Case4:旧百貨店の七不思議3
【検証二:三階の婦人服売り場のマネキンが躍る】
階段で三階まで上がった二人は、周囲を見渡す。視界に入る範囲には特に何もない。
「こっちはデマか?」
「どうだろうね? さっきほどわかりやすくないだけかもよ?」
周囲を警戒しながら二人はフロアを一周することにした。懐中電灯で天井から床までを一通り照らしながらゆっくりと歩くが、特に不審なものは見当たらない。こちらもすでに片づけが進んでいるようで、フロアはがらんとしていた。
「特に変なものはねえよなあ……」
そう言いながら江角がフロアの隅を懐中電灯で照らした瞬間――。
「キャーーーーーーーーーッ!」
絹を裂くような悲鳴が上がった。一般人が紛れ込んでいたのか、と慌てて声がした方に駆け寄るが、その瞬間、何かが江角に向かって飛んできた。危うく顔に直撃する手前で、江角はなんとか受け止める。飛んでくる物体を受け止めるのは元野球部の江角にとっては造作もないことだ。妙に硬い感触のそれを見ると、マネキンの手首から先――要するに手が飛んできた。
「なんだこれ⁈」
江角がマネキンの手に混乱していると、その場に次々と女の声が響いた。
「なんだじゃないわよ! 変態! 助平! 後ろ向きなさいよ!」
「そうよそうよ! なに勝手にこっち見てんのよ!」
「やめなよ、二人ともぉ~人間とアタシたちじゃ感覚違うんだからさあ~」
文句を言う二つの声とそれをなだめる一つの声。江角に投げつけられたものがマネキンの手だったことから、彼女(?)たちがおそらく七不思議のひとつとして噂されているマネキンなのだろう。江角が背を向けたところでようやく、彼女(?)たちは状況を説明し始めた。
その内容をまとめると、
「要するに、これまでは服を着せてもらうのが楽しかったのに、今は着せてもらえなくて困ってると。こういうことだね?」
ということのようだ。江角には後ろを向けと言うくせに、春木には言わないあたりも腹が立つ。マネキンたち曰く「坊さんに見られるのは別に何とも思わない」らしい。そのあたりの妙な羞恥心が江角には理解できず、背を向けたまま首を傾げた。
「そうよ。裸でこんなとこに置かれて迷惑してるのよ」
「恥ずかしいったらないわ。ていうかあんたいつまでアタシの手、持ってんのよ、早く返してよ」
「だから仕方ないじゃない。この人たちに言ってもしょうがないわよ」
声だけ聞けば随分可愛らしく聞こえる。江角も春木も女姉妹がいるが、数では春木に軍配があがる。上手にすべてのマネキンたちの話を聞き終えた春木は「とりあえず何か着るものがないといけないよね」と言った。
「まあ、仕方ないのはアタシたちだってわかってるから、別に着るものがないのはいいのよ。なんでもいいから、変な人間入れないようにしてちょうだい」
「アタシたちも困ってるのよ。静かに余生を過ごしてるのに、昼はまだしも、夜も変な人間に入られちゃって」
春木にひとしきり話を聞いてもらって落ち着いたらしいマネキンは言う。彼女(?)たちも閉店した百貨店にいる以上、己の運命は受け入れているようだ。
「たまたまアタシたちは長く使われるうちに意識が芽生えたけど、こんなのは珍しいことだから、あんたたちは気にしなくていいわ」
とはいえ、こうして言葉を交わしてしまうとなんとなく見捨てられないのが人間である。確約はできないが、なんとかならないか国屋と交渉することを江角は心に決めた。
「わかった。変なやつらが入らないようにはするから、ちょっと待っててくれ」
「ふふ、こう見えても私たち、警察だからね」
「オマエは正式な警察じゃねえだろ」
江角のツッコミを春木は笑顔で流し、マネキンたちに「最後に一つ訊いていい?」と声をかけた。
「なにかしら?」
「今から言う五つのことに何か心当たりがあれば教えてほしいんだけど」
そう言って春木は、残る五つの七不思議について話した。マネキンたちは「そうねえ」と顔を見合わせた。
「レストランフロアからかはわからないけど、たまに上の階で気配を感じることがあるわね」
「それ以外はわからないわ。アタシたちここから動けないもの」
スタンドで固定されているタイプのマネキンである以上、おしゃべりや手が届く範囲で動くことはできるが、フロア内を移動することはできないようだ。
江角と春木は礼を言って、マネキンと別れ、次の階を目指した。
「……どう思う?」
「上の階ってのがどっちのことなのか絞り込めたらありがたかったんだけどな」
「いや、そうじゃなくて、」
やっぱり彼女たちに布くらいかぶせてあげた方がいいんじゃないかと思ったんだけど、と春木は言う。
「ま、それはオレも賛成だが、その役目はオレたちじゃねえな」
昼間にでも誰か女性職員に行ってもらいてえよ、と江角はぼやいた。マネキンの手を投げつけられるのは、今回で最後にしたい。
【検証三、四階のトイレの鏡をのぞくと自分ではない何かが映る】
「映らねえな」
「映らないねえ」
カメラのレンズを通すと映ることがある、というのも試したが、特に変化はなかった。時間が悪いか、デマなのか。今回の調査だけでは絞り込めない。
「女子トイレも試す?」
「調査とはいえ気は乗らねえけどなあ」
女子トイレといえば怪談では定番の場所である。何か起きても起きなくてもすっきりしないな、と思いながら女子トイレに移動するが、そちら側でも特に何も生じることはなかった。
「ま、自分の懐中電灯の光を勘違いするってことも多いだろうな。今回は異常なし。時間帯でどうなるか検証する必要があれば、また誰かが動くだろ」
「うん。そうだろうね」
しん、としたトイレは特に変化もない。売却までの施設維持のため、水道は通したままにしているようだが、水漏れ等の異常もなく、平和そのものだった。
「さっさと次に行こうぜ」
【検証四:誰もいないはずのレストランフロアから宴会の声が聞こえる】
【検証五:階段の踊り場にいると突然足首を掴まれて引きずり込まれる】
現在四階まで上がってきた江角と春木だが、これまで特に階段の踊り場で異変は起きなかった。ここからレストランフロアである六階まで階段を上りつつ、七不思議の検証もする必要がある。
「これだけはデマじゃねえのが確定だからなあ……」
「そうだね……」
慎重に足元を照らしながら進む。今のところ、タイル材でできた階段のままであり、特段足を取られそうな場所はなかった。
「ん?」
五階から六階に上がろうかというところで、江角は踊り場に水たまりがあるのに気付いた。
「水漏れか?」
今日の日中は快晴であり、雨漏りの線は薄い。これは管理者に報告だな、と江角が記録用のカメラを持って近づいた瞬間――。
「うおッ⁈」
「なに⁈」
水たまりは突然拡大し、江角はぎりぎり避けたものの、春木は見事に足を取られた。咄嗟に手すりを掴んだ春木だったが、何かに引っ張られているかのようにずるずると水たまりの中に足から沈んでいく。
「なんッ、だよ、これッ……!」
バタバタと足を動かす春木に、江角はウエストポーチから取り出したボールを握ったまま怒鳴った。正月に煩悩を祓うために使ったお浄めボールの残りだが、今でも十分に効力があるはずだ。春木の足を掴んでいる手に当たれば、この手は消える、という確信が江角にはあった。が、
「ちょっとそのままじっとしてろ! 足動かすな! 狙いがズレる! 骨、折りてえのか!」
春木が抵抗するため狙いが定まらなかった。
「そんなこと言われても! 抵抗しないと沈んじゃうんだってば!」
多少の犠牲はやむを得ない、許せ利生、と江角は内心で謝罪し、狙いを定めて春木の足を引っ張る手に目掛けてボールを投げた。手に当たる前に、ボールはこれまたいつの間にか移動していた水たまりに吸い込まれていく。
ぼちゃん、とボールが水に落ちる音がしたかと思うと次の瞬間「ギャッ!!」という短い悲鳴が上がって、手は水たまりごと消失した。
その場には膝から下の足をぐっしょり濡らした春木と、肩で息をする江角だけが残された。
「……死ぬかと思った」
全力で抵抗したらしい春木は随分と消耗していた。この前には、小鬼と三十分近く追いかけっこをして走っているのだから、疲れて当然だ。だが、江角としても春木を取られてはならないと一瞬にしてアドレナリンが放出される状態になったため、精神的に消耗していた。
「オレもだよ。とりあえずその水の成分は要鑑定だな」
「え、」
「着替えてもいいけど、そのズボンは洗濯するなよ」
ええーと抗議の声を上げる春木に「仕方ねえだろ、仕事なんだから」と江角は言った。そして、春木を振り返って声をかける。
「なあ」
「なに?」
「さっきの手の強さ、どれくらいだった? あのまま振り払えそうだったか?」
江角が見る限りまったく振り払えそうには見えなかったが、春木本人の体感が知りたかった。春木は江角の質問の意図に気づいたようで苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「たいちゃんが訊きたいことは察するけど無理だよ。一応健康な成人男性のつもりだけど、あれは多分振り払えない。たいちゃんの助けがなかったら私も死んでたと思う」
「……わかった」
つまり、坂井の生存は絶望的かつ、行方もわからないため遺体を回収できる可能性も非常に低い。非常に頭の痛い結果になってしまった、と江角は思う。
本部長に結果を報告するのは国屋であるため、江角自体は特に報告内容を考える必要はないのだが、さすがに今回は国屋に同情してしまう。しかし、江角が同情したところで国屋の負担は変わらない。江角は頭を軽く振って話題を変えた。
「ところで、それどうする? 警備室に戻って着替えるか?」
「着替えはあるけど靴はないし、もうこのままでいいよ。六階までももうちょっとだしさ……」
そう言って春木は上階に視線をやった。上からはざわざわと人が話すような音や、それに加えてときおり笑い声が聞こえる。春木と江角が大騒ぎしていてもお構いなしの様子から推察にするに、宴会はかなり盛り上がっているらしい。
「なんの宴会だろうね」
「少なくとも生きてる人間の宴会じゃねえのは確かだな。会場のもん食うなよ」
「食べないよ。私、そんなに食い意地張ってるように見える?」
黄泉戸喫を心配して声をかけた江角に春木は文句を言う。江角は春木の文句を黙って流したが、ヤセの大食いとでも言うべきか、春木は見た目のわりによく食べるため、あまり彼の言うことを信用していなかった。
六階に上がった二人が目にしたのは、煌々と輝くレストランだった。たくさんの人が話しながら楽しそうに行き来する姿が見える。
「これ、全部霊か?」
思わずつぶやいた江角に、春木は「そうだね」と言った。
「でも、幽霊というか、なんというか……。在りし日の思い出を見せられてるような気がする」
騒がしいには騒がしいが、誰かを困らせようという意思は感じられず、楽しかった日の再現のようなそんな温かみを感じた。江角はくるり、と六階を一周撮影して戻ってきた。
「どうする?」
「うーん、私もこれは特に何もしなくていいと思うけど。お経あげといてもいいかもしれないけど、それもなんか野暮な気がする」
「わかった。オマエがそう言うってことはそうなんだろ。要経過観察で報告はあげる」
長く使われた百貨店であり、数々の晴れの日の思い出が染みついた場所なのだろうと思わされる光景だった。背広を着て髪をなでつけた男性、訪問着を着た女性など、見える光景は平和そのものだ。
「売却が決まるまでは、思い出に浸るのもいいだろうしな」
その分、部外者の立ち入りは厳しく制限しておくべきだと江角は思う。下の階で会ったマネキンたちのように、あれこれ騒がれるのも厄介だ。
「じゃあ、下りるか」
江角はそう言ってエレベーターの下向きの呼び出しボタンを押した。




