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UPI~特殊事案捜査課・江角泰地の捜査記録  作者: 朝香トオル
Case5:はじまりの夏 3年目7月
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Case5:はじまりの夏2

 木陰が多く、裏山は想像より涼しかった。爽やかに風が吹き抜け、土とも草ともつかぬにおいが鼻腔を満たす。


「なんか、子どものころはすごい壮大な冒険に出る気持ちだったけど、こんなもんだったっけ?」


「いや、最近整備されたとか言ってなかったか?」


 前はこんな階段なかっただろ、と言いながら江角はコンクリートで整えられた階段をあがる。


「階段自体はあったけど、コンクリートじゃなかったね。前は木製でところどころ腐ってたよ」


 足元を見ながら、春木を先頭に山を登っていく。徐々に勾配がきつくなると、二人の口数は少なくなった。江角は黙ったまま、春木の父が言ったことを反芻する。




 ――昔、泰地くんが迷子になったことがあったよね。




 春木の父の言葉に江角はちくり、と頭の隅で何かが引っかかるような感覚があった。例の予言は〝江角は波垂山の神によって呪われている〟というものだったが、呪い受けたのがいつなのか、江角は今まで思い出せないままでいる。


 考え事をしていると、いつの間にか随分と春木との距離が開いてしまっていた。立ち止まった春木が江角を見下ろす。


「気になるの? 迷子になった時の話」


「少しな。オレたち二人そろって思い出せねえのは、なんか変な気がすると思うんだよな」


「それは私も気になってたんだよね。父の口ぶりからして、当時は相当大騒ぎになったみたいだけど」


 ただ、あるときを境にあれだけ毎日のように遊びまわっていた裏山で遊ぶことはぱたりとなくなった。当時はただ単に飽きただけだと思っていたが――。


「……もしかしたら違ったのかもしれねえな」


 二人でそろってすっぽりと抜けている記憶が関係しているのかもしれない。口には出せなかったが、二人が思ったのは同じことだった。


 しばらく歩いていると、二又に分かれる分岐点に出た。片方は山頂へ、もう片方は平桐寺の駐車場に続く道だ。その分かれ道ではたと江角は足を止める。


「どした?」


「いや……、ここ、こんな道だったか……?」


 江角はぎゅっと眉間にしわを寄せる。頭の奥の方がチクチクと痛んだ。その様子を春木は心配そうに見つめながらも答える。


「え、多分こうだったと思うけど。土砂崩れがあったとか、そういうこともないはずだから、地形が変わっている可能性も低いと思うよ」


「……覚えてたらでいいんだが、」


 江角はそう前置いて、春木に問いかけた。


「あの日、ここを境に、オレたちはぐれなかったか」


 江角の脳裏には〝あの日〟の記憶が、少しずつ戻ってきていた。




〇




 十六年前・夏。


 小学校三年生の夏休みだった。今よりはまだ少し予想最高気温が低く過ごしやすい時分だった。野球の練習が休みの日に平桐寺に遊びに来ていた江角は、退屈しのぎに裏山の探検に行こうと春木を誘った。はじめは二人そろって並んで(当時の体格では並んで歩けた)歩いていた。


「……ねえ、なんかさっきからおなじところ歩いてるよね?」


 江角の服のすそをつまんだ春木が問いかける。春木の視線の先には、山中にある地蔵菩薩の石像――山頂までの途中には一か所しかない――があった。今日はすでに三回この石造の前を通っている。通常は子どもの足であっても、三〇分歩けば山頂に着いているはずだ。それなのに、まだこの分岐にいるというのは異常である。


「休もう」


 江角もこの状態をどうすれば打開できるか見当もついていなかった。ひとまず休むという選択をしたが、それが吉と出るか凶と出るかもわからない。


 二人は木陰に腰を下ろし、それぞれ下げていた水筒から麦茶を飲んだ。水筒の中身は約半分程度に減っており、このまま迷い続けるようであれば、心もとない量だった。


「利生、これから、どうする?」


 残念ながら田舎の私有地(なにせ平桐寺の石段の途中から分岐して入る山だ)の山に人がいる可能性は低い。山頂には平桐寺への通信設備があるが、そこまでたどり着けていない今、あてにはできない。つまり、ここから大人に助けを求めるすべはないということである。さすがに日が暮れても二人が戻らないとあったら捜索されるだろうが、この暑さの中、そこまで待つのも現実的ではない。江角の問いかけに春木はしばらく考えていたが、


「あの二又の道までもどろう」


 と言った。平桐寺につながる場所にさえ戻れればなんとかなる気がする、というのが春木の直感だった。


 その直感に従って、二人は来た道を引き返し始めたが――。


「……だめだ」


 四度目の地蔵菩薩との再会に、二人はそろって頭を抱えた。江角は春木に問いかける。


「なあ、まだ、オレに言ってねえことあるだろ」


「……なんでわかったの」


「オマエ、かくしごとするときにはポケットに手、いれるだろ。見てりゃわかる」


 江角の指摘に、春木は長い間迷っていたが、意を決したように口を開いた。


「多分、二人そろって帰れないんだと思う。前にもあったんだ。お父さんとそうじに来たときに、帰れなかった。その時は、お父さんがたばこ休憩するから先に帰れって言われて、帰れたけど……」


 今日は残念ながら、煙草を吸える大人はいない。子供二人きりだ。


「一人ずつなら帰れる?」


「うん、きっと。ぼくは大丈夫だから、たいちゃん先に帰ってよ」


「わかった」


 春木のすすめに従って、江角は先に歩き始めた。




「――そんなことをしても無駄だというのに」




 え、と江角が耳を疑う間もなく、強い風が吹いた。思わず目をつぶり、風が吹き止んで目を開けると、そこには誰もいなかった。


「利生……?」


 恐る恐る春木の名前を呼ぶが、答える声はない。先程までは何も気にせずに歩いていた山の中が急に恐ろしく感じられて、江角の膝は震えた。


「おい、利生! どっかいるんだろ、返事しろ!」


 おーいおーい、とがむしゃらに大声を出しても、返事はない。こういうときに春木が悪ふざけをしないタイプであることは江角が一番よくわかっていた。冗談ではなく、この場に春木はいないのだといやでも理解するほかない。


 一人きりの山中で江角が途方に暮れていると、背後から声がかかった。


「一人か?」


 その声に思わず江角が振り返ると、そこには、単眼の女が立っていた。長く伸ばされた黒髪と、真っ白な着物の差が江角の目に焼きつく。


「……おねえさん、だれ?」


 明らかに異形の者であるのは確かだが、そのときの江角には不思議と怖い、という感情はなかった。ただ、自分以外の何者かに出会えたということが、江角の胸に安堵の明かりを灯す。


 女は江角の問いかけには「通りがかった者よ」と答えるだけだった。


「迷うておるのじゃろう。吾(あ)の家でしばらく休まぬか」


 にこやかに誘う女に江角の中で、一瞬警戒の気持ちが戻る。疲れていて休みたい気持ちはあったが、いきなり家にどうか、と言われたことがふわふわとしていた意識を現実に引き戻した。夏休みに入る前に口酸っぱく担任教師が言い聞かせた「知らない人について行ってはいけません」という言葉が蘇る。


「でも、知らない人の家に行くのは、ちょっと……」


 ためらいながら江角が断りの言葉を口にすると、女は残念そうな顔をした。


「そうか……。そうだなあ。いきなり家に招くのはよくなかったか。当世風の真似事は難しいものよのう。では、山の麓まで送ってやろう。それならば構わぬな?」


「うん」


 本当に山の麓まで送ってもらえるのかはわからないが、ここに一人いてもどうしようもない。江角の腹は決まった。


「そうか、そうか。よかった」


 女はからからと快活に笑った。


「吾(あ)はずっとぬしと話をしてみたいと思うていたのよ。思ったよりもずっと賢い男(おのこ)であったな」


「?」


 女が続けた言葉を江角はよく聞き取れなかった。女はなんでもない、と言って江角の手を取って歩き出した。女の手はひんやりとしてやわらかかった。


 女とともにしばらく歩くと、見慣れた平桐寺の駐車場が見えてきた。ああよかった、無事に家に帰れるのだ安心した途端、妙な眠気に襲われた。重い瞼をこすりながら歩く江角に女はひそひそと何事かを囁いた。


「――えっ?」


 江角は驚いて女を見上げたが、そこにはすでに誰もいなかった。





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