最終章 君と描いた物語 (1)
次の日からは、またいつもの日常が始まった。電車に乗って会社に向かう。変わらない街並み、変わらない雑踏。でも、僕は違う。
会社の仕事も、上司の嫌味も前ほど僕の心を重くするものではなくなった。それを流せるだけの余裕が心に出てきた。心は、晴れ晴れとしている。僕はもう、かつての僕ではなかった。いや、かつての自分に戻ってきたというべきだろうか。
里奈との別れのあと、しばらくして僕は神社の山桜を振り返った。二十年の時を変らずに咲くほんのりと紅い白い花。そして僕は、その桜の前に佇むあの死神の少女の存在に気がついた。彼女は僕に向かって、透き通った声で話し掛ける。
「これで川合里奈の魂は救われました。あなたのおかげです」
僕は頷いて、答える。
「そうか、良かった」
僕は涙を拭いて彼女の方へ向き直った。死神は夕闇の空を仰いで、風に揺れる桜の方に眼差しを向ける。
「綺麗な桜ですね」
唐突に、少女が尋ねた。
「うん、そうだね」
僕は首を縦に振る。死神は桜から目を離し、僕の方を見た。
「最後にこの山桜を見ることができた里奈さんは、幸せだったでしょう」
死神の少女は言う。そう、里奈は最後に僕に微笑みを見せて消えた。僕は空を見上げる。里奈が消えていった夕闇の空を。
「里奈はどこへ行ったのだろう」
尋ねると、少女は静かに首を横に振った。
「救われた魂がどこへ行くのかは、私にも分かりません。私の役割はここまで」
少女はそう言って、僕の方を見た。そして柔らかな笑顔を見せる。
「あなたは死んだとき、私の手を煩わせないような、そんな生き方をしてください。それがきっと、里奈さんの今の願いです。それでは、さようなら」
少女が別れの言葉を告げた時、強い風が吹いて来て僕は目を瞑った。そして、再び目を開けたとき、もう死神の少女の姿は無かった。それからは一度も、僕は彼女の姿を見ていない。




