なんだ、そういうことか…
「……ふざけんなよ」
それは地を這うように、低く怒りのこもった声だった。人間よりずっと上位の存在であるはずのユエルでさえ身震いするほどの純然たる怒り。その矛先は凶器を振るった少年ーーではなく自身を守るように立ち塞がったはずの少年に向かっていた。
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静は青葉の肩を掴んで乱暴に引き寄せるとすぐそばに立っていたユエルの方に突き飛ばした。ユエルはとっさに青葉を受け止める。小柄な少女が自身より十センチは背の高い少年を軽々と受け止める様は、普段なら奇異に思われるが、この場の誰もそんな事を疑問に思う余裕はなかった。
静はペンを振り上げて迫ってくる颯を青葉を突き飛ばした手とは反対の手であっさりと払いのけた。その勢いのまま手首を掴んで内側に捻りあげる。颯は痛みに呻き、ペンを手放した。
その場面はさながら、ドラマに出てくるナイフを振りかざす犯人とそれを捕えるヒーローの捕り物劇だ。この後は断罪か説得か。けれど、物語のクライマックスは予想外の方向に転がっていった。
あろうことか、手首の痛みに呻く颯を放置して、静は自身が突き飛ばした青葉に向き直った。普段からつり気味の眦は限界までつり上がっていた。
一部始終を見守っていた生徒たちはあまりの展開についていけず、ただ呆然と彼らの外側で立ち尽くすしかなかった。手を出すことも、口を出すことも憚られる。
この場を支配しているのは間違いなく静だ。本気の静に否やを唱えられるものはいない。普段、小姑のように姦しい少女たちでさえ、今後の展開を見ていることしか出来なかった。それぐらい、今の静からは厳然としたオーラが放たれていた。
「……なんで、俺の前に、出た」
静の全身からは怒りが立ち上っていた。静の人となりを知らぬものなら、本能的な恐怖に身が竦んでいたであろう。けれど、普段の静を知っている者ならば、恐怖よりも困惑を覚える。
普段から不機嫌そうな顔をしており、口調も素っ気ないため、誤解されがちだが、静が本気で怒ることは実は少なかったりする。
怒っているように見えてそのほとんどが照れ隠しだったり、威嚇だったり。相手の失態や失言にもどちらかといえば呆れを多分に含んでいる。正確に把握出来るのは、両親と青葉くらいなもので、最近では青葉やその他の面々とのやりとりで、静が意外と寛容である事にクラスメイトたちは気づいてきていた。
それ故に残念感が増していたのだが、静が気付くはずもなく、だからこそ、颯ならともかく青葉にこれ程の怒りを向ける静に青葉含めクラスメイトたちは困惑した。
未だにふらつく身体をユエルに支えてもらいながら、青葉は静に向かい合った。ユエルがちらりと見上げた横顔は混乱からか険しく、普段は緩やかな弧を描く眉を眉間に寄せ、何かを言いかけてぎゅっと口をつぐんだ。おそらく『二階堂くん、大丈夫?』とでも聞きたかったのだろうが、静の視線は許さないとばかりに鋭かった。
睨み合う二人を傍目にユエルはちゃっかり、青葉の腰に腕を回し、どさくさに紛れてしっかり抱きついていたりする。普段なら方々から非難が飛んでくるが、誰も文句を言えない状況なのをいい事に、思う存分青葉を堪能している。正直な身体とは裏腹にユエルもまた頭の中は怒りでいっぱいだった。
“僕が側についていながら、青葉さんを危険に晒すなんて!”
危害を加えよとした颯はもちろんの事、青葉が庇おうとした静にも腹が立つ。何より青葉を受け止めるしか出来なかった不甲斐ない自身に、だ。
万が一の時は自分がどうにかすればいいと思っていたちょっと前の自分を殴ってやりたい。へたをすれば青葉が傷ついていたかもしれないのだ。ボールペンと言っても害意を持って振り回されればそれはまごう事なき凶器だ。顔めがけて振り下ろされたそれに、いくらでも最悪の事態が想像できた。結果として静を守るように颯の前に飛び出した青葉は静自身の手によって退けられ、ユエルが手を出す隙など微塵もなかった。
その事を悔しく思いつつ、身を呈して庇おうとした青葉に向かって怒りを向ける静にユエルは噛みついた。
「原因を作ったあなたが青葉さんになんて言い草ですか!青葉さんに何か言う前に問題を解決するのが先ではないのですか?」
静は鋭い視線をユエルに移動させ、今度は静とユエルが睨み合う。数瞬、時を置き静はふいっと顔を背けると手首を抑えて蹲る颯の前まで行くと遠慮なく胸ぐらを鷲掴み、引き寄せると、
ーー思いっきり頭突きした。
脳天を突き抜けるような痛みに颯は悶絶する。ちかちかと目の前を星が舞い、外れてはいけない何かが外れるような音がした。
痛みに呻く颯の胸ぐらを掴んだまま、静は言葉を吐き出した。
「俺に勝てない?俺がいなければ?笑わせんな。てめえの努力を一番否定してんのはてめえだって気付け馬鹿が。何に対して俺に負けてると思ってるかは知らねえがそう思ってる以上お前が勝つ日なんて一生来ねえよ。俺に勝ちたけりゃ、いっぺん死んでから出直してこい!このど阿呆!」
静の言葉に颯は唇をわななかせ、きっと静を睨みあげる。先ほどの頭突きで眼鏡が外れ、何も通さない瞳がそこにはあった。
「だって!僕は君より優れているはずなのに、誰も僕を見ようとしない!みんな口を開けば二階堂、二階堂って君ばっかり!どうして誰も僕を認めてくれない?どうして何の努力もしてない君が、みんなの中心にいるんだ!どうして君ばっかり……!」
「なんだ、お前。友達が欲しかったのか」
「「「…………は?」」」
痛みを忘れ、再び激昂する颯に静は逆に冷静になり呆れたように力を抜いてぽつりと呟いた。颯の叫びの間に呟かれたため、静まり返っていた渡り廊下で静の声はばっちり全員の耳に届き、その言葉に静以外の全員が固まった。




