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かいた汗が冷えてきた。鍵から、ドアノブへ手を伸ばす。
「掃除だけさせてくださーい……」
申し訳なさを滲ませてゆっくり入ると、角で怯える二人が小さくなっていた。質素な服で震えている。そんな様子に僕も寒さで震える。
綺麗な肌に血管が透ける。見慣れない質感だ。思わず本能が反応する。
ごくりと唾を飲む。いや、勝手に手をつけるわけにはいかない。
「お邪魔しましたー」
掃除機の電源を切って出ていこうとしたそのときだ。二人は昨日と同じようにまた飛び出していく。持っていたものを床に落とす音が響く。
「ちょっと待ってよ!」
二人の腕から伸びる紐は僕の足元をちょろちょろと這う。その紐を追いかけ、掴んで引っ張る。
ピンと張ったその紐に寄せられ二人はバランスを崩す。
場所が悪かった。一人の手があの紅い扉の取っ手に触れる。
扉は開いた。
やったのは僕じゃない。見るつもりはなかったのに、好奇心が勝った。
紅い扉の先は真っ白だった。
紙束の白さが部屋の中を満たし、黒い文字が点々と浮かぶ。
その中に居たのは、これまでに見たことのない……人間。
白い肌、黒い双眸。視線が僕を捕らえる。
口の中は湿るどころか乾いていく。
いつも見る人間の眼じゃない。自信に満ちて凛としている。
言葉が出ない。
「彼は?」
「え、あ、外出中です」
緊張で舌が回らない。
「そう。あなたは誰?」
「僕は……」
答えようとした瞬間、背後の冷気が全身を止めた。
「おい、これはどういう状況だ」
最悪のタイミングだ。動揺して言葉が詰まる。
「僕はやってない、僕は……」
動揺して振り返ることもままならず。
「言い訳はいい。わかったらその手に持っているものを先に何とかしろ。説教は後だ」
スカーレットは紅い扉の部屋に入り、扉を閉める。僕は黙って紐を手繰り寄せる。
終わった気がする。
スカーレットの威圧感で、彼と初めて会ったときのセリフを思い出す。
前の使用人って……いや、今は言われた通りにやらねば。
手元でぎゃあぎゃあと喚く二人を改めて部屋に押し込み、外から鍵を閉める。カチャリという音が無慈悲に響く。
何かのスイッチが切り替わるように、事実を受け止める。
不思議と嫌な気持ちはなかった。もう十分、庶民には味わえない世界を見た気がする。
ほんの一瞬だけ、あの部屋の彼女の「味」が気になった。
いや、絶対無理だ。資本も覚悟も僕にはない。
A層の、最上位の人間の味って、どんなのだろうと妄想を巡らせる度に口腔が湿っていく。
溢れそうになって飲み込んだとき、部屋からスカーレットが出てきた。
「おい、ポンコツ。そのきっしょい顔やめろ。怒る気も失せたわ」
僕はぎこちなく笑ってごまかす。妄想が功を奏した。キモくてよかった。
「それにお前、嘘つけないだろ。だから事故なのはわかった。だが、何を話した?何を聞いた?」
両肩を掴んで鬼気迫る勢いで問い詰める。
その眼力も勢いも怖いけど、ここで僕も眼を逸らせば信じてもらえるかわからない。
僕の中の生死の攻防。
だから、勇気を出して声をひねり出した。
「スカーレットさんが外出中だと伝えただけです」
スカーレットの眼はすべて見透かしていくようで怖い。
数秒の沈黙。
「……そうか。ならいい」
スカーレットは手を放し、一歩下がる。
「あの人間、なんなんですか」
圧縮された言葉が飛び出た。
「……あいつはちょっと特殊だ」
言いにくそうに眼を逸らす。その声には何か触れてはいけない何かが含まれている気がした。
「普通に買ったわけじゃないんですか」
その問いに、スカーレットは視線をまたこちらに向ける。
「そんなものをこんなに大事に置くか?違うんだよ。それくらい、俺にとって大事なんだ」
言葉の重さが部屋の空気をさらに冷やした。
「分かったらこの件は終いだ」




