7
初めの部屋の前に戻ってくる。
扉のパスワード入力……あぁ、見えない。
「残念だったな、ポンコツ」
カンニングはバレていた。
「荷物取ってこい、イベント準備するから」
クローゼットを開けてあの重たいアタッシュケースを出してくる。
明日絶対足も腕もパンパンだ。
それをもってまた部屋を出る。
「……イベントになにかメモしてなかったか?」
どういうことだろう。合図は出ている。
スケジュール帳を見る。
ああ、確かに何かわからないけどそのまま写したアルファベットがある。
「Mって書いています」
スカーレットはそれを聞いて咳払い。
神妙な表情で言う。
「ケースの中、使うぞ」
アルファベットとの関係は何だろう。
本当にこの中に何が入っているんだ。
合図はでていないので、僕に質問する権利はない。
喉に疑問がたくさん引っ掛かっている。
そのまま黙って部屋を出る。
行先もわからずただついていく。
行先も言えないようなところなんだろうか。
身体が震え始め、アタッシュケースを持つ手がじっとりし始めてきた。
部屋を出ると、さっきと全然違う道を行く。
その道の静けさが心臓を締め付ける。
弟さんが向かった方だ。
その先はエレベーターがあった。でも、そのエレベーターは一つしか上がらない。
だから、別のエレベーターに乗り換える。
そのエレベーターから出た時感じたのは、なんとも見たことあるような光景。
僕がここに初めて来たとき、屈強な男二人に押し込まれてから見た部屋の構成。
エレベーターともう一つの扉。
その先は予想がつく。
でもその予想を上回る熱狂が僕を包む。
廊下と部屋の温度差で風邪をひきそうだ。
その声量で耳がキーンとする。
スカーレットは入り口で手を少し上げる。
それと同時に群衆は静かになる。
まだ耳がさっきの音量でぐわんぐわんしている。
僕は何事かとキョロキョロしてしまった。
スカーレットって有名人なのだろうか?
僕は居場所を見失う。
「諸君、お楽しみいただけているかね?今宵も始めよう、昇格戦を!」
さっきの商談の時とはまた異なる声色。凛々しく、高らかに。
またどっと群衆は盛り上がり、入った時を超える声量に思わず目を瞑る。
すぐに目を開けて刮目した。
今度のスカーレットは完全にエンターテイナー。
顔は群衆に向いてイベントについて話している中、紙切れを僕のポケットにそっと差し込んだ。
両手はふさがっているが、片手で頑張って持つ。プルプルする左手でその紙切れを見る。
『荷物持って裏へまわれ』
裏ってどこだ。見渡す。でも何も見当たらない。
ちんたらしていると靴先で小突かれ、電撃が走る。
まずい。
でもほんとにどこに行けばいいかわからない。
スカーレットは片手を背にやってなんか合図している。
その合図は聞いてない!
急に頭が真っ白になっていき、瞳孔も開いていく。
突然の耳への刺激。
全く知らない黒服の耳打ちに思わず小さく飛び跳ねる。
「君から見て左手奥に扉がある」
ちょっと理解に時間がかかったが、急いで指示のあった方へ向かう。
ああ、扉だ!
真っ白な頭に色が取り戻される。
まだスカーレットの挨拶は続いている。
扉の向こうは静かで、完全に物置。
煌びやかで派手な会場とはちがって、雑多に物が置かれていて妙に落ち着く。
一旦アタッシュケースを置く。
開けたいという好奇心。
そんな悪魔が唆すけれど、今日の天使は屈強すぎて悪魔が逃げた。
大人しく待機する。
しかしまあ、物が乱雑に置かれているけど、何に使う物なのかわからない。
その中に見たことあるもの……拷問器具。しかも乾いた血がべっとり。人間のじゃない。
誰か処刑でもされたんだろうか。
もう肝は冷え冷えだ。
今日このイベントで使ったりしないことを祈ろう。
会場の様子は確認したいがここでは何もわからない。
そこまで大きい部屋じゃないので見回ろうかと思った矢先、誰かが入ってきた。
「失礼する」
さっきの黒服だ。
「そこに小窓がある。それを伝えにきた。私は伝言役。また来る」
指さす方向はカーテンが閉まっている。
最低限のことだけ伝えてすぐに退出。
とにかくカーテンをそっと開けてみる。
今回大きな勝負が行われるテーブルに四人いる。
一番左の青年は五を指で示す。
その瞬間、僕は目を丸く、口をあんぐりと、手を窓に張り付けた。
トークンとかそういうのじゃなくて現物!?
すごくおとなしく……きっとA層の人間。
そんなのが檻に入って、それも一人じゃなくて五人も。
台車で運ばれている。
あれはリッター単位なんかじゃない……僕の価値の千倍単位……ポプル単位だ。
自分で言っていて泣ける。
それはスカーレットの方に渡る。
黒服が受け取って別室に運び出す。
その後別の黒服がチップを持ってくる。
なるほど、交換か。
僕の見立てだとあれ一人だけで十ポプルぐらいするんじゃないか。
サクッと計算して慄いた。僕の食費の約四十年分……?
窓の外で僕の常識がどんどん壊されていく。
その隣の魔性な雰囲気の女性は少し悩んで同じ五を示す。
また同じことが繰り返される。
どこからこんなにたくさん出てきているんだ。
いや、よく見たらさっき見た人間な気がするから、ぐるぐる回っているだけ?
なるほど、視覚的にどれだけの額が動いたか見えるようにした方が確かにインパクトは強いかも。
その隣の中性的な人も真顔で五。
その次の中年の優しそうな男性はここで七とだした。
ここでテーブルの皆が彼をみる。
手を挙げたのは初めの青年で、食い気味に三を提示。
既に所持資産っていう勝負が始まっているのだろうか。
客の熱狂が聞こえてこない分、僕は比較的冷静に見ている……わけもない。ずっと頭の中で嘘だろと言い続けているし、口もまた開きっぱなしだ。
他の人はそのままで行くみたいだ。
交換額が決まったので帳簿係が金額のチェックをそれぞれにしている。
何人流れたかで大体わかるとはいえ、こういうことは大事だ。
帳簿係は一番出したあの青年について何か言っている。
音はほとんど聞こえなくとも、窓がビリビリと揺れている気がする。
まだ勝負してないのにここの人たちは体力持つのだろうか。
テーブルにディーラーが来る。
にこやかな表情と滑らかな手捌き。
姿勢の良さが、できる人感を醸し出す。
逆に勝負師達の表情は真剣そのものに変わる。
僕も息を呑んだ。
窓の振動は収まって代わりに少し冷たく感じる。
カードが配られていく。
するとノックの音にビクッと跳ねる。
「今日はすぐに勝負が決まります。そういう合図が出ていました。準備しておいてください」
さっきの伝言係の黒服の声。
まだ始まったばかりなのに。準備って?
僕ができる準備はこのケースをどうにかするだけ。
あぁ、開けるか?開けるしかない!
ケースを倒してロックを外す。
カチャンという音はなんとも無責任に軽い。
開く前に一度目を閉じて、深呼吸。
目を閉じると自分の心音がよく聞こえた。
意を決して蓋を開ける。
なんとなく高貴な空気がケースから先にふわり。
開き切った。
そこは真紅のシルクで包まれたやたら長いもの。その上にメモ。
スカーレットの事前準備の良さに驚かされる。
『合図があったら布に包まれたものを持ってこい。俺がそれを受け取ったらすぐに小さい箱を持ってこい』
まあ、"布に包まれた"のはこの長いものだと思う。
小さい箱?見当たらない。
いや、まさかこの下か?
一度布に包まれた長いものを持ち上げようとする。
「重っ」
思わず声が出て、一旦下ろす。
何なんだこれ。布を開いて中身を確認してみた。
何用なんだろうか。装飾が美しい剣だ。でも……使い込まれたような跡が。
柄は黒ずんでいるし、全体的にちょっと赤黒い。
高貴な空気は、どちらかというと使い込まれた歴史の重みと、この剣が吸ってきた血の匂いだったのだろう。
ちょっとだけ、ちょっとだけ剣として持ってみよう。
まあ、片手では持ち上がらない。
両手で持ってみるも、身体が潰されそうな重さに腕が悲鳴を上げる。
僕の全力で上がったのは中腰まで。
このまま立ち上がったり振り回すなんて絶対無理だ!
騎士とか戦士とかの偉大さを痛感。
ゆっくり下ろしたけれど、元に戻らない。
何かが当たっている。
まずいと思ってとっさに剣のエッジを握ってしまった。
やばい、指先切った。
慌てて手を離す。
幸いまだ剣には血がついていない。
ただ、痛い。
剣が放つ威圧感は僕の血を欲しているようにも思える。
……そんな空気を出してもあげないぞ。
僕も睨み返す。
そしていつも持っている自分の布で止血する。
利き手を切った。
自分の布を結ぼうとしたが、利き手が使えず意外と苦労した。
ああ、やっぱり遊んでいる場合じゃなかったな。
ノックが聞こえる。
「アコレードを始めます」
何ですかそれ、と思わず口にしかけた。
わからない。わからないけどとりあえず持っていかなきゃ。
真紅の布に改めて包んだ剣を両手で頑張って抱える。
柄と、刃の部分をもって。
布に包まれてれば怖くない。
急ぎ足で行く。
歯を食いしばって扉を……誰か開けて!
そんな念が通じるわけもないので顎と足を使って開ける。
開くとともに強烈な声量。
落としそうになる。
「諸君、今宵の昇格者に拍手を!」
スカーレットの高らかな声。
どんな勝負だったんだろうか……。
ちらっとテーブルを見る。
中年男性が一人勝ちしていた。
賭場に似合わない、人当りよさそうな人だけど人は見かけによらないな。
とはいえそんなことよりこの剣を早く……。
「そんな彼に最上位たる公爵としての祝福を与えよう!」
手を叩くと黒服たちは一斉に動き出す。
まるで王が軍を動かすように。
一糸乱れぬその動きは見ていて感動するぐらい。
公爵?ってことはここ侯爵?ああ、スケジュールのアルファベットの意味がやっと分かった。
ディーラーも周囲に一礼し、自分の道具を持って去る。
その姿もまた凛としてきれいだ。
戦場だったテーブルはどかされ、レッドカーペットがその場にひかれる。
一人は勝者をそのカーペットの上に案内。何かを説明している。
僕は邪魔にならないであろうところで機をうかがっている。
「静粛に」
そのセリフと同時に、指先の動きが僕を見えない糸で引っ張る。
周囲の空気も荘厳になっていく。
一瞬、僕の手を見て彼の表情が歪んだ気が。
布を開いて剣が露わに。
ルフスは柄を両手でつかみ、頭上に掲げる。
軽々と持ち上げられた剣の影が僕の目の前を真っ暗にする。
僕の首が落とされるんじゃないかって。
スカーレットは目配せする。
その意味を理解するのに数秒。
アタッシュケースのメモを思い出す。
早歩きであの部屋に戻る。
急いでアタッシュケースの中を覗く。
ああ、あった。
箱も潰れてないかちょっと見た。
少々のことでは潰れない結構しっかりした箱で助かった。
また早歩きで持っていく。
どういうことだ?
目の前であの勝者が斬られようとしている。
剣が振り下ろされる。
ああ、嘘だ、使い込まれていたってそういうこと!?
……それは杞憂だった。
寸止めで止まり、刃の部分は横倒しにされ、そっと肩を叩く。
嫌な汗が安堵に変わる。
心臓のリズムはやっと嵐を抜けたように落ち着いた。
力が抜けそう。
いや、これを落としたら僕は本当に斬られてしまいそうだ。
剣を肩にあてている間、彼は何か呪文のようなものを唱えている。
「……次の爵位においても幸あらんことを」
結びの言葉をもって剣は下ろされる。
群衆は荘厳な雰囲気から少し落ち着いた祝福の空気へ。
僕はまた見えない糸で引っ張られる。
持ってきた小さい箱と剣を交換する。
思わず受け取ったときに小さく屈伸した。
包んであった布で包みたいけどその余裕はない。
とりあえず止血している方に刃を向けておいて、切ってもなんとかなるように。
「最後に次の階へ進むための通行証を授けよう」
あの箱の中身を確認したら戻ろう。
箱はパカッといい音が鳴る。でも中は見えず、横から容姿端麗な女性が歩み寄る。
スカーレットは開いた箱の中身を見たら閉め、その箱を女性に渡す。
女性は勝者に歩み寄り、箱を開け、中身を取り出しそれを勝者の指へとはめていく。
女性は箱を持ったまま一礼して脇へ消えた。
「以上をもって今宵の昇格戦は終わりだ。引き続き楽しんでくれたまえ」
そのセリフが終わるとともに黒服の手慣れた動き。
王が命じずとも動いているこの光景に僕だけが少し浮いている。
なるほど、この一連の流れがアコレードで、爵位を授ける儀式だったわけかと一人納得する。
「剣、ケースに戻したらこの部屋を出たところで待っていろ」
小声で命じられる。
できる限り全速力で戻る。
見かねた黒服の一人が扉を開けてくれる。
まあ、あの滑稽な姿は僕も見られたくないし、彼らも見せたくないだろう。
アタッシュケースという鞘に、真紅の布でくるんで戻す。
さあ、ここから出よう。
裏方からも、この会場からも退出。
恐怖も安堵も全部混ざって疲労感と睡魔に変換される。
スカーレットの姿が見えない。
「待たせた。今日はこれで終わりだったな?帰るか」
見えた。上着を取りに行っていたようだ。
「そのケース、置いていきたいところなんだが、あの部屋、意外と俺以外の人が出入りするからもって帰らざるを得なくてな。さて、ヴァーミリオン呼ぶか」
誰……いや、車の事だとしたら弟さんか。
裏手からそれを読んだかのように弟さん、もといヴァーミリオンがやってくる。
「そろそろかと思ってね。どうせもう帰るんだろ?」
「もちろん」
そして歩き始めた。
行きの時に通った簡素な通路まで戻る。
一度通ったからなのか、その通路はもう怖くない。
「寄り道は?」
「俺はもういい。疲れた。後でアトリエ行ってきてくれないか?指輪のストック切れた」
あれで最後だったのか。
「人使い荒いな。まあ、今日はそんなにハードじゃなかったし行っておく」
「お前は絞る方向ほんと強いな」
「設定二となりゃどっちかというと本気でできるからな。そりゃお褒めにあずかり光栄」
設定の数ってヴァーミリオンの強弱レベル?
話しから察するに今日は強レベルだったのか。
駐車場に戻り、僕はケースをトランクに入れて、助手席へ。
地下から地上へ。
「アトリエ行く前に兄者、話したいことが」
「……わかった。こいつを先に家へ戻らして車内でいいか」
僕は聞いてはいけない話のようだ。
「もちろん」
違和感のあるスカーレットの返事の間。
その後は話題がなくただ静かに帰路につく。
こんなに沈黙が重い車内もなかなかない。緊張で肩が凝る。
大体、家族で乗る時だって、仕事で乗る時だって誰かが常にしゃべっていたような気がする。
もしかして上流階級はみんなこんな静かなのだろうか。
気が付けば家の前。
僕はケースをトランクから出して一人、あの家に戻る。
心身共に疲れ果てた僕は、ただ眠りたいという欲求でとぼとぼ歩いていた。




