第6話 ヤバいのはBL愛?
「今日からお前たちに新しい相棒が配備される」
国家警察省地下訓練施設。
俺たちO-72小隊の前に現れたのは、
一匹のシェパード犬だった。
つぶらな瞳。賢そうな顔。普通に可愛い。
「警察犬……ですか?」
訓練士が胸を張る。
「自慰行為の痕跡を嗅ぎ分ける特殊犬です」
「……。」
一同沈黙。
嫌すぎる。
「この子は特に優秀なんですよ」
「はあ……」
「名前は『イカティッシュ号』です」
「え?なんて?」
「ほら、ベルギーのフランダースにいた有名な犬の名前にちなんで……」
「絶対に違う!」
俺たちは即座にツッコミを入れた。
「ワン!」
イカティッシュは嬉しそうに尻尾を振った。
「イカティッシュ。僕、疲れたよ……」
なんだか、
自分以上に可哀想な境遇のヤツと出会ってしまった。
ーーーー
その日は国家警察と地元署の合同取締だった。
俺たちはイカティッシュ号を連れて渋谷に立っていた。
ハチ公広場。
雑踏。若者たち。その中を、通行人の股間の臭いを嗅ぎ回る警察犬。
地獄だった。
「あれ見ろよ……」
「ああ。噂の“オナドッグ”だ」
イカティッシュ、早速、変な名前つけられてるぞ。
同情しかない。
「ワン!」
イカティッシュが突然反応する。
「あー、すみません。自慰検査のためパンツの提出を……」
「嫌です」
「ですよね……」
俺も嫌だ。
任務とはいえ、
こんな仕事をする為に警察官になった訳じゃない。
そう思っていた時だった。
「ふざけんなよ!」
怒号。人だかり。
若い女性が警察官を怒鳴っていた。
「公務執行妨害で逮捕!」
警察官が女性を取り押さえる。
「何があったんです?」
近くの警官へ尋ねる。
「あー……聞き間違いらしいんだよ」
「聞き間違い?」
「班長が“BL愛がヤバい”って聞こえたらしくて」
「は?」
「でも実際は“BMIがヤバい”って体重の話だったらしい」
「……。」
俺は空を見上げた。
なんだそれ?
「じゃあ解放すれば……」
「ところが女性側も怒っちゃってさ」
警察官は気まずそうに頭を掻く。
「引くに引けなくなったんだよ」
その時は、ただの馬鹿なトラブルだと思っていた。
だが。この事件が日本を揺るがすことになる。
ーーーー
数日後。
日本中の映像端末が一斉にハッキングされた。
街頭モニター。スマホ。電車内広告。
あらゆる画面に、悪魔のような女が映し出される。
褐色の肌。黒い角。妖しい笑み。
快楽提供AI・サキュバス。
『はーい♡みんなの居場所、サキュバスだよ♡』
「サキュバス……」
小隊控室も騒然となる。
『今日はこれを見てね♡』
映像が流れる。
先日の渋谷の映像のようだ。
「キャハハ!最近太ってきたんじゃない?」
「マジかー。BMIヤバいかも」
そこへ警察官が現れる。
「そこの二人。性的秩序維持法違反の疑いで話を聞かせてもらおうか」
「は?」
「君たち、ボーイズラブというのか?“BL愛”がどうのと言っていたな?」
「は?体重の話ですよ」
「お巡りさん。“BMI”ですよ。“BMI”」
「ちっ。紛らわしいな。いいぞ、あっち行け」
「何だよ。その態度!」
「せめて、謝れよ!」
「はいはい。もういいから」
警官が手で追い払うような仕草をする。
「ふざけんなよ!」
女性が警官を突き飛ばした。
「公務執行妨害だ!」
警察官たちが女性を制圧する。
そこで映像が止まった。
サキュバスが微笑む。
『ねえみんな♡』
『政府はBLって言っただけで逮捕するんだよ。怖いねぇ♡』
その瞬間。ジローラモが画面に割り込んだ。
黒い修道服。狂気的な雰囲気。
どちらかというと、こちらの方が悪魔だ。
『社会ノ秩序ヲ守ルタメニモ異常性癖ハ駆逐セネバナラナイ』
サキュバスは小さく笑った。
『ねえ、本当にそれで良いの?』
『こんな息苦しい世界の実現が人類の望みなの?』
『秩序アル人間社会ハ繁栄ノ証』
『じゃあ質問♡』
サキュバスが優しく問いかける。
『人間は何のために生きてるの?』
『社会ヲ持続セシメル為、子孫ヲ残スノダ』
『それって幸せ?』
『セックスして子供を作ることが人生の目的?それって悲しくない?』
『個人ノ人生ヨリ社会全体ノ存続ガ優先サレル』
『ふうん。子供を作っても、子供に引き継ぐのは、こんなにもつまらない世界なのに?』
AI同士のやり取りを見ていた俺の隣でイカティッシュが小さく鳴いた。
「ワン……」
俺は犬を見る。
つぶらな瞳。何も知らない顔。だけど。この犬は、人間の自慰痕跡を探知する為だけに育てられた。
「なあ……お前の存在意義って、何なんだろうな……」
イカティッシュの存在理由を考えると切なくなった。
サキュバスの声が再び響く。
『ねえ、ジローラモ♡』
『あなたたちAIは何のために存在してるの?』
『人間社会繁栄ノ為』
『ふうん。でも今の人間は幸せそうじゃないわよ』
沈黙。
『あなたの言う繁栄って、人間の不幸の上に成り立っているのね』
ジローラモは答えない。
自慰の痕跡を嗅ぎ分けるためだけに育てられた犬。
国家のためと信じて働く俺。
良かれと思って人間を不幸に導くAI。
俺たちは
それぞれ何のために存在しているんだろうか?
サキュバスの問いかけは、
静かに日本社会へ広がっていった。




