第七章 桜の舞うこの場所に (2)
その日、家に帰ったあと僕はご飯を食べるのも忘れ、部屋にこもって作業に取り掛かった。机の引き出しからいつも絵を描くのに使う道具を引っ張り出す。画用紙にBの鉛筆、消しゴム、三十色の色鉛筆。これだけで僕は世界を作り上げる。それが楽しくてたまらない。
まず下書きだ。鉛筆を画用紙に走らせ、昼間見たあの桜の木をできるだけ鮮明に思い出しながら、線を増やしていく。最初は何の意味も表わさなかった黒い線が、少しずつ桜という表現を作り上げていく。
桜の木が大方描き上がったところで、僕はその根元に二人の人間を描き加えた。
少年と少女、これは僕と里奈だ。二人は木の幹に寄りかかって座っている。これを見せたら里奈は喜んでくれるかな、とそんなことを思う。
下絵が描き上がったあとは、色塗りの作業に入る。消しゴムで入念に下絵を修正したあと、僕は色鉛筆のケースを開けた。これからはさらに鮮明な記憶が必要になる。僕は一度目を閉じ、頭の中にあの場面を描きだした。あの花、空気、香り、そして空。
一度深呼吸をしてから、水色の色鉛筆を右手に持つ。そして、色むらができないように慎重に空の色を塗っていく。
空が塗りおわったところで、今度は地面を塗る。面積の広い部分から順に塗っていくのが僕のやり方だ。草の緑、土の茶色、石の灰色など、様々な色を駆使し、地面を作り上げる。これで、桜の木と僕らを抜かした部分の色塗りが終わった。
次は桜だ。これは意外に難しい。木の部分は良いのだが、細かな花の部分を色鉛筆で表現するのは難しいだろう。だが、ここで辞めるつもりはない。
僕はまず茶色と灰色で木を塗り、次に桜色と赤の色鉛筆を手に取った。一つの色だけでは花を全て表現するには力不足だ。花と花が重なるところや、境目の部分は濃い色である赤を使い、差別化して表現する。それに、あの桜の花の色は白に近いほど薄かった。それも、表現しなくてはならない。
かなり細かい作業だった。汗が一滴額を流れおちた。だが、桜は僕の満足の行く表現に仕上がった。自然に笑みがこぼれる。
最後に塗るのは僕と里奈の絵だ。少し考えて、僕の服は青に、里奈の服は赤に塗った。どちらがどちらか分かりやすくするためだ。
肌色と黒の色鉛筆で残った部分を塗る。これで、完成だ。いままでに無い達成感が僕の体から沸き上がる。思わず飛び上がりたくなるような喜びだ。僕はその画用紙を両手で持って体から離し、じっくりと観察する。目立った失敗は無い。我ながら良い出来だ。
そうだ、これは里奈にあげよう。ふとした思い付きだった。きっと、喜んでくれるに違いない。自分で描いたものを自分でずっと持っているより、誰かにあげる方が遥かに有意義な気がした。
僕は画用紙を裏返し、その白い面の隅に「ほむらまさし」とひらがなで書いた。すると、なんだかこの絵が立派なものに見えてくるから不思議だ。これが僕の作品第一号だ。




