Case3:見守りの蔵4
「おはようございます」
出迎えてくれた蓮沼藤右衛門は、数日前と変わらず溌溂としていた。今日は蔵の確認ではなく資料の確認が主なため、旧蓮沼邸の母屋――現在は資料館として使われている――の方に通してもらう。
古い家の間取りそのままであるため、土間の横に囲炉裏がある。靴を脱がないままでも板の間に腰かけることができたが、早朝で暖房もついていないため非常に尻が冷える。
「こちらですね。私の祖父もしくは曾祖父あたりの記録です。恥ずかしながら、私が物心つくころにはどちらも亡くなっておりましたし、先代の藤右衛門もあまり話をしたがらないので、資料以上のことはあまり知らないのですが……」
そう言いながら藤右衛門が出してきたのは、古い手記だった。紙のしおりが挟んであるページを藤右衛門が開く。
「一応それらしい話があったのはここですね」
そこには江角の予想通り、戦中の混乱に乗じて蔵泥棒が入ったと記述があった。蔵にあった保存用の食糧を盗まれた上、戸締りが甘かったため鼠害にあってしまった、という。
「……当時としては致命的だな」
「ええ、そう思います」
蓮沼家だけではなく近隣一帯の貴重な食糧を保管していた蔵がやられたとあっては、かなり責められたことが容易に想像できた。
春木が記述された箇所を指さして訊ねる。
「こちらですが……実際には先々代とさらにその前と、どちらがご当主だったんですか?」
「記録上は四代前ですね。私の曾祖父……の兄に当たる人です」
明朗だった藤右衛門が初めて言い淀んだのを江角は見逃さなかった。すかさず感想に見せかけた質問をする。
「藤右衛門さんから直接さかのぼるわけじゃないんですね」
「ええ。残念ながら四代前には子供がいなかったようなので、私の祖父が養子として育てられたようです。書類上は直系になります」
藤右衛門の言葉を聞いて、蓮沼家ほどの大きな家になるとなかなか家系が複雑になるのだなと江角は納得した。
「で、この手記の最後に『さる高名な導師に泥棒よけの封じを施してもらった』って書いてあるんですけど……これは?」
「それが例の御札かと思っていたんですが、違うんでしょうか……?」
藤右衛門の言葉に江角と春木は顔を見合わせる。もしそうであれば、蔵の目玉に説明がつかない。あれもきっとなにかきっかけがあるに違いないと二人は考えていた。
現当主の藤右衛門がわからないのであれば、江角と春木が自由に話を聞ける人間はほぼいない。不明案件(UPIの中でも解決できなかった事件は不明案件として原則五年は記録が保存される)行きにすべきだろうか、と江角が考えていると、背後からしわがれた声が響いた。
「――違うね。あれは藤悟が呼んだもんだ」
驚いた三人が振り向くと旧母屋の入り口に小柄な老婆が立っていた。藤右衛門が「ひいおばあちゃん、どうしてここに?」と声を上げた。
「あんたが昨日からあれこれ探してるのを見てぴんときた。あの蔵のことを調べてんだろ。あんな不気味なもんを残すなんて、藤悟もどうかしてる」
「不気味……?」
藤右衛門は老婆の言葉に首を傾げている。どうやらこの老婆には蔵の目玉も見えているらしい、と理解して江角は老婆に訊ねた。
「藤悟さん、というのはどなたですか」
「四代前の藤右衛門だ。私の十歳上の兄」
江角の頭の算盤は目の前でしゃべる老婆が百歳近いとはじき出す。足腰がしっかりとし、言葉もはっきりと話す老婆は年齢よりも随分若く見えた。
「あいつは蔵に泥棒が入ったあとから、何かに取り憑かれたようだった。目がぎらぎらして、妙な迫力があっておぞかった。そんで、ある日、導師だっつうへんてこな坊主を家に泊めたんだ……わたしは、反対した」
「導師……というと僧侶でしょうか」
春木の問いかけに、老婆は首を横に振る。
「……いや、とてもじゃねえがあんたみてえにまともな僧侶には見えんかった」
今日の春木は前回と同じく法衣ではなく、防寒特化の洋服を着ており、頭も毛糸の帽子をかぶったままのため、江角は内心で老婆の慧眼に舌を巻いた。
「そいつが去ったあと、集落の女が一人、腕に目玉をたくさん生やして死んだ。藤悟は天罰が下ったんだと喜んでいたが、わたしゃとても喜べんかった。藤悟はその後、食いもんへの執着がどんどん強くなって、最後には棺桶にありったけの米を入れてくれと遺言を残して死んでった。餓鬼みてえに痩せてな」
老婆の話に他の三人は絶句した。先代含めた藤右衛門が、現藤右衛門に話をしたがらないわけである。この老婆はきっとすべてを見てきたが、それゆえに口を閉ざしていたのだろう。口を開いてろくなことになる未来は見えないのだから。
「あれは危険だ。あの女は犯人じゃねえのに犯人に見立てられて殺された。正気の人間が使っていい道具じゃねえ。その証拠に藤悟もさっさとくたばっちまった」
老婆は弟の死を悼むでもなく、淡々と事実を述べた。女は蔵に盗っ人が入った時間に老婆と一緒にいたのだという。物理的に窃盗が不可能な人間がなぜ犯人に見立てられたのかは、老婆もわからないと言った。
「……あれが残っている理由になにか心当たりがありますか」
「心当たりも何も、藤悟のアホが処分の方法を聞かなかったもんでよ。しかたねえから、薬師さんに頼ったんだ。病んだ目には薬師さんつうだろ?」
老婆の話に江角は「もしかして」とつぶやいた。恐ろしい事実から目をそらしたくなる気持ちを抑えて、訊ねた。
「あの御札は、例のまじないの力を弱めるためにあったんですか」
「そうだあ。だから蔵の奥から手前を見つめるように置いてんだよ」
藤悟が置いたやっかいなもんあるからな、と言う老婆の言葉を聞いた江角は、老婆に「ありがとうございます」と礼を言って藤右衛門を振り返った。藤右衛門の顔色は寒い環境にいたことを差し引いても悪かった。彼女も江角が気づいた事実に薄々勘づいたのだろう。
「オレたちはとんでもない勘違いをしていたのかもしれません。あの蔵には二つのまじないが施されていた。一つは四代前の藤悟氏が仕掛けた泥棒よけの目に関するまじない。そしてもう一つは、今聞いた一空寺のまじないです。一空寺のまじないは、藤悟氏のまじないを抑える効果を持っていて、九〇年近くこの場にあった。御札から聞こえたうめき声はおそらく……」
江角の言葉を引き取って春木が続ける。
「御札自体が自らの効力が限界だと訴える声だった。それに気づけたのはよかったけど、三日前に私たちは一空寺の御札をはがしてしまった。一応お訊ねしますが、あれ以降、変わったことはありませんでしたか」
春木の言葉に藤右衛門は首を縦に振った。小さな声で答える。
「はい、特におかしなことは起きていません……今のところは」
「……そう簡単に起きるもんかね。あの御札でだいぶまじないは弱ってた。力を取り戻すには時間がかかるはずさ。現にあんた、別に嫌な感じはしないだろ」
老婆は春木を指さして言う。
「しません」
「早いうちに新しい札を貼ってやんな」
じゃ、と言って去っていこうとする老婆に藤右衛門が声をかける。
「なんで私にも黙ってたの?」
怒ったような拗ねたような口調で訊ねると、蓮沼藤右衛門らしさが途端に薄れ、年相応の女性――いうよりは老婆のひ孫らしさがあらわれる。
「あんたには別にあんな気色の悪いもん見せなくていいかと思ってよ」
「え?」
「蔵に目玉がぎょろぎょろついてるなんて不気味でねえか」
藤右衛門は江角と春木に本当か、と視線で訊ね、二人は無言で首を縦に振った。春木が言いづらそうにしながら藤右衛門に言う。
「……蔵の一般公開は、やめておいた方がいいと思います」
「オレもそう思います。個人としても、県警の立場としても」
下手をすると一般公開に踏み切って、蔵の中身が何かなくなった場合――それが故意であっても事故であっても――蔵から持ち出した人間の無事が保障できない。
江角はそこまで考えたが、藤右衛門にはあえて言わなかった。言わずとも聡明な彼女であれば、曾祖母の話と江角たちの警告をきちんと理解できるだろう。
「……わかりました。検討します」
硬く抑えられた声色で藤右衛門は答えた。江角は改めて藤右衛門に告げる。
「では、以前の御札はきちんと供養したうえで、新しい御札をお持ちします。何か変わったことやおかしなことがあれば、すぐに連絡をください」
「はい。……ありがとうございました」
藤右衛門は頭を下げる。仕上げの仕事に取りかかろうか、というタイミングで「ちょいと」と老婆は江角を手招きした。
「? なんでしょうか?」
まだ何か曰くつきの話が出てくるのか、と江角が若干身構えながら老婆の背に合わせてかがむと、老婆は目を細めて江角を見た。
「あんた、妙な因縁をくっつけてるね。気をつけた方がいい。それは、あんたの力にもなるが、障害にもなる」
「……」
「ま、婆の忠告だと思ってありたがく受け取んな」
それだけ言うと、老婆は現在の母屋の方へ、えっちらおっちらと雪道を歩いていった。その場で江角は茫然として老婆を見送った。
「大丈夫?」
横から春木に声をかけられて江角はハッと我を取り戻す。老婆の話が聞こえていたらしい春木は言う。
「私も気になっていたんだけど、ちゃんとたいちゃんの力のルーツ探しておいた方がいいと思うよ。私も協力するから、サブテーマとしてやってみない?」
UPIの仕事の方が優先であることを理解したうえでの提案に、江角は考える。以前、上乃木に言われて実施した身辺調査では、霊的なものを見るための血筋とはまったく縁がなかったため、さらなる調査が必要だと言われていた。
「……考えておく」
「それ、考えたくない人が言うセリフだよ」




