168話 粘液
船体が軋む音が響く揺れる船上。
前後左右に不規則に傾き、角度も不安定。立っている事だけでも常人には困難な状況。
はい、平然としていられる俺達が特殊なんですよねー。船内からは悲鳴や絶叫が聞こえてきますから。
地味に自分達の異常さを再認識させられました。
「アルト様、アレは?」
「“ヘルズヘッド・マリナード・サーペント”だね」
「アレがサーペント種か……初めて見たな」
ナユに訊かれて答えると、それを聞いたフロイドさんが観光客みたいな他人事かの様な反応をする。
さっき、驚いていた貴男は何処に行きましたか?
まあ、そんな事はどうでもいいんですけどね。
後方ではメアリー様達を一人ずつ抱えて下がっている。何も言わなくても判断出来る様になっているのは頼もしい限りです。
「それだけの経験をしましたから」という視線に籠った思念は無視しましょう。
さて、この世界での
“サーペント”というのは特殊です。見た目は蛇、或いは蛇型ドラゴンだと言われても疑う事は無いでしょう──という姿です。
しかし、蛇では有りませんし、ドラゴンでもない。
半龍半蛇という見た目なんですけどねー。
それでは何なのか。両生類──特にカエルに近い存在。はい、「……え?」って思いますよねー。
初めて、その存在を知った時には、自分の知識も所詮は誰か知らない人の作った設定や印象だったんだな~、と。改めて、異世界という未知さを実感したものです。
話を戻して。
サーペントという存在は表現に幅が有ります。
蛇竜・海龍・大海蛇等といった具合に。
また、“白蛇”というイメージも強いと思うんですけど、必ずしも白だとは限りません。
生物である以上、環境に因って変わりますからね。
この世界のサーペントはドラゴンっぽい頭に、蛇の様な細長い身体をしていますが、鱗が有りません。
はい、竜や蛇に見られる特長の鱗がです。
ただ、鬣の様な毛や鰭は有るんですけどね。
胴体はヌルッとして、ツルッとして、テカっています。
だから、サーペントの身体が擦れた船体には、その理由である保護粘液がベッタリと……
「──ぅっ!? ……これ、無理かも……」
「……思った以上にキツいな……」
漂う生臭さ──悪臭にアンが下がり、鼻を摘まんだままフロイドさんが喋る。
俺達でも嫌なんだから、ズゥマには辛いか。
勿論、この手の粘液の全てが臭うという訳ではないが。このサーペントの粘液は凄いな。
服に付けたら、クーリエさんがキレるだろうね。
「コレには流石にクーリエでなくても怒ります」
「さらっと難易度を上げてくるね~」
「出来る事だと思えばこそです」
言外の「汚さずに倒して下さい」という注文。
俺だけでなく、フォルテ達も苦笑。まあ、嫌だから俺達自身も汚れたくは有りませんから自然とそうなります。
──とは言え、それは普段なら、の話です。
今回は多くの人の目が有りますからね。普段通りに戦う事は避けたい所です。悪目立ちするので。
アルヴヘイムでは、当分は情報が流出しないと思っての指導でしたからね。一応、考えてはいるんです。
取り敢えず、ズゥマの嗅覚を保護する為に作った特製の防護マスクを──いや、それも目立つか。
世の中には無い装備品ですからね。
そうなると……
「マスク無しで戦える?」
そうアン達に訊けば、嫌そうな顔をする。
「命令なら、戦うけど……」という顔です。
まあ、そうなるよね~。
アン達が不参加──は逆に悪目立ちするから、我慢して参戦はして貰うとして。
取り敢えず、先ずは船体に巻き付いている胴体を魔法で切断してみようか。
俺が風、エクレが水の魔法で攻撃。
特に問題も無く両断。
切断時に飛散する粘液は風の魔法で防御。臭いもね。
絡み付かれ、締め付けられていた船体が圧力が消えた事によって解放され、その反動に浮力も加わって今までより大きく揺れる。
船内から聞こえる叫び声には「不可抗力ですからね」と言いたい。沈められるよりはマシでしょう?
俺達が切断した胴体はアン達が素早く回収。
息を止め、無駄無く、迅速にね。
──が、しかし、それで倒せるのなら苦労はしません。
「んー……やっぱり、生きてるよねぇ……」
切断した胴体は下半身の四分の一程度。
はい、滅茶苦茶大きいです。いや、長いかな?
兎に角、海中──船の下には、しっかりと魔力反応が。
逃げてくれれば……と思いますけど、無理ですよね~。
判ってますよ。そういうフラグですもんね。
さて、このサーペントの事なんですが。
原作では一度しか戦いません。
それもエクレのシナリオの後半のサブイベントで。
クリアの有無はエンディングには無関係ですが、色々と手間の掛かるイベントのボスとして登場します。
クリアするだけなら無視するのが無難。それだけ時間が掛かるイベントでしたからね。
イベント自体のフラグも立て難い為、攻略情報無しで、自力で進めて戦った事が有るプレイヤーは稀少だと当時は言われていた位です。
勿論、俺は自力でしたよ。
つまり、このサーペントは激レアなモンスター。
それだけに設定されているステ値も高い。
メナスを除けば、作中で五指に入ります。
加えて、【再生】スキル持ち。はい、長期戦確定~。
実際、原作でもノーミスで倒すのに最短で1時間は確定という泥仕合を強いられましたからね。
「フロイドさん、船長さんに言ってギリギリまでリゲドア山脈に船を寄せて貰って」
「それは構わないが……座礁しないか?」
「そうはさせない為だから
ああ、でも、出来るのかは確認しておいてね
船長や船員の腕に問題が有る様だったら止めるから」
「判った」
「メレアさん、メアリー達と船内に戻って」
「乗客を落ち着かせれば宜しいのですね?」
「宜しくね」
「畏まりました」
「エクレ、船員達に甲板から退避する様に伝えて
然り気無く、邪魔だから出て来ない様にもね」
「はい」
そう俺が指示する度に皆、直ぐに動いてくれる。
尚、こうしている最中も俺は海中のサーペントに魔法を放ち続けています。
海水が威力を減退させている為、決め手に欠けるので、本当にじわじわと削っている状態です。
「アルト様、どうされますか?
甲板から人を排除しても見られはしますが?」
「だから、こうする」
ナユの質問に、俺は釣竿を取り出す。
そして、これは装備品。
その数こそ少ないが、釣竿の装備品は確認されている。その為、俺が使っていても不思議には思われない。
──で、この装備品の釣竿。攻撃力の代わりに、水棲のモンスターに対しての釣力を有している。
まあ、それが解るのは俺だけなんですけど。
あと、水棲モンスターにしか効果は有りませんけどね。サーペントが相手でも問題有りません。
そして、釣竿は釣力が高い程、大物、高ランクの獲物を釣り上げられます。
俺の造った釣竿はSランク。当然、サーペントだろうと釣り上げられます。
その事をナユも知っていますから直ぐに理解し、納得。俺が何を考えているのかを汲み取り、動く。
ナユが居てくれると俺達も自分の仕事に集中し易いので本当に助かります。有難う。
甲板からは俺達以外の人が居なくなった。
──が、サーペントは船から離れない。
う~ん……イベントフラグ、恐るべし。
フロイドさんが戻り、船はリゲドア山脈に接近。
垂直か、それに近い断崖絶壁。或いは、針の様に細長く尖った岩が防柵の様に並び立つ。
その高さは最低でも30ミードは有るでしょう。
上に立てば、殺人事件のクライマックスが始まりそうな感じがします。そんな事は起こりませんけどね。
海から──船からでも人が上がる事は難しい。
でも、俺達にとっては楽勝です。遣りませんけど。
十分に近付いた所で釣竿を使います。
釣竿は、竿・糸・リールに釣り針。俺の場合は釣り針をルアーにしています。
物によっては錘や浮きも付属しています。
俺のルアーは錘を兼ねています。
サーペントの目の前に落ちる様に投げ────っしっ!
実績が有るとは言え、イベントボスに使うのは初めて。ヒットして内心ではホッとしています。
アン、フロイドさん。羨ましがらない。
遊んでいる訳じゃないんだから。
リールは手動の為、力が必要。まあ、楽勝ですけどね。そんなに深く落としてもいませんから──
「──っせいっ!!」
サーペントの一本釣り。
海中から引っこ抜く様に宙へと舞う巨体。それが船体の上を通過する様にリールのロックを外し、糸を送り出すとサーペントは船体を横切ってリゲドア山脈の岩肌へ。
打付かる瞬間に氷の魔法で串刺しにし、張り付ける。
同時に、海面に足場を形成。
アン、フロイドさん、フリューネさんが飛び出す。
臭い? 粘液も凍らせてしまえば、その臭いを一時的に抑え込めますからね。だから火は厳禁。溶けて気化すると粘液の時より臭いが強まりますから。
大丈夫。三人共、経験済みですから。
アン達の攻撃でダメージが入りますが、氷も砕けます。だから逃がさない様に氷の魔法を連発。
勿論、効率が悪い事は判っていますよ。だけど、人目が有る事を考えると仕方が有りません。
尚、エクレ・ティア・ナユも魔法で援護。
これだけ一方的に攻撃しても倒すのに1分近く掛かった辺りは流石と言うべきでしょうね。
そして、忘れてはならないのが、海上とは言え、此処は既にダルタルモアの領海であるという事です。
はい、止めはエクレに任せました。
倒したら、残さず回収し、残った氷を破散させて終了。歓声と拍手が響いた事からも見られていた事を確認。
うん、俺の判断は間違ってはいなかったみたいです。
因みに、あのサーペントの臭い粘液。実は美容液の素材になるって知ったら、女性陣はどう思うのか。
尤も、素材として使えるのは今は俺だけでしょうけど。何しろ、サーペント自体が稀少な訳ですからね。
素材としての研究自体が、まだされてもいません。
地味に鮮度が全てだったりしますしね。
「流石に控え目にしていても目立ちましたね」
「普通なら、もっと時間が掛かる相手だしな
人と船を守る必要が無かったら無視してるよ」
「寧ろ、人目が無いのですから狩るのでは?」
「……確かに」
そんな風にナユと話しながら、本来の航路へと戻る船の動きを見ながら、内心で感心する。
安堵して気が抜け易い状況で、冷静に判断している。
スカウト出来るのなら、連れて帰りたい位です。
そして、壁の様に聳えていたリゲドア山脈が途切れて、海の先に陸地──街並みが小さく見えた。
現在地から肉眼で見える方が可笑しいんですけどね。
兎に角、俺の頭の中では如何に下船後に素早く移動し、鬱陶しい歓待から逃げるか。
その算段を考えています。
幸いにも、ダルタルモア側にはマーヴィラン男爵の様に既知である存在は居ませんからね。
逃げ切る事は難しくはない筈です。
「それはそれで問題を生みますよ?」
「それじゃあ、ナユが俺の代理で受けて来てくれる?」
「それでは意味が有りませんよ
向こうにしてみればアルト様が目的なのですから」
「だから、行きたくないの」
そう拗ねた様に言えば、ナユは小さく笑う。
本当に……どうして俺の妻を増やそうとするのか。
いやまあ、勿論、理由は判っていますよ。理由はね。
ただ、それとこれとは話が別です。
精神的・感情的な面では難しいんですから。
ハーレム願望が有る男なんて何も考えていないと思う。現実のハーレムって大変でしかないですからね?
どんなに多くても十人も居れば十分です。十人でも俺は過多だと思いますからね。
……これもフラグになるのかな?
本当、見えないからフラグなんて大嫌いだ!




