第七章 桜の舞うこの場所に (4)
「あ、金魚!正くんこれやろうよ!」
金魚すくいの屋台の前で、里奈が突然そう言った。僕と里奈は店の近くによって、水槽の中を覗き込む。赤や黒の金魚が互いにぶつかりそうになりながら泳いでいる。
「お譲ちゃん、やってくかい?」
「うん!」
熱心に金魚を目で追っていた里奈に、屋台のおじさんが声をかけてきた。里奈は百円玉をおじさんに渡し、代わりに虫眼鏡のような形の枠に紙を張った、ポイという道具と、掬った金魚を入れるためのお椀を渡される。
「よーし」
里奈は浴衣の袖をまくり上げ、ポイを滑らせるように水面に当て、そのまま素早く水中に侵入させた。紙の部分が水を吸ってみるみる変色していく。だが、里奈は焦らずに金魚が上に来るのを待って、一気に掬い上げた。赤の金魚は一瞬宙を舞い、見事にお椀の中に収まった。
「やった!」
「すごいね~お譲ちゃん、どれ貸してごらん」
おじさんは金魚の入ったお椀を里奈から渡されると、金魚を水の入った透明な袋に入れてくれた。金魚はその中で、所狭しと泳ぎ回っている。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
おじさんから金魚を受け取り、里奈はそれを眺めた。袋の上を縛った紐がちょうど持ち手になっている。里奈はその紐を左腕に通した。
「すごいでしょ」
「すごいすごい」
歩きながら僕に自慢してくる彼女に、僕は笑って返した。楽しそうな彼女を見ていると、僕もやればよかったかなと、少し後悔したりする。
里奈が立ち止まった。またなにか気になる店を見つけたらしい。
「今度はあれやろうよ」
里奈の指さす方向を見る。「スーパーボールすくい」と書いてある屋台だ。さっきの金魚をすくったばかりなのに、と思う。里奈はこういうのが好きなのだろうか。
「じゃあやろうか」
今度は僕もやってみることにした。二人で屋台の前まで行ってみる。
「おや、いらっしゃい」
さっきのおじさんよりはいくらか若い男の人が出迎えてくれた。おじさんの前にあるのは楕円形の小さなプールで、中に同じく楕円形のお突起がある。そのまわりを水が右回りに流れており、色も大きさもさまざまなスーパーボールが浮かんでまわっている。
「どうだい、やってくかい?」
「うん」
「私も」
僕と里奈は百円を渡し、金魚すくいの時と同じくポイを受け取った。
「慎重にやらんと破れちゃうからな。頑張ってくれよ」
「分かった」
僕は答えたが、既に里奈はプールを見て、狙いを定めている。僕も水の上に目を向け、めぼしいスーパーボールスーパーボールを探す。
しかし、どれか一つに決めようとしても、手を伸ばす前に流れて行ってしまう。どうしようかと迷っていると、すぐ隣でぽちゃんと水の跳ねる音がした。見ると、里奈が水にポイを突っ込んでいる。だが、彼女がボールを掬いあげる前にポイに貼られた和紙は破れてしまった。
「あーあ」
「残念だったね、こっちはどうだい?」
おじさんの楽しそうな目が僕のポイの動向を見守っている。里奈もむくれたような顔で僕の方を見ている。少し緊張してきた。
青いスーパーボールが目に入った。あまり大きくは無いが、綺麗な色をしている。何より今の自分の浴衣と同じなのが気に入った。
先程里奈がやっていたように水中にポイを滑り込ませ、青いボールが回ってくるのを待つ。そして、上に来た瞬間に、一気に掬い上げる。
「あっ」
ポイが破れた。スーパーボールは少し水面から浮かんで、再び水の中に没した。一気に体の力が抜ける。やっぱり駄目か。僕はうなだれて息を吐いた。
「残念だったねえ。二人とも惜しかったんだがなあ。よし、二人とも好きなスーパーボールを言ってごらん?」
おじさんが笑顔で言ってきた。僕は少し驚いたが、すぐにあの青いボールを見つけて指差した。
「これ」
「じゃあ私はこれ」
里奈が指差したのは僕の差したボールと同じぐらいの大きさの、赤いスーパーボールだった。
すると、おじさんは「そうか」とだけ言って、二つのボールを手で掬った。そして、布巾で水気をとると、それぞれ僕と里奈の手に乗せた。
「大サービスだよ。みんなには内緒にしてくれよ」
「ありがとう!」
僕は嬉しくなって、スーパーボールを白い裸電球の光に当て、観察した。少し水に濡れ、輝いている。青い色が綺麗だ。
里奈も同じように赤いボールを光の下にさらした。同じくらいの大きさの赤と青のボール。まるで僕ら二人を表わしているようだ。
おじさんはそんな僕らの様子を見て嬉しそうに笑った。
「大事にしてくれよ、そのボール」
「うん!」
僕らはそう言い、おじさんに別れの挨拶をして店から離れた。スーパーボールをなくさないようにしっかりと手の中に握る。
「おそろいだね」
里奈が言った。多分、スーパーボールのことを言っているのだろう。僕も頷いた。大きさも形も同じ、ただ色だけが違うスーパーボール。
空は夕焼けの赤から夕闇の青へ染まり始めている。祭りの出店の列も、歩いているうちに終わりが見えてきた。ここを出てしまえば、夢から現実へと戻ってしまう、そんな儚い寂しさに襲われる。それは今の僕たちにはまだ早い。僕たちは再び人と光に溢れる祭りの方へ振り返る。
「そろそろ戻った方がいいかな」
里奈が言った。
「そうだね、お母さんたちも心配してるかもしれないし」
僕はそう答えると、今度は里奈が僕の手を握ってきた。彼女に手を引かれ、僕は両親の待つ場所へ急いだ。




