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「そんなことしなくても僕逃げませんよ」

「言葉ならなんとでもいえる」

 両手を紐で縛られ犬のように引っ張られる。

 家は見るからに高級なマンションの一室。

 その玄関の先もまた、僕の人脈ではまず見かけることのない景色。

 すごく広い。

「え、あの、もしかしてすごい人なんですかね」

「お前はこの中の何よりも安いと思うぞ」

「そういう悲しいこと言わないでくださいよ」

「それに、今までの使用人の中でもな……フフッ」

 自分で言って自分で笑っている。

 こんな人でも笑うんだとちょっと安心。

「あの、色々わからないことだらけなんですけど。名前も、やることも、あの場所も何もかも」

「あぁ、そうだな。こんな価値のやつにお前とか呼ばれたくもないしな。スカーレットだ。やることは基本部屋の掃除だな。後は俺が勝手に指示するから」

 前の上司より意外と好感触。

 あと名前がもう強そう。

 でも、あのダーツで当てたってことを思うと運命ってよくできている気がする。

「俺はお前をポンコツと呼ぶから」

 前言撤回。やっぱひどい。

「あっはい」

「おっと、掃除の際、あの部屋はしなくていいから。というか入るな」

 指さしたのは異様な空気を放つ紅い扉。

 前の使用人もここを開けて死んだとかいうオチ、ないよね……と想像が巡る。

「わかりました」

 その声はちょっと震えて裏返った。

 その様子にスカーレットは笑いをこらえている。

 僕はいたって真剣なんだけども。

「買い出しに行って欲しいと思ったがポンコツ、印章見せろ」

 そのついでに腕の紐は解かれる。

「え、はぁ」

 右手を差し出す。

「ほら、針」

「……担保ですか」

「そうしないと逃げるだろ」

 本日二度目の担保。

 しかし個人に担保まで取られる状況に少し事の大きさを実感する。

 手首に針を刺して出した血を小瓶へ。

 こんなことしている事実に震えて溢しそうになる。

 僕の血が、彼の手に渡っていく。

 彼は突然僕の震えている腕を掴み、印章を見る。

 まだ止血が済んでないのに!

「……信用はあるようだな。とりあえずB層までは入れるな?」

「まあ、あんま行ったことないですけど」

 掴んだ彼の手の甲の印章が見えた。

 びっくりするくらい複雑な模様。

 自分の模様との差に目が往復する。

 こんだけ信用あったらA層も余裕で入れるんだろうなあ。

 かたや僕は誕生日の時にちょっと贅沢するときくらいにしかB層いかないし、いけないんだけどなあ……。

 羨ましい。

 逆にC層入ったことないんじゃないだろうか、彼。

「トークンと必要なものを書いたメモは渡すから行ってこい」

 やっと手を離した。

 いそいそと止血。そんな様子も気にせずメモが渡される。

 メモ書きの品に上流階級ってすごいなあと改めて感じた。

 その上で渡されたトークンの数字と数を見て慄いた。

 この量ともなるとトークン重たいな……。

 僕を買い続けて国家作れるんじゃないかってくらい。

 ……比較対象が悪いかもしれないけど。

「あの、行くにしてもこの家の鍵って」

「玄関にスペアがあるからそれもってけ。俺は少し寝るから」

 雑に対応されたが確かにあった。

 まだ一日も経っていないが、数か月振りに外へ出るような感覚。

 空気がおいしい。

 とりあえず、やることやってしまおう。

 公共販売所までは歩いて十分くらい。

 なんて好立地。サクッとたどり着く。

 でも中に入ると、僕が使っていた地域の販売所とはちょっと作りが違っている。

 フロアマップを眺めてどこからB層に行けるのか確認する。

 なかなか客も多く、ごった返している。

 間を縫って認証ゲートまで行く。

 右手の甲を機械にかざすとゲートが開く。

 エレベーターで上へ。

 上に行く客は僕だけだ。

 メモに書かれた日用品を手に取っていく。

 その価値を見て笑うしかない。

 消耗品なのにこの額だすの!?と文化の違いを感じている。

 なんせ、C層のそれの十倍ぐらい違う。

 質がいいんだろうけど。

 最後に食料品。

 これは……僕の分も含まれているのか、それとも全部彼の分なのか。

 一人にしては多い気がする。

 保存、効かないのに。

 前者だといいなあと思いながら、そんなわけないよなと支払いを済ます。

 大荷物で家に戻る。

「ただいま戻りました……つかれたあ」

 でも、勝って兜の緒を締めよ。

 一番大きな荷物が走り出す。

 同じもの三つ全部。

「あっ、待って」

 手を伸ばしたけどもう届かない。

「ポンコツめ、扱いを知らんのか!」

 起こしてしまったのだろうか。

 スカーレットが部屋の奥で姿が見えぬまま僕に言う。

 そのままの場所で僕は返す。

「いや、小分けのしか買ったことないんで!」

 返事はない。

 部屋が静かだ。

 荷物を持ち直して玄関から部屋へ。

 ああ、やっぱり。

 多分、僕らにとってあるべき姿なんだけど、僕は色々あって……できない。

 逃げた三つの内の二つは腰を抜かして一つの状態から目を離せない。

 壁の隅で怯えている。

 僕がここに来た時と同じように両手を紐で縛られて。

 その一つはスカーレットに食われている。

 立ちながら、首から。

 漏れる匂いにそそられる。懐かしさのある匂い。

 特別な時にしか飲めないあの味がフラッシュバックする。

 しかも、今日、何も口にしてないし。

 でも、もう何年も小分けでしか飲んでないし。

 本能的に欲しいとは思っている。

 だけど、狩り方を忘れたし、うっすら過る嫌悪感。

 この牙は飾りです。

 だからぼーっと口を開けて突っ立っている僕。

 それを見てスカーレットは口を離した。

 少し口周りが紅く染まっている。

 それを舌で舐めとる。

「ほんと面白いなポンコツ。今までこんな忠犬見たことないぞ」

 彼は僕の反応をお気に召したようで、ぐったりとしたその手の中ものを僕に渡す。

 重い。

「あ、えっと?」

「残りの新品に手を付けていたら怒っていたところだが、お前はそうじゃない。ましてや一人分飲み切れないんだろ。だったら残飯で十分だろ」

 おっしゃる通りで。

「もらっていいんですか」

「以後、俺の気まぐれで」

「一応聞きますけど、世話は?」

「別に。お前がしたかったらすればいい」

 うわー言ってみたい~。庶民には言えないセリフ。

 高級品はちまちま楽しむ人が多いんだけども。

 そうでなければ、家族間で分けることが多いかな。

 とはいえ人間って何食べるか僕は知らないので世話できないんですけど。

 強烈な血の匂いに我慢できず、抱く嫌悪感はそっちの気で口をつけ、飲めるだけ飲んだ。

 いつもと違う、温かで滑らかな舌触り。

 それはそれは、ある意味僕の誕生日と思っていいくらい、贅沢で、幸せだった。

 僕の人生もまだ捨てたもんじゃないなって。

「ほら、奥いけ、そこから出るな。騒いだ方から喰うぞ」

 そんな幸せムードぶち壊しのセリフ。

 世界は残酷だ。

 スカーレットは奥の小部屋に二人を押し込んだ。

「買ったやつはあの部屋に入れとく。いいな」

「ふぁい」

 まだ口をつけていたので変な返事になってしまった。

 それにまた彼は笑いをこらえている。

 でも真剣な声色に戻して続きを言う。

「それと、身体の処分はその日のうちに必ずやれよ。腐らせていたら殺す」

 物騒な単語に引き締まる。

 トーンの落差に一気に冷え込む。

「この地域のごみ捨てルールってありますか」

「……しらん」

「え?」

「役所行ってこい」

「この時間閉まっていますけど」

「何とかしろ」

 スカーレットはそのまま別の部屋に逃げた。

 どうする。

 こんなしょうもない理由で殺されてたまるか。

 とはいえ、部屋をひっくり返すのもどうかと。

 そもそも、このマンションのごみ捨て場に貼ってるいんじゃないか。

 一階に降りてゴミ捨て場を探しに出た。

 エントランスにはなさそうだ。

 管理人に聞く。

「君、引っ越したときに聞いてないの?裏手の方にあるから」

 感謝して、すぐに向かう。

 あった。

 燃えるゴミと燃えないゴミと、大型生モノ。絶対最後のやつだ。

 わかったら、持ってこよう。……でもどうやって?

 ちらっとどうやって捨ててあるか見た。少し後悔した。

 ……ばらして袋詰めですか。

 僕の中の何かが拒絶しているが、それは僕がそういうのを見ないようにしていたからだろう。

 ため息をついて戻る。

 幼少期、親はこんなことやっていたのだろうか。

 親に猛烈に感謝した。

 一人暮らしを機に、ごみ捨てルールが厳しい区に引っ越して、その家が人間買うの禁止だったのをふとエレベーターに乗りながら思い出した。

 悲しいかな、僕はこの一般的な処分という行為には全く触れずに生きてきてしまった。

 部屋に戻って、横たわるそれを見て僕も共犯者だ、と眩暈。

 幸い、目は閉じていた。

 死んでいるってわかっていても、見られていると怖い。

 祝いの後の虚無。

 多分これが毎日続く。

 早く慣れないと……。

 静かで暗いリビングで、僕は突っ立っていた。

 しばらく見つめていて、思い出したように刃物を探す。

 ないわけないだろう。

 やっぱり、玄関の靴箱の隅に置かれていた。

 僕も工具は玄関に置きがち。

 鉈に養生シートに……直すための袋。

 準備まではできた。

 行くしかないだろ、と震える手で鉈を支え、覚悟を決める。

 トン、と鉈が落ちた時、腕と共に僕の常識も落ちていく。

 時間差でシートに飛ぶ僅かな赤。

 その赤への食欲は吐き気へ。

 父さん、母さん、僕は何か間違ったことしていませんか?

 残り……三回もやらなきゃいけないのか。

 血と脂で刃が進んでいかない。

 さらに骨という砦が僕を拒む。

 感触が皮膚を這いずる。

 振りおろす度嫌悪感でヒッ、と声が押し出される。

 嫌な汗で鉈が滑り落ちる。

 鈍い音が部屋に響く。

 放心状態の僕。

 目の前には小さくなったそれ。

 詰めていく。

 引きつった笑いが取った行動の狂気を高める。

 そんな鈍色の努力の結晶を墓場へ放り投げる。

 暗くて、少し匂う、あのコンテナへ。

 そこに同じような人が通りかかる。

「汚い切り口だな……初めてか?」

「え、僕のこと言っていますか」

 いかついおじさんが言う。

「あんたしかいないだろ」

「それもそうですね」

「で、何で切ったか知らないけど、専用工具買ったほうがいいぞ」

「そんなのあるんですか」

「B層に売っているから。表情死んでいるからつい声かけたくなっちゃったよ」

 いかつい顔でハートは優しい。

 冷えた心と体にちょっと染みる。

 見た目とのギャップに少し惚れてしまいます。

「ありがとうございます」

「まあ、同じ境遇だろうしお互いがんばろうや」

「それってどういう……」

 去っていく彼を追いかける。

「なに、どうせ買われているんだろ?俺もそうだから」

「え、そうなんですか」

「じゃ、俺はここで」

 エレベーターから降りる彼の階と僕が行く階は異なっていた。

 唖然としていると自然と扉は閉まり、上に行く。

 このマンションの住人について怖くなっていく。

 とにかく、一人でいるのも怖いし、急いで戻る。

 一息ついて、余計な不安について考えるのはやめた。

 買ってきた日用品もそのままだ。

 ああ、片付けたい気持ちもあるけれど、いろいろありすぎて疲れた。

 寝たい。

 でもどこで寝よう。

 考えている間にまどろんできて、フラっとした。

「もう無理」

 リビングまで来て結局フローリングの上で力尽きていた。

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