡も見付からない」
「どういった仕組みなのですか?」
「んー……飽く迄も俺の見解になるんだけど……」
──と言いながら視線で「推測でしかないよ?」と。そう訊けば皆、「構いません」と頷き返す。
自業自得だけど、その信頼が重圧だなぁ……
「ティア、地下水脈が有るのは判る?」
「はい。麓の方ですが水量も多いので良い水脈ですね」
「霧は水が気化して生じる訳だけど、風が有る場所では霧散してしまうから難しい。しかし、ペールドラシカン連峰群から吹き下ろす風とラルカフ湾から吹き上がる風が打付かった結果、空に蓋をする」
「蓋……ああ、成る程。だから、霧が生じるのですね」
「しかも、その間、霧は溜まる一方になる」
「それで、あれだけの早さで……」
「そういう事。日が上ると気温も上がって、気象条件が変わるから蓋をしていた風も変わって……かな」
「それでは、霧がテパルス湖森で生じたのは?」
「はっきりとした事は判らないけれど、風向きか何かが変わった事によって蓋が出来る所がズレたんだと思う」
「通りで違和感は有っても痕跡が何も無い訳ですね」
「ただ、これは飽く迄も今の霧は自然現象だという事で発端になった昼間の霧の件は謎のままだけどね」
そう言って、テパルス湖森の方を見る。
少し早い午後の御茶を楽しんでいる為、霧は無い。
こうして見ている時に発生してくれたら──とは思うけれど物事はそう上手くは行かないものです。
「ああっ! ウィンスワード卿っ、大変ですっ!」
アールバンナの冒険者ギルドに報告に戻ったら、中が騒がしかったので嫌な予感がした。
その直後、ミロドさんが走って遣って来た。
「“ムフルィ湿原”で霧の巨影が現れましたっ!」




