Case5:はじまりの夏1
「いやいや、ダメだよ。なんでそれが通ると思ったの」
七月中旬。連日、予想最高気温が摂氏三十五度を超える中、空調の効いた――とはいえ経費節減のため温度はあまり低くない――UPI本部で江角は国屋に呆れた口調で説教されていた。普段はもっぱら江角に説教されている国屋がこんこんと江角を説く様は異様であり、誰も口をはさめないまま遠巻きに見ている。
「とはいえ以前からオレのルーツ調査は不詳のままですし、いい加減UPIの所属も長くなったんで、ここらで一度調査をはさんでいいかと思ったんです」
「そこまではいいよ。僕も理解するし、タイミングとしては悪くないと思う。でもだからってなんでそんな不審な予言モドキを信じちゃうの」
国屋の言うことはもっともであるが、江角の記憶に残ったあれを〝モドキ〟と表現するのは抵抗があった。
「そんなこと言っているとバチが当たりますよ」
「……バチねえ」
江角が珍しいこと言うね、と国屋はつぶやいた。江角は首を傾げる。
「そうですか?」
「寺育ちの春木さんならまだしも、江角はあんまりそういう非科学的なこと言わないでしょ。神罰とか信じてなさそうだし」
さらりと失礼なことを言う国屋に江角はムッとする。
「オレだって多少は気にしますよ」
いわゆる験担ぎ(靴を左足から履く)のようなものは、江角の方が春木よりも重視することが多い。
国屋は江角の言葉をじっくり斟酌していたが、やがて「わかった」と渋々承諾した。
「ただし、きちんと報告書は出すこと。出した報告書の中身がUPIの公式記録として残ることを承諾すること。この二点を飲んでもらわないと、許可はできない。どんなことがわかったとしても、報告してもらうけど、それでもやる?」
国屋の試すような口調に、江角は反発心を覚える。ここまできてやらない、と告げるような性格ではない。そもそもすでにプライバシー保護の観点から通常はやらないルーツ調査を実施しているのだから、今さら記録を残すことに対する抵抗感もない。
「はい。貴重なデータですから丁重に保管してください」
「……額に入れて飾ってあげるよ」
やれやれ、と肩をすくめた国屋に、ため息をつきたいのはこちらだ、と江角は思う。国屋とのやり取りを終えるとドッと疲れが押し寄せる。
二人の話が終わったのを見て、上乃木が江角のフォローをする。
「何か困ったことがあったら、私がサポートしますから」
「よろしくお願いします。ところで、上乃木さんは以前からオレにルーツ調査を進めてくれていましたけど……何か理由があるんですか?」
江角の問いかけに上乃木は「私の話で恐縮ですが」と前置きしてから話し始めた。
「私も実は見える家系に生まれついた人間ではありません」
「え?」
初耳だと思いながら江角は話を聞く。
「妻の家計がその手の血縁でしてね。結婚をきっかけに見えるようになったんです」
聞けば、上乃木は妻の家に婿入りしているという。
「厳密にその血が流れているわけではありませんが、婿入りという形で縁を結んだことで見えるようになったというのもあるわけです。これも盲点というか、思わぬ形で発現したものなので、調べるのにえらく時間がかかりました」
「ちなみに奥さんもここに関連したお仕事を……?」
「いえ、普段は小学校の教員として働いていますよ。義父はI夜神社の先代宮司ですが」
「……」
江角にはまだわからない感覚だが、義理の父とともに働くのは大変なのではないか、と思う。しかし、上乃木の態度を見ていると特に気にする様子もない。
「そういうわけで、万が一、私が妻と離婚するようなことがあれば、UPIで働く資格を満たさなくなりますので、異動する取り決めになっています。こういう資格を満たさなくなる条件は知っておいた方がいいと思うんです。UPIにとっても、江角くんにとっても」
「ありがとうございます」
上乃木の言うことも理解でき、国屋が懸念を示すのも理解はできる。しかし、江角にとってあの言葉が指すところがどうしても気になって仕方がなかった。
〇
それから数日後、取り扱っている事件が落ち着いた江角は、平桐寺を訪ねていた。
匣の事件から約一年経ち、再び夏の繁忙期を迎えようとしている春木に、江角個人の事情も絡む件を依頼するのは非常に気が引けたが、この機会を逃すと次はいつ調査に踏み切れるかわからない。
江角に缶の野菜ジュース(お中元として大量に送られてきたものである)を手渡した春木は、自分も同じものをもってダイニングテーブルに着いた。ぷしゅ、と音を立ててプルタブを引く。
「それで、裏山に行く話でいいんだっけ」
正式には波垂山という名前だが、平桐寺の裏手に位置するため〝裏山〟と呼ぶのが春木家およびその知り合いの間では通例だった。
「ああ、できれば今日行っときたいところだから、話が早いのはありがてえが……本当に付き合ってもらっていいのか?」
「逆に一人で行く気だったことが信じられないよ。そういう検証は二人以上でやらないと意味ないでしょ。ていうかあの山の所有権はうちにあるんだからね。私がダメだって言ったらそもそも入れないんだよ」
呆れたように言う春木に、江角は黙って缶ジュースをすすった。するとその場にひょっこりと、住職である春木の父・典正が顔を出した。
「おや、泰地くん、久しぶりだね」
「こんにちは、ご無沙汰しております」
挨拶を返す江角に典正はカラカラと笑った。
「やだなあ、そんなにかしこまらないでよ。なに? これから裏山に行くの? お仕事?」
にこやかな恵比寿顔で訊ねる典正に、二人はうなずいた。典正は「裏山といえば」と何かを思い出すように顎に手を当てた。
「昔、泰地くんが迷子になったことがあったよね。夜になっても泰地くんが帰ってこなくて、一緒に遊びに行ってた利生だけが大泣きして帰ってきてね。このあたりの大人みんなで捜索したんだけど……覚えてない?」
当時は慌てたけど、今となっては懐かしい話だよね、と典正はのんびり言う。このあたりが息子である春木にも遺伝している部分だと江角は思うが、今はそんなことを思っている場合ではない。江角は懸命に当時のことを思い出そうと頭を回転させるが、なんとなく頭の隅が刺激されるような感覚があるだけだった。
「いや、思い出せないです……」
「私もよく覚えてないなあ。それ、いつの話?」
訊ねる春木に、典正は「多分二人とも小学校の低学年から中学年くらいじゃなかったかな。夏休みに泰地くんがうちに遊びに来てたんだったと思うけど」と答えた。二人は顔を見合わせたあと、首を傾げる。その様子を見た典正は吹き出した。
「二人とも小さかったし、お互いにショックもあっただろうし、覚えていなくても別に不思議じゃないよ。まあ、大人になったとはいえ、気をつけて行ってきなさいね。暗くなる前には戻るんだよ」
そう言って典正は、虫よけミストを手渡した。もともと墓参りにやってくる参拝者のために用意しているものだが、中身が少なくなってくると下げられる。二人はボトルの底に雀の涙ほど残っている液体を無理やり取り出して、腕と首に塗りこめた。




