アルブレオの憂鬱
突然そんな話をされても、すぐに返事はできないと父親に言われたルベルロサは、前向きに検討をお願いしますと、デザートも待たずに立ち上がった。
アルブレオも慌てて席を立ち、一礼して退席する。
人払いをして小私室に向かうルベルロサの背中を追い、ドアを閉めると胸ぐらを掴んだ。
「説明しろ…」
高級なシャツが皺になっているが、勢いのまま壁に押し付けた。
吐息がかかる距離まで、綺麗な顔に詰め寄る。
金色の瞳がアルブレオの肩越しを見つめていた。視線の意味を、首に当てられた刃物の感覚が教えてくれる。
「下がれノアル」
「嫌です」
「…アルブレオ、手を離せ」
感じたことのない殺気に冷や汗が流れる。指が強張って動かない。アルブレオは苦労して震える手を離した。
数秒の間をおいて、短剣の冷たさが遠ざかる。
「このままじゃ話が出来ない。お前は下がってろ」
主人の命令を聞いたのか、物音も立てなければ気配も感じないので判断がつかない。
ルベルロサは乱れたシャツを整えなら座るように促したので、アルブレオは大きく息を吐いた。
「俺は…メンバーに殺されかけたのか!?」
「お前の手が早いから威嚇されただけた。俺からも注意しておく、今のは忘れろ」
「忘れられるか…!」
今になって、心臓がうるさく鳴り響く。
「それより…さっきのアレは…」
「幾つかのプランは考えていたのは確かだが、大筋は変わらない。聖騎士団長が同行するのも、ちゃんとした理由がある。順を追って説明する」
「…聞きたいのは、そっちじゃない」
ソファーにどっかり腰掛けたアルブレオは、顔を手で押さえた。
「話を戻そう。お前が気になってるのは、みんな俺達の関係を誤解してるって話だろう?」
「そうだよ!わかってんじゃねぇか!」
「都合が良い。このまま、誤解させる」
「は?」
「ご婦人方の反応を見ただろう?アレならいける。そっち方面の支持を得られるなら話が早い」
「…どっち本面?」
わかるけど、わからない。
アルブレオの思考が停止するのと同時に、ノック音が聞こえた。
ルベルロサの返事を待たずにドアが開いた。食べ損ねたデザートと珈琲を乗せたサーピングカートを押して、フラブが入室してくる。
「大丈夫ですか?」
豊かな香りに癒されるアルブレオだったが、珈琲を注いでいるのがノアルなのが微妙なところだ。
殺気を感じない、すまし顔だ。
止めたんですけど、無理に入ってきちゃったんですと、そばかすの目立つフラブの顔が語っている。
「それとルベロ、俺のこと知っていたのか?」
「評判の音楽家はひととおり…演奏を聴いてお前だと思った。だから呼び寄せた」
そう言われて納得した。
男爵夫人には夜会の招待が多いが、商人でもないのにソリオスの展示会に招待されるのが不思議だった。
「俺が来なかったらどうするつもり…」
「来ると思った。現に、お前は来た」
自分を殺そうとしたノアルから珈琲を受け取り、アルブレオはため息をついた。
そうだ。昔から、この男の根拠のない自信に間違えがない
「丁度良い。2人とも、今後の方針が決まったから聞いてくれ」
珈琲に砂糖とミルクをたっぶりと注いで、狼狽するアルブレオの顔を順番に見つめてルベルロサが言った。
「俺もお前も、苦労知らず末っ子、金にも政治にも無頓着なバンドマン。そうだな?」
「えぇ、まぁ、おっしゃる通りで…」
「こんなタイプは、金と政治に利用されやすい。だから、逆にこっちが利用してやる…」
一度間を置いて、ルベルロサが言った。
「とりあえず、俺とお前で、婚約しよう」
アルブレオは、貴重な珈琲を吹き出した。
「お前の密入国は、親父に頼んだ」
「…俺、密入国者なの?」
「親父を説得する言葉が、少しばかり情熱的だったみたいで…」
やっと見つけた。ずっと探していた。
そんな言葉を並べたら、誤解するだろう。
「入国させちまえばこっちの物だから、誤解は後で解けば良いと、思ったがやめた。このまま婚約しよう」
「だからなんで?」
「形だけだ。世俗司祭とは言え聖職者だ。結婚できないだろう?だから、婚約とはっきり明言しない。今は巡礼に徹底しているから、時が来たら、いずれは還俗する。その時に、折を見て、みたいな感じの空気で誤魔化す」
曖昧で、いかにも貴族らしい。
「良い考えですね!」
吹き出した珈琲のシミがついていないことを確認したフラブは、アルブレオの乱れた服を直しながら笑った。
ノアルは、怖いほど無表情だ。
宗派にもよるが、現世で同性婚は禁じられていない。親の爵位や財産を受け継げないなど、ある程度制限があるため、貴族の世界では愛人を作るのが常識とされている。そのため、西諸国では愛妾の地位は高い。
同姓同士で結婚するのは、偉大な愛の証明とされている。
「…ウェスペル様…子息の恋愛に寛容すぎない?」
「愛のためにが家訓の我が家だ。それに、他人には理解されない行動も、愛のためと言えば納得される。寝ている間に拉致したのも、他国に巡礼の旅に出たり…。理屈に合わない行動も、愛のためなら許される」
「だから婚約っては…」
「お前の実家に挨拶に行く理由が出来たろう?」
茶目っ気たっぷりにウィンクされた。思春期なら、これだけで恋に落ちたかもしれない。
旋律奉仕としての巡礼とは、神に祈りの音楽を捧げながら教会を巡る音楽活動で、前世の感覚ならライブツアーだ。
「教会逃げ出して他国でバンドを組んだ放蕩息子をさの帰国をお前の実家が許すか?婚約者を連れて華々しく凱旋の方が箔がつくだろう?」
「…そうでしょうけど!待って、待って、それで寝込み襲われたの?」
「そんなことしたんですか?」
「なんだ!貴様!ルベロ様に不満があるのか!殺すぞ!」
「ちょっと、バンド仲間が物騒なんですけど!」
「あれはただの悪ふざけ。お前の評判聞いたら、手籠にされたのは俺の方じゃ…」
「ちょっと待って、ホント待って!」
今日、何度目かの眩暈がする。
職業としての音楽家は簡単に許されない。前世でも反対された。だからルベルロサの計画に同意した。
無謀だが、バンド活動がしたい。
アルブレオは酒よりも煙草よりも、場合によっては女よりも、音楽が好きなバンドマンだ。
「事情はわかった。大体は目を瞑る。ビジネスですから!でも、ひとつだけ、確認させて…」
己の身持ちの悪さは自認している。
ない、と思うが、一応、両手で顔を押さえたアルブレオは聞いてみた。
「…そんな関係じゃなかったよな?」
少しだけ間が空いた。
この沈黙が怖い。
恐る恐る指の間からルベルロサを見ると、肩を震わせて笑っていた。
「お前…面白いな…」
耐えきれずに吹き出した、ルベルロサが言った。
「俺たちの関係は、そんなもんじゃ済まないだろう?」
ひとしきり笑った後に、意味ありげな視線を向ける。
音楽を通して、ステージで感じていた。
音に溶けて、混ざり合う。
音楽で、心も身体も陶酔した。
ステージの上で感じる衝動は、愛や恋では満たされない。
猫のように縦に割れた瞳孔の瞳が、真剣な色を帯びてアルブレオをまっすぐ見つめる。
「何よりも変え難い高揚感…お前も知っているだろう…?」
挑発的な金色の瞳に、薄く笑うセクシーな唇。鼓膜を震わす低音ボイスは、思春期なら、毎晩見る夢に悩まされる。
アルブレオは頭を抱えた。
聖騎士連団長、ゲイブ・シシオガミ。身長2メートルを超える大男だ。広い肩と丸太のような腕、スーツを押し上げる大胸筋。絞り上げだ腹部に貼った太腿。軽く後ろに撫髪はプラチナブロンド。猛禽を思わせるアンバーの瞳は、当然のように始祖が返りだ。
「創国記にも名前が記されている。成り上がりのウェスペル家よりも、高貴な身分だ。シシオガミ次期当主の姉君の元に、ウチの次男が婿入りしている。ちなみに、魔法陣の研究バカだ」
公式の席ではない。今日は友人として挨拶にまいりましたと、敬礼ではなく胸に手を当てて頭を下げた。
見かけは獰猛だが、優雅な仕草は洗練された貴族のものだ。
アルブレオの帰国とルベルロサの訪問に、護衛騎士として同行する。
「ルベロからリュートの素晴らしさを聞いております。今日の演奏を楽しみにしていました」
「それは…どうも…こんな姿で…失礼を…」
イルテアに向かう前に、アルブレオは神楽奉納に参加することになった。豊穣と収穫を祝う、秋の奉納行事だ。
この世界の宗教は多神即一霊だ。根源は同じだが、存在の異なる面を拝んでいるため、土地ごとに神事が異なる。
イルテアは女神信仰が主流だが、ソリアスは土地神信仰だ。
西の聖堂は、信者が集う教会だか、東の聖堂は神社で、神の住む家だ。
神社のステージは神楽殿と呼ぶ。教会と違い、四方吹き放ち、柱と屋根だけで構成されている。
ようするに、野外ライブだ。
さらに、ソリオス国で最も格式の高いソリアス神宮のステージに立つ。
デビュー公演で日本武道館を飛ばして、東京ドームを経験する心境に違い。
現在、本番前のヘアメイクの最中だ。リハーサルが伸びたので本番まで時間がない。使用人が三人がかりで、アルブレオの準備している。
忙しい合間に申し訳ないと、頭を下げて退室する聖騎士団長の背中を見送たいアルブレオだったが、顔に何かしらを塗られているのでそれも叶わない。
「なんだ、まだ終わってないのか?」
身支度を終えたルベルロサが、呆れたように言った。
「メイクを嫌がって、暴れるからですよ」
こちらも支度を終えたフラブが笑うと、ノアルが無言で見下した視線を向けてくる。
文句のひとつも言いたいが、リップを塗られている最中なので何も言えない。
メイクは初めてじゃないだろうと、ルベルロサが呆れたように言うが、これほど念入りにメイクを施されたことがない。
つけ睫毛も初めてだ。七色に光る鳥の羽毛から作られていて、やたら長くて瞼が重い。まばたきする度に、頬に風圧がかかる。
心の底から煙草が吸いたい。恨めがましい目でルベルロサを見上げた。
忌々しいほど整った顔だ。ドレスアップの必要のないこの男のせいで、こんなことになっている。
この男の隣に立つために、念入りに美しく、月の神のように優雅に見えるように…。
(バンドマンも楽じゃないよ…)
髪に複雑な編み込みをされながら、アルブレオは大きくため息を吐いた。




