#隠しきれないヲタク
#隠しきれないヲタク
メゾンドフルールのトートバッグと、ジルバイジルスチュアートのビジューバッグ提げて、バブルスの厚底パンプスの踵を鳴らして、スマホ片手に前髪を気にしながら歩く。カラコンはごろごろするし、靴ズレが痛くてイライラする。わたしのSのイニシャルチャームを見つけて、品定めするような目で見てくる同担らしい女も、連れとひそひそ話しながら、素早くスマホに打ち込む指を止めない誰のヲタクかもしれない女も、鬱陶しくて仕方がない。既に会場入りしたヲタクの友人たちは、インスタのストーリーに席から見える景色を投稿している。マウント投稿にスクロール。マウント、スクロール。マウント。マウント、マウントマウントマウント。「花横よろしく」なんてストーリーの文字に、お前の推しは花道構いに来ないよ、とか馬鹿にしながら親指のネイルを撫でた。
会場の外で友達に会おうかなと思っていたけど、寒さに気持ちが萎えてやめた。ホール規模ならギリギリまでホワイエで屯していただろうけど、アリーナ規模ではそういう場所もなかなかない。マイメロのチケットファイルから、もう絶滅危惧種の紙チケットを取り出す。一応日付を確認して、今日の紙はピンクか、とかぼんやり考える。印刷された名義は、当たり前に知らない名前だ。開演十分前、ある程度人の捌けたコンコースを、主張の激しい「アリーナ ↑」の矢印の通り進んでいく。アリーナ席への入り口に掲示されたブロック案内はもういい加減見飽きたほどで、床のあちこちに這わされたコードに躓かないように足元に目を向ける方がよっぽど重要だった。ブロック最前の通路横。開演ギリギリでも周りに気を遣わないし、単番は大概通路横のチケットが来るから助かる。座る前に、座席の背に貼られた席番の紙を剥がして、チケットファイルに半券と一緒に挟んでしまう。今日は立ち位置というより上手に入りたいだけで買ったチケットだったから、0ズレも狙えない。低いモチベもどうせ終われば上がる。開演五分前、浮足立つ会場の雰囲気を横目に、靴を高いヒールに履き替えてうちわを準備する。文字をうちわに貼るためのマジックテープがもうそろそろ限界で、毛羽立っているし、どこかしらの布を巻き込んだ名残もついてしまっている。そろそろ貼り変えなきゃな、と思ったところで照明が落ちた。
推しの蒼汰くんが捌けたことを確認してすぐに荷物をまとめる。アンコールのファンサ曲が終わってすぐに靴も履き替えておいたし、うちわも仕舞ったからあとは防振双眼鏡をしまうだけで、それなら歩きながらでもできる。明転する前に席を離れて、こういう時に推しがとっとと捌ける人よかったと思う。ヲタクの群れの中なんて、長い時間居たい場所じゃない。スマホの電波はまだ入らなくて、メモアプリ開いてなんとなく雑にレポをまとめる。たいして面白いことがあったわけでもなく、平凡なコンサートだった。ファンサも出席確認程度で、尚更モチベも上がらないし、今日はハズレだったかもしれない。会場を出たところで、LINEの通知が入った。
『まゆ』
『今日いるよね?』
『結局わたしも今日入ったからご飯食べよ笑』
連続で送信されたメッセージに思わずにやけてしまう。LINEが来ているということは、もう相手も会場を出ているという事だ。萎えた気持ちが起き上がってくる。
『あほや笑』
『サイゼ前集合で』
重たい通信にあらがうみたいにゆっくり送信されたのを確認してから、駅に向かって歩き出した。すでに足早に外を歩いているヲタクたちは、終電に間に合うためとかそういうことだろう。駅前でご飯を済ませられるなら、わたしは急ぐ理由もない。会場をさっさと去るのは、ホテルまでの電車で座って帰りたいだけだから。靴ズレは相変わらず痛いけど、これからの時間を思うと案外気にならないものだ。
それなりに最寄りの駅までが近く、アリーナにしては便利な会場として有名で、その分地方なのにチケットの倍率も高い。わたしはそもそも自分で当てる気持ちないから倍率は気にしない、と言いたいところだけど、倍率は相場にも影響するから面倒くさいのも本音で。こういう会場では、無駄に前列に入ろうとするだけお金が飛んでいく。どうせなら自チケで最前が当たっていればな、と思うのはもう毎年のことだった。そうすれば、死ぬ気で稼いだお金を少しは自分のために。
「おーまゆ!おつかれ〜」
「え、リナもう着いてたん?ごめん!」
名前を呼ばれて思考が途切れる。待ち合わせしていたリナは、すでに駅前のサイゼリヤにいたらしい。いいよー、と軽く笑いながら、入り口へ続く階段をのぼり始めた。あまりにも軽い調子のリナには言いたいことがありすぎて、少し駆け足で続く。
「てか何してんの?ここ広島やけど?なんでいんの?」
「いやそれが色々あってさー、話すと長いからあとでちゃんと言うね」
ヲタクが唐突に会場にやってくるのに、色々というほど理由がないのもわかっていて、だから聞くことなんてたいしてないはずなのにこんなにも面白いからたまらない。通された席は二人がけの狭い席で、広い席が良かった、なんて文句を言いながら席に座る。やっと靴ずれの痛みが和らいで、そうしたら靴を履いているのも鬱陶しくなってしまう。投げるみたいに脱ぎ捨てた靴が隣の空いた席まで飛んでしまって、それにも笑いが止まらなくて裸足のまま身悶えながら笑って、どこまでいっても馬鹿みたいだ。
「なに食べる?」
「いつものー」
「あんたのいつもを知らないんだよな」
やっと笑いが止まったのにまた笑えてしまって、半分ひきつれた声で「ミラノ風ドリアと辛味チキン」と告げる。聞いてすぐに呼び鈴を押したリナは、メニューを閉じて指にいくつもつけていた指輪を外し始めた。
「リナはなににすんの」
「いつものやつ?」
「どれやねんいつものやつって」
もう何を言っても面白い。
「で?なにしに来たん?」
「いやさー、全然来る気なかったんだけど、相場どうなってんのかなーって広島のチケ見ててさ」
注文したカルボナーラを口に運びながら喋るリナの話を聞きながら、熱くて食べられないドリアを無意味に混ぜる。
「わたし、B4の7列5から7番あたりに入りたくてさ」
「なに?どの曲目当て?」
スプーンがグラタン皿に当たってカツカツ音が鳴る。リナはわたしの手元にちらりと目をやったあと、セットリスト後半のファンサ曲を答えた。わたしはやっとドリアを口に運びながら、ああ、とも、うん、とも言えない声で相槌を打つ。
「それで、たまたま広島でドンピの席があって、またそれが安くてさー。どうしようもなかったよね」
「あーね」
欲しい立ち位置のチケットなんて都合よく手に入るわけではなくて、だからそこ見つけた時は行きたくなる気持ちはよくわかる。でも。
「だからって前日に決めて東京からくるもんじゃないよねー」
「自分でわかってるやん」
笑いながらリナは飲み物のストローに口をつけた。辛味チキンに手を伸ばそうとして、一昨日新しくしたばかりのネイルを気にして箸を使う。骨付きのチキンは箸では食べづらくて、唇に脂がべっとりとついた。食べていい?と、返事を待たずにチキンに手を伸ばしたリナには頷いて返した。指輪を外した華奢な指に乗った綺麗なネイルを、リナは気にすることなくチキンを手掴みで頬張った。油に汚れた指を眺めて、汚いな、と思った。
「まゆは今日どこいたの?」
「C5最前」
「上手か。なに狙い?」
「今日は特になーい。テキトーに買った」
「あーまゆはそういうタイプだっけ」
小馬鹿にされたような気がして、イラつきを振り払うように鼻で笑った。リナは気付かずに汚れた指を紙ナプキンで拭って、スマホを取り出していた。ネイルが画面に当たってコツコツ音を立てている。わたしもスマホを手に取ろうとしたところで、リナが、あ、と声を上げた。
「ひめのも今日いたらしいよ」
「入る前にストーリー見た。A4の花横最前やろ?」
「そーそー。なんかまゆの推しに構ってもらったらしいよ」
「は?」
「ほら」
にやにやと笑いながら、スマホの画面をこちらに向けてくる。会場の最前柵にツアータオルを引っ掛けた写真と共に、白い文字でなんだかんだと書かれた画面の右上には、「親しい友達」という緑の枠が表示されていた。機嫌良さげな絵文字が散りばめられた文章は、ひらがなだらけのわかりにくい日本語の羅列で、文字を書くだけで人をイラつかせるなんてもはや才能すら感じる。
「『かまちいでたのちだった♡』ってなに? 普通に喋れへんの?」
「そこまでいくと別言語だよね」
「てか今日まじ機嫌悪かったから指差しとかしてへんかったっつの」
蒼汰くんの一挙一動を双眼鏡で確認しているのに、指差しなんてあった記憶はない。ひめのの虚言はいつものことで、でも席の良さはいつも本当だから余計に腹が立つ。いつも自分の推ししか見えていない、といったテンションのわりに他のメンバーも餌食にするひめのは、いつもわたしたちの悪口の的だった。
「機嫌悪かったんだ」
「んーてか、なんかファンサする気分じゃないです、って感じやった」
「珍しいね」
「なんやろ、わからんけど」
まだ今回のツアーでカンペはこなしてもらえていなくて、それでも蒼汰くんが今日ほど何もしていないのは珍しかった。オキラでもいたのかもしれない。ドリアの残り一口を飲み込んでため息をついた。
サイゼリヤの扉を開けた途端、冷たい風が吹き込んでくるのにふたり同時に、さむっ! と声を上げた。吹き付けた風のせいでコートの襟もとのファーが口に入って、不快感に顔をしかめる。荷物も増えるしかさばるし、冬の遠征なんて日焼けしにくい以外にメリットがない。グループのクリスマスソングだって、クリスマス近くの数公演しか見られない。
「今日どこ泊まんの?」
「わたしもう帰るよ」
リナはあっけらかんとそう言って、寒さに肩を竦めながら歩きだした。駅のコインロッカーに預けた荷物を取りだしたら、そのまま夜行バスに乗って大阪に向かい、朝一の新幹線で東京に帰るらしい。ここに来たのも、弾丸だったというのに。相変わらず頭の悪いスケジュールで動くリナの体力とメンタルの強さがうらやましくなる。それを叶える、経済力も。
「最近仕事どう?」
荷物を預けたロッカーを見失って駅で探し回るリナに付き合いながら声をかける。リナはこっちを見ないまま、鼻で笑った。
「まぁぼちぼち?そろそろやめたいかなーって」
「そうなん?」
「メンタル死ぬもん、おっさんの相手するの疲れた! まぁ、まずヲタクやめるのが先だけどね」
よくやるね、と言いそうになって飲み込んだ。だって、わたしには無理。知ってるからやらない。馬鹿にするつもりは無いけど、夜の仕事はなんだか自分の価値が下がりそうで。でも、お金を貰えるのは正直うらやましい。お客を相手に頭を下げて、立ちっぱなしで何時間も働いても、今の仕事ではリナのような生活なんてできない。安いコインロッカーから雑に引っ張り出されたヴィヴィアンのボストンバッグ。背負われたMCMのリュックも、もうひとつ色違いを持っているのを知っている。うらやましいけど、うらやみたくはない。わたしの知らない世界。
一人でホテルに帰るのはもう慣れっこで、でも友達と過ごした後の寂しさはどうにもできない。会場でまとめていたレポを読み返して、そこからいくつか掻い摘んでインスタのストーリーに流していく。ちゃんと親しい友達にしか見えないように、慎重に。「蒼汰くん、今日もありがとう」くらいなら、盛ったうちに入らないかな、なんて考えるのも馬鹿らしかった。いっそ、ひめのみたいに息するみたいに嘘をつけたらな。ひめのが嘘をついていると笑っていても、心の中では何処か不安で仕方なかった。双眼鏡から少し目を離していた時、死角に入った時、暗転した直後。本当に構ってもらえた可能性はゼロではなくて、そのせいでいちいち揺さぶられてしまう。
明日もまたコンサートで会えるのに、早く会いたいなと思うのはもう無意識で、ありったけのお金と時間を割いて、その分わたしだけが報われる未来を夢見ている。アイドルとヲタクなんていつだってそんなもんだ。とことんバカになれたら、この思いも少しは報われるかもしれないのに。
広島から帰ってくると、地元の大阪が急激に暖かくなったような錯覚に陥る。結局、二日目の公演も蒼汰くんの対応はいまいちで、そこまでいい席を買っていなくてよかったと 安堵した。久々に落ち着いて公演を見たことで新たな発見もあって、そういう意味では悪くない遠征だったのかもしれない。最終の新幹線で新大阪に帰り着いたのは、二十三時四十分。あと少しで、明日になってしまう。
見慣れた新大阪駅の構内は急に日常を引き戻してくる。そうするとなんだか、生きるのもとことん嫌になってしまうのだ。悪くない遠征だったと思えるのは、もう日常に帰ってきてしまったからだった。次の公演は二週間後で、それまでは地を這うように生きていくしかない。預金残高と、カードの利用限度額と、チケットの取引アプリと、給料計算アプリを行ったり来たりしてどうにかこうにか、自分を騙して生きていく。次の公演までに蒼汰くんの機嫌は直ってるのかな。不安に不安が重なって、キャリーバッグの重みが増していく気がする。もうとことん、嫌になる。
最寄り駅に向かう電車に揺られながら、ツイッターを開く。蒼汰くんの所属するグループの公式アカウントが、ニューシングルの発売をタイムラインの一番上でお知らせしている。握手券を応募するためのシリアルコードが同封された、一週間後に発売を控えたシングル。予約状況、いまいちなのかな。蒼汰くんたちがアリーナ規模でコンサートを開催できるのは事務所の力が大きい。大手の事務所に所属して、その事務所のファン相手に商売をしているようなものだ。世間の認知度は、まぁそれなりといったところだ。音楽番組の出演頻度もそれなりだけど、一般のファンがついているイメージはない。わざわざ餌をぶら下げたCDをファン相手に売ることで成り立たせている。無性に虚しくて、遣る瀬無い。コンサートだって、リピーター層が厚いからようやく席が埋まっていると言っても過言ではない。倍率が高く見えるのも、ひとりのファンが当たり前に複数名義を持っているからで。だから、早く見つけてほしい。多くないはずのファンの中で、何度も通ってるわたしを。本当に、馬鹿みたいだ。
自宅に到着した途端、重たいキャリーケースを玄関に投げた。狭い廊下はキャリーケースひとつで埋まってしまって、キッチンボードにつっかえながらなんとか部屋に流れ込んだ。うちわの入ったトートバッグも、お気に入りのビジューバッグも投げ出して、床に落ちた瞬間うちわの柄同士がぶつかってバチン、と平たい音がした。コートのままでベッドに倒れ込んで目を瞑る。カラコンがまぶたで抑えられて、目が違和感を訴えてくる。疲れた。それだけだった。もう日付は変わってしまっている。あと十時間もすれば家を出て、バイトに向かわなければならない。目の前に横たわっているのは、大きな現実だった。




