第九章 夕焼け、君の色 (3)
「里奈!」
「いいの。もう少し、最後までこのままでいさせて」
里奈は、優しげな笑みを見せた。
僕は一層強く里奈を抱きしめた。彼女の存在がこの世界から無くなっていくのが分かる。温もりが静かに消えていく。
「正くん、知ってる?山桜の花言葉」
里奈は囁くように言った。
僕は桜を見る。満開の花々は、まるでこの時間が終わっていくことを告げるように、花びらを散らしている。
僕が何も言えないでいると、理奈は一度だけ山桜を振り返った。僕たち二人だけの思い出を、守り続けていてくれた山桜を。
そして、僕の方を見て、微笑んだ。
「山桜の花言葉はね、"あなたに微笑む"。それが、私の、あなたへの最後の願い」
涙を滲ませるような声で、里奈は言った。
僕の体に当たる夕焼けの光は、濃くなってきている。
それは、もうすぐ別れがやってくることを告げていた。少しの間だけ戻ってくれていた時間は、もう終わりのようだった。
「ねぇ、正くん」
そっと里奈が囁く。その瞬間に、両腕が彼女を通り抜けた。
「……ありがとう」
その一言だけが夕焼けの光に響いて、里奈の姿は僕の目の前から消えていった。最後に里奈は僕に微笑んだ。その表情が、その体が透明な光となって、夕焼けの赤と夕闇の青の境目に消えた。わずかな温もりだけを残して、彼女はこの世界から離れて行った。
僕はしばらくの間、ずっと里奈がいたその場所を見つめていた。
死神の言葉を思い出す。里奈の魂は救われた。きっと、そうなのだろう。
それから僕はずっとその空を見ていた。夕焼けが消えていき、全てを夕闇が染めるまで。
いつか僕も空へ向かう。その時まで、待っていて欲しい。
「こちらこそ、ありがとう」
僕の意思には関係なく、涙が溢れてきた。里奈には見せたくなかった、彼女を不安にさせたくなかった。今でも、あの空のどこかで見ているかもしれない。その時は、その時だ。
僕は残された二つのスーパーボールを取り出した。僕たちの過去と今を繋いだ、青と赤のスーパーボール。もう失くすことはないだろう。
青い夕闇は僕の色、そして赤い夕焼けは、君の色。




