18
「どうして飲まない。せっかく用意しているのに」
「そうよ、おめでたい日なんだから」
今日は僕の誕生日だ。
両親が背伸びして買ってきてくれたのはわかる。だけど。
目の前に、潤んだ眼をした女性の人間が座ってこっちを見ている。
やめてくれ。そんな眼で僕を見ないで。
僕は立ったまま、その人間を見ている。
逃げられないってわかっていながら懇願するしかないって顔をやめてくれ。
なんで僕らは僕らと瓜二つの存在を食すんだ。
だから鬼って言われるんだよ。
「父さんも母さんも、誕生日だからってわざわざそんなことしなくていいんだよ!」
……気を失っていた?
大声を出して目が覚める。
今日は何日だっけか。
鞄に入れていたスケジュール帳を開く。
……本当に誕生日だ。
夢の中とはいえ、親にまで言われちゃったよ。
僕は情けなくなって笑うしかない。
「あは、ははは」
彼女もそれに合わせて隣で笑っている。
「あはは」
本当に怖い時って笑うんだね。
でもそういうときって、追い詰められているから。
追い詰められた人は、何をするかわからないから。
僕は目を瞑って彼女に近づく。いろんな光景が瞼の裏にちらつく。だけど。
手探りで彼女の目を手でふさぐ。彼女は手でそれを外そうとする。無心で手の平を目に押し当てる。
僕は空いた手で首筋の脈を探る。指先に流れを感じる。
後は脈に牙を立てるだけなのはわかっている。わかっているけど不快感の想像が僕を阻む。
必死に考えた先は解体のときの感覚。不快感を脳の別の場所へ押しやって――食らいつく。
「あぁぁぁ!」
耳を刺す絶叫。舌先に熱を感じる。
最初はずれた。脈から外れ、うまく吸えない。
痛みに暴れる彼女。僕を押し返そうとする。僕はその腕を引きはがす。お互いの生死をかけた攻防だ。
もう一度噛みなおす。
やっぱりずれる。どうして。脈はそこにあるはずなのに。
腕を抑えられた彼女が脚をばたつかせる。背中に強く当たる。体勢も呼吸も崩れる。頭を床に打ち付ける。咳き込む。口から何かが飛び散る。
両手は暴れる腕を押さえるのに精一杯で、口を覆ったり拭いたりできない。冷たい床が頭を冷やす。
キツイ。次は決めないともうお互いにしんどいだけだ。
ふっと頭を持ち上げ、息を一つ整える。恐怖が戻る前に、次を――
この一噛みは明らかに今までとは違う。勢いがある。
「ああっ……うっ」
徐々に力ない声に変わっていく。
抵抗も流れもやがて静かになっていく。
やっと彼女の命を吸い切る。息も吸う。
やったという達成感がゆっくりと引いていき、殺ったという罪悪感が現実に引き戻す。
床から物から壁までが紅に染まっているのが見える。
その色が口の中にまとわりついた感触を呼び戻す。
飲み込んでも嫌な感触は取れない。
「掃除……しますかね」
声に出すと口の中にまとわりついたものが押し出されていく。
「はは、しゃべってないと落ち着かないな……嫌な感覚だ」
一応、狩りはできたんだ。それだけは褒めて欲しい。
「色々試してみるもんだな……」
思いついた独り言をただつぶやいていく。
まだ僕は立ち上がれない。
「どうしよう、力が入らない……このままじゃまずいぞ」
とにかく手をかけられる何かを探す。
手の平にも血がついている。もう一緒か。
ベッドフレームに体重を預け、腕の力で立ち上がる。
「ふう、一大事だなホント」
自室を出たところに居るのは玄関に立つ、目を丸くしたルフス。
「おい、まさか」
時間差で閉まる玄関ドア。
「そんなに酷い状態ですか」
「ああ、早く洗面所行ってこい」
その言葉の温度は温かく、表情はほころんでいる。
「そうですよね」
よたよたと歩みを進める僕の背後で声がする。
「よかったな」
振り向くことができない僕。
「本、ありがとうございます」
「でも、その様子じゃ、まだまだ子供だな」
「僕今日、誕生日なんで。赤ちゃんからやり直しです」
「フッ、おめでたい話だ」
リビングから洗面所へ。
部屋の暗さで結構な時間が経過していたことに気が付く。
洗面台の鏡を見る。
うわぁ……。咳き込んで吐き出したのもあって酷い有様だ。
顎から下にべっとりと血がついている。
「はは、なんだこれ」
子供の頃を思い出した。
そろそろ一人で対応しなさいって言われた日。
この時も派手に抵抗されて同じように咳き込んだっけ。
ベッタベタにしちゃって母には怒られた。
でも父だけは「初めはそんなもんだ」って言ってくれたっけ。
「あの日にタイムスリップしたみたいだ」
鏡に映る自分は少し若く見えた気がする。
この歳で食事感をリスタートって笑えるけどね。
とにかく手と顔を洗う。
水の流れる音に混ざってリビングから声がする。
「おい、食糧庫空のままだぞ」
「す、すみません、今すぐ買いに行ってきます!」
びちゃびちゃのまま狼狽う。
そこにルフスが入る。
「落ち着け。まず顔拭け」
「そ、そうですね……」
適当なタオルで拭いた後、服を探す。
とりあえず置いとけでこの見分けのつかない棚のどこかに入れた気がする。
手当たり次第に開ける。いそいそと着替える。
「そんな混乱状態のお前を外に出すの怖いんだが。仕方ないなお子様、俺も行こう」
「え、そんな、悪いです」
「黙って従え。余計な事されても困る」
「……すいません」
着替え終えて、持つものもって、家を出る。
今度は一人じゃない。




