Case0:黄泉渡りの坂3 終
同日、夕刻。
再びH町の黄泉平坂駐車場に車を停めた江角・国屋・上乃木の三名は、日が暮れようとする中、石柱で隔てられた広場の前まで移動した。異常なまでに暑いにも関わらず、日暮れは秋のそれであり、感覚が狂わされる。
「……明日にしなくてよかったんですか。何もこの時間にわざわざ来なくても」
黄昏の時刻、別名・逢魔が時の訪問となったことを上乃木が若干咎めるような口調で言う。だが、国屋は首を横に振って「だからこそだよ」と答えた。
「江角くんはうっかり昼でも首を探す〝何か〟に会った。ただ、それは江角くんの運によるもので、僕らがそれに会おうと思ったらこの時間を狙わないといけない」
「……」
そんな運はいらない、と江角は思ったが、口にしたところで良い結果になったためしがないため黙っておいた。いつの間にか眼鏡をかけた国屋が式神を石柱の間に立たせ、向こうへと向かわせた。
「その眼鏡は?」
「補助だね。僕は江角くんたちとは違って、怪異を見る力は弱いから、調査に出るときはこれがないとだめなんだよ」
国屋はそう言って、眼鏡の奥の目を細めた。石柱と注連縄で隔てられた向こう側は別世界のため、表面的には何事もないように見えるが、実際にはあの灼熱地獄が待っているのだと思うと、江角はごくりと生唾を飲みこんだ。
そうして数分――体感はかなり長く感じられたが――待っていると、石柱の向こうからゆらり、と二人分の人影が見えた。
「う、」
思わず江角は口元を手で押さえる。二人分の人影はあったものの、江角の形をとった式神の頭部は完璧に失われていた。凄惨な遺体に直面するのは慣れているつもりだが、自分の形をしたものが損なわれているのを直視するのは気分のいいものではない。一方、国屋の形を取っていた式神は無傷である。
「あー……やっぱりかあ」
国屋はそう言って式神を形代に戻し、つまみ上げた。国屋の形代は本部で見た時のまま白かったが、江角の方はところどころ赤黒い汚れが滲んでおり、何より形代の頭部がなくなっている。
「佐草が思ったより楽観的だったのが気になってたんだけど……呪詛というよりは単純な執着を向けられてる感じだね。こりゃしばらく、江角くんは外出禁止かなあ」
「え、」
「しばらくって言っても数日だよ。この件は神祇班に任せる必要があるから、対処が終わるまではUPI本部で待機。不用意に外出すると命に関わるからね」
「家に着替えを取りに帰ったりは……」
思いがけない外出禁止宣言に江角はダメもとで訊ねてみるが、国屋はあっさりと否と言った。
「もうじき夜になるからやめた方がいいね。江角くんもロッカーに着替えくらい置いてるでしょ? コンビニでパンツだけ買っておいで」
「……セクハラになりますよ」
捜査で汚れることもあるから、と大体の警察官は着替えをロッカーに置いている。江角も例にもれず、着替えは置いているが、まさかこんなに早く役に立つ日が来るとは思わなかった。
「それと夜はちゃんと、神祇班が用意してくれた部屋で寝てね」
「……はい」
思ったよりも大きな騒ぎになってしまったことに対し、江角は恐る恐る訊ねた。
「あの……今回の件って……」
始末書を書く必要があるのだろうか、と訊ねる江角に、上乃木が答えた。
「いや、江角くんが責任を感じることは何もありませんよ。本件の責任は調査をお願いした私や国屋さんにありますから。この事態は江角くんではなくとも起きる可能性がありましたし、逆に江角くんがあの場に行ってくれたからこそ、事態の深刻さがわかったので非常に助かりました。ですので、どちらかというと功労者としてボーナスを出すべきです。ねえ、国屋さん」
上乃木の言葉に国屋は「助かったのは上乃木の言う通りだけど、残念ながら県警から公式にボーナスは出ないよ。僕が飲み会で一杯おごってあげるくらいかな」とのんびり答えた。
「それにこういう場で責任を取るのは僕だから、心配しなくていいよ。人間と違って、ああいうのは自然現象みたいなものでもあるから、僕らの思い通りにならないことだってたくさんあるし、そんなのに一々責任感じてたら身が持たない。だから、安心して僕に責任押しつけといてよ」
そういうものか、と思いながら江角は国屋に一礼した。
「それと、これが解決するまでは、仕事にも出なくていいから、ちょっとした休みだと思ってゆっくりしてて」
「……国屋さんって、たまに難しいこと言いますよね」
職場に缶詰めになっているのにゆっくりする、というのは江角にとって非常に難易度が高い。みんながみんな、国屋のようにマイペースではないのである。
数日後。
「終わったから、今日から家に帰っていいよ」
あっさりと江角には帰宅許可が下りた。国屋と上乃木曰く、無事に地獄の釜の蓋も閉じたということだったが、江角には疑問がいくつも残っている。
「結局、あれは何だったんですか?」
「まつろわぬものの成れの果てだよ」
「?」
聞き慣れない単語に江角は首を傾げた。
「要するに地獄の住人――罪人と言い換えてもいい。その中でもたまたま力を持ったものが地上に出てきていた状態だった。遥か昔には名のあるものだったようだけどね」
「名のあるもの」
おうむ返しに言う江角に国屋は苦笑して「昔の話だよ。今はもう、なんでもないものだ」と付け加えた。
直感的に神祇班に頼まなければならない、と国屋は判断したようだったが、その直感は当たっていたことになる。場数を踏めば誰でもできるよ、と国屋は言うが、その場数を踏むというのが難しいのだとこの一件を通して江角は理解した。命を失わず、重篤な怪我をせず勤務を続ける、というのは案外難しい。
「ところで僕は今回、江角くんに国屋の言うことを聞け、という指示を与えたけど、それは覚えているね?」
「はい」
言うことを聞いていれば危険な目には合わないという話は結果的に嘘になってしまったが、それはこの場では言及しない。
「あれはちょっとした試験だったんだ。江角くんは怪異を見る力はある。でもそれだけでUPIに適性があるとは言い切れない。見る力を持っていても、警察官として基礎がなってないと務まらないんだよ」
「……それは、オレがここに来る前に実施することじゃないですか?」
「だってモタモタしてたら別の課への異動の人事決裁が出そうだったんだもん。一旦うちにもらっておいて、適性がなかったら春の異動で生安に返そうかなって」
可愛い子ぶって答える国屋の横で江角はこめかみを押さえた。
「もん、って……国屋さんいくつですか……」
「ナイショ」
職員データを見ればすぐにわかることだが、無駄な労力を払う必要はないと江角は判断する。国屋は茶化すような態度を引っこめると、じっと江角を見つめて告げた。
「君自身は大したことないって思っているかもしれないけど、得体の知れないものを前にして、恐怖心に負ける人は多い。それに負けなかった君はUPIへの適性が非常に高いってことだ。――もちろん褒めてるよ」
恐怖心に負けて、適正なし判定で元の部署に返した子も多い、と国屋は付け加えた。江角がUPIを訪れた当初、なかなか新人が入らない部署だと国屋がぼやいていたが、新人が定着しないが正しい状態なのだと江角は理解する。
「ありがとうございます」
能力を評価してもらえたことは素直にうれしかった。不可思議な部署への適性があると言われたことは複雑ではあるが、半年で元の部署に返されるのも業腹であり――しばらくやってみてもよいかと江角は思う。
「まあ、今回は指示を聞いてもらうことが必要だったけど、これから時と場合によっては指示に従う場面も、従わない場面も出てくると思う。それはさっきも言った通り場数踏んで鍛えるしかないね。年内は上乃木の補佐で経験を積んで、年が明けたら特別協力人を選定して組んでもらうつもりだから、そこから本格的にがんばってもらうね」
「わかりました」
素直に返事をした江角を、国屋は目を細めて見つめた。
「――期待してるよ、江角」
江角がハッとして国屋の顔に視線を合わせると、国屋は江角に短く片目をつぶってみせた。どうやら〝江角くん〟という呼び方は、試用期間限定だったようだ。
(……仕事は奇妙なものばかりで死にかけたし、部署にいるのも変人ばかりだし、上司はこんな人だけど、)
でもどうしてか、UPIでの仕事を心の底から拒否することはできそうになかった。
(やれるだけやってみるか)
UPIへの異動が決まった当初よりもほんの少しだけスッキリした気持ちになって、江角は大きく腕を伸ばした。




