#推しのいる生活
#推しのいる生活
ヒーターの前にかざしたビューラーが温まるのを待ちながら、分厚い靴下に覆われた足元を眺める。もこもこの靴下を履いていても耐えきれない洗面所の寒さをしのぐために、今年から導入したミニヒーターが思わぬ形で活躍してくれている。これならホットビューラーと普通のビューラーを使い分けなくていいから、気持ち程度の時短にもなる。温まりすぎたビューラーを唇に当てて軽く冷ます。寝ぐせが取れなかった目じりのまつ毛は、相変わらず言う事を聞かない。こういう楽しい日に限って、メイクはうまくいかないものだ。
自作のアクスタケースを二個。お気に入りのビジュアルの子だけ連れていく。今日の主役のぬいぐるみも忘れない。ぎりぎり手に収まらないくらいの蒼汰くんの顔をしたぬいぐるみ。少し顔の形が歪んでいたから頭を押し込んで形を整えて、軽く顔を撫でてからポーチの中に大事にしまった。百枚つづりのアルバムからお気に入りを厳選するのがめんどうで、エブリンのショッパーの中に分厚いアルバムごとつっこんだ。ポーチもアクスタもいれて、あとはサンリオのネームタグを遠征用のカバンから引っ張り出してくる。シナモロールの顔の下に「そうた」の文字がご機嫌に並ぶ。ジルのリュックと紙袋を手に全身を確認したあと、家を飛び出す。
なんば駅の改札を出たところで、ちーちゃんから連絡がはいる。あと三分で到着するというLINEに、手頃なスタンプを返してアプリを閉じる。スマホのケースについたミラーで前髪を確認しながら、広島で録音したコンサートの音源に耳を傾ける。お気に入りのユニット曲を聴いていると、ガサガサと衣擦れの音が邪魔をしてくる。カバンに入れる以外にいい録音方法ないかな。そう思いながら顔を上げると、ちょうどちーちゃんが改札を抜けてくるところだった。慌ててインスタを立ち上げてストーリーの撮影画面を開くと、ピンクのキラキラが躍るフィルターに切り替える。歩いてくるちーちゃんの顔が丁度映らない画角で動画を撮っていると、気づいたちーちゃんも笑いながらこちらにカメラを向けてくる。
「おはよ」
「おはよぉ」
「いぇい」
そう言ったところで動画を止める。ひさびさに会ったちーちゃんは、相変わらずだった。
松竹座を横目に眺めながらソースの匂いによだれが出る。そういや、くくる行ったことないかも、とこぼすちーちゃんに、まぁ別に普通だよと笑いながら返す。ちーちゃんのほとんど真下に向けて引かれたアイラインは、笑っても目じりのしわに隠れることはない。
ひっかけ橋の手前、狭いビルのエレベーターに乗り込む。ボロボロで今にも止まりそうなエレベーターは、何回乗っても今度こそ止まるんじゃないかと怖くなる。隣のちーちゃんは、退屈そうに登っていくエレベーターの表示を眺めていた。エレベーターの扉が開くと、そのまま店内へと放り込まれる。天井からぶら下がった写真ホルダーにびっしりと並んだステージ写真。さまざまアーティストの顔が所狭しと並んだあからさまに怪しいこの内装に関しては、もう今更驚きもなければ珍しさもない。
エレベーターの降り口のすぐそばに設置された紙とペンをとって、ちーちゃんとはじゃあ、と言って一旦店の中で別れる。写真と写真の間を抜けていって店内の奥側、大きな写真ホルダー一枚分が、わたしの目当て。写真によっては画質が悪くて、引きの写真なんかは顔を識別できないものもある。天井から足元まで目を滑らせて、お気に入りの衣装の写真をまず探した。丁度目線より少し高いくらいの位置に蒼汰くんを見つける。どれもカメラと視線の合わない写真ばかりで、機嫌の悪かった広島公演を思い出す。ほんとに何だったんだろう。あんなにドライなのは、あまり見たことがなかった。視線が逸れた先に、大好きなパステルカラーの衣装に身を包んだ蒼汰くんを見つけた。キャラメルみたいな笑顔に、胸に湧いた苦しさが霧散していく。泣けてくるくらい、好きで仕方がなかった。
一通り購入する写真の選定を終えて、店内を少し歩くとまだ写真を選んでいるちーちゃんを見つけた。わたしが持っているものと似たような分厚いアルバムを下敷きに、小さな紙に写真の番号を書いているところだった。
「いいのあった?」
声を掛けると、ゆっくりとした動きでわたしの方を振り返ってわざとらしく顔をしかめて見せた。
「やっぱこの日、ビジュ悪いわ」
「そうなん?いつ?」
思わず笑って、ちーちゃんがペンのお尻で指す先を見上げる。ちーちゃんの推しはどんなビジュでもタイプじゃないから、正直ビジュアルがいいのか悪いのかもよく分からない。
「大阪かなぁ。忘れたけど、十一月くらい」
「ふうん、気に入らんの?」
「うん、前髪下してくれ」
確かに、いつもちーちゃんが「かっこいい」とインスタで上げている写真は、前髪が下りているものが多い気がする。
「やっぱちーちゃんの推しおるとこわからんわー。誰も覚えられへん」
「ウチはヲタクやっててもいいことないから。蒼汰くんの方ができる子やから降りん方がいいよ」
「別に降りるとは言ってないんよ」
いつの間にか担降りさせられそうになっていて驚く。そもそも事務所が同じでも、ちーちゃんの担当グループと蒼汰くんたちとでは全くと言ってもいいほど接点がない。この子に見せられる以外では、パフォーマンスも観たことがないし、未だにメンバーの顔も覚えきれていなかった。
蒼汰くんが「できる子」と言われたことに口元が緩む。なんだかんだで、大きなスキャンダルや流出もない蒼汰くんは、事務所のファンのなかでそれなりに評判もいい。重たい紙袋の中にいるたくさんの蒼汰くんたちが急に誇らしくなってくる。
「……買い足そっかな」
「買いな買いなー。どの写真か知らんけど」
改めて写真を眺めだしたちーちゃんを置いて、またさきほどの場所へと戻る。数字で埋まった紙を裏返して、また写真の中の蒼汰くんを見つめた。こんな写真、どれだけ買っても、蒼汰くんの懐には一銭も入らない。事務所の売上にもならない。知らないおじさんが少し裕福になるだけ。許可もなくコンサート中の写真を撮って、印刷して売る。ぼろい商売だ。わかっていても、目の前の蒼汰くんにはあらがえないのがとことん馬鹿らしかった。
今時なかわいらしい内装の式場が売りのホテルは、家具やペンなんかの小物まで白とゴールドで統一されていた。さっき古ぼけたビルとは比べ物にもならないくらい、すべてが明るくて新しい。レストランの無人の受付でたたずんでいると、すぐに気づいたウエイトレスがいらっしゃいませ、と声を掛けながら近づいてくる。ちーちゃんが聞きなれない苗字で名乗る声を、なんとなく聞いてませんよという風に顔を逸らす。お互い関西に住んでいるからいままで住所を交換することもほとんど無くて、おかげで今でもお互いフルネームは曖昧なままだ。六年ほど前に、同じグループを応援しているファンとしてツイッターで仲良くなったちーちゃんとは、お互い応援するグループが変わってからも定期的に遊んでいる。
広々としたソファ席に通されて、重たい紙袋を投げ出す。コートの肘の部分がよれて変なしわが付いてしまっている。軽く撫でてしわを伸ばしてからコートも脱いだ。
「料理? お菓子? わからんけど、もの来る前に渡しとく」
「あー! ありがとう! 天才、やばいうれしい」
ちーちゃんが手渡してきたビニールの中には、小さなキラキラした洋服が丁寧に包まれている。かわいらしいパステルカラーの洋服を、袋の上からまじまじと見つめる。
「生地とかそんなんで良かった?」
「いやもう最高です。これが一番いい」
「よかった。まぁ嫌って言われても直せんけど」
ちーちゃんが笑う。半分泣きそうなくらい感激して、持つべきものはやはり服飾専門学生の友達だな、と思った。
「一応着せてみて」
そう声を掛けられてやっとビニールを開ける。簡単に手のひらに収まってしまうくらい小さくて、これだけですでに愛おしい。持ってきたポーチの中から蒼汰くんのぬいぐるみを取り出して、出会ったころからそのままの洋服を脱がしてあげる。
「見て、ちんちん付いてんねん」
パンツを脱がせたぬいぐるみを、ちーちゃんの目の前に掲げる。
「見せんでいいから!」
むちゃくちゃに顰めた顔で怒られて、笑ってしまう。おとなしく腕を引っ込めて新しい洋服に着替えさせる。マジックテープなんかで着せるんじゃない、ちゃんと人間と同じ形で作ってくれたTシャツを苦戦しながら着せていく。腕と足をつぶすような形になって、ごめんねと小さく謝る。ジャケットもズボンも履かせて、もう一度ちーちゃんに向けて掲げる。
「ねぇかわいい!」
「サイズもオッケーやな」
「もうマジで、天才がおるんですが」
「どうも天才です」
大好きな衣装を身にまとう小さな蒼汰くんを眺めているだけで、たまらなく満たされる。ああ、かわいいなぁ。デフォルメされたイラストが初めはあまり気に入らなくて、ブスだと散々言っていたのが申し訳なくなる。大事にしているうちにどんどんかわいく見えてきて、今ではわが子を見るように愛おしい気持ちが湧いてくる。思わず、ギューッと抱きしめた。
途端、ウエイトレスに声を掛けられる。慌てて小さな蒼汰くんを膝の上に隠した。アフタヌーンティーセットが机に並べられていく腕の隙間から、一人で笑い転げているちーちゃんが覗く。丁寧にお菓子の説明をしていく声に相槌を打ちながら、笑い続けるちーちゃんを睨みつけると、わざとらしく舌を出したあとウエイトレスに向かってありがとうございます、と愛想よく挨拶した。
「めっちゃ恥ずかしい思いしたやん」
「今更やろ、こんなおしゃれなところでぬいぐるみ脱がせといて」
「うっさいわ」
「はよ写真撮って食べよ」
未だににやけながらトートバッグを漁り始めたちーちゃんに倣って、わたしも紙袋の中からアクスタと写真を取り出す。
「この衣装のアクスタ欲しいな」
「そんな好きなんや」
ぬいぐるみに着せた服と同じ衣装のステージ写真を並べながらアクスタも組み立てていく。お皿やカップを動かして、ちーちゃんのスマホをライトにして、何度も配置を変えながら何枚も写真を撮っていく。ちーちゃんの推しと蒼汰くんを並べて、この並びマジ謎じゃない? と言ってくるちーちゃんの声にまた笑う。
「絡みあったとしても仲良くなさそう」
「それな」
カメラロールを見返して、撮った写真の最終確認をする。かわいいお菓子と、かわいい食器と、世界一かわいい蒼汰くん。満足してスマホを閉じると、すっかり冷めきった紅茶を一口飲んだ。




