再会
目覚めはすっきりしなかった。頭が重い。二日酔いに似ている。否、二日酔いかもしれないと思い直した。寝酒にワインを何本か空けた。
腕に滑らかな肌の感触がある。ソプラノ歌手とは深い関係になっていない。彼女は箱入り娘だ。軽く口説いて、キスするくらいが丁度良い。
手は出していない。と、思うが、アルブレオには自信がない。
まったく思い出せない。
困ったことに、この経験は初めてじゃない。
現世はもちろん、前世でもあった。
(成長してねぇ…)
頭を抱えて唸っていると、寝具が揺れ衣擦れの音がした。
恐る恐る覗いた指の間から、大理石のような肌が見える。
赤く短い髪だ。ソプラノ歌手ではないと安堵する暇なんてない。
「おはよう、ダーリン」
声が、低い。
「うわあああああ!」
長い睫毛、金色の瞳。生意気そうな鼻に形の良い唇。とんでもない美形が、裸で寝そべっているが、まったく嬉しい状況じゃない。
「なんでいるんだよ!ここどこ?俺の部屋だよね?俺パジャマ着てるじゃん!」
アルブレオの声量にルベルロサは耳を押さえた。顰めた顔も美形だが、見惚れる余裕などない。
ショック療法が効いたのが、頭の霧が少しづつ晴れてきた。
演奏の後、頭が痛むからと部屋に戻り、シャワーを浴びてからベッドに潜り込んだ。結局眠れなくて、キャビネットの酒を飲んで酔い潰れた。
視界がグルグルするのは、酒のせいだけじゃない。
ルベルロサは水差しを取り、グラスに注いだ。
手渡されたそれを一気に飲み干し、大きくため息を吐く。
「気分は?」
「…わかんねぇ」
最悪だと言いたかったが、素直に本音が出てしまった。
本当にわからない。
「なんで裸なんだよ!」
「…面白いかと思って」
そう言って、ガウンを羽織った。
ソリオス産のガウンは、着物の羽織だ。西諸国の貴族の間では、派手な柄が流行っているが、ホテルで用意されたのは無地で控えめな濃紺の単色だ。
「ドッキリ大成功?」
悪戯が成功した子供のような笑顔が、無性に腹が立つ。
「この悪魔…」
「お、やっぱり覚えてたな?」
思わず出た悪態だが、前世の彼の呼び名だと言ってから気がついた。
悪魔と契約して音楽の才能を手に入れた。そんな人間の逸話をベースに、何がどうなったのか、彼本人が音楽の悪魔と呼ばれた。
ついにその域まで達したのかと、揶揄った日が断片的に思い出される。
実際、それほどの才能とカリスマ性を持ち合わせていた。
「どこまで覚えてる?」
「お前がボーカルで俺がベース…」
「他のメンバーは?」
「覚えてる。ドラムとギター…見た目は全然違うけど…昨日いたな?」
最高のセッションだった。
前世の記憶とリンクする。
断片的な記憶だ。自分の薄い魔力のように、意思に反して現れる光の粒のように、儚く脆い。
「あの二人も…記憶があるのか?」
寝具に腰掛けたアルブレオは煙管を取り出し、自ら削った煙草の葉を丸め、火皿に詰めるた。
「ないだろうな」
うなづく代わりに、使い古しのライターで火をつけた。前世で吸っていた煙草と違い、こちらは火の加減を見ながら、慎重にゆっくり吸い込む。
肺に煙が満たされると、少しばかり頭がクリアになってきた。
「…で…ここどこ?」
調度品の配置が似ているので騙された。昨晩寝たはずのアルブレオの部屋ではない。
「お前、起きないから。ちょっと無断で、俺の部屋に招待した」
「…そうですか」
文句と不満でいっぱいだが、結局は言葉にならない。
サイドボードの上に置かれた硝子の灰皿は、大胆なカットを施され、宝石のように美しいが、アルブレオは躊躇なく雁首で叩いて灰を落とした。
目の前の青年は、宝石よりも美しい。
ルベルロサは椅子に座るとバインダーを手に取り、書類をめくった。
「なにそれ?」
「お前の身辺調査の報告書」
予想はできたが、気分は良くない。
「アルブレオ・カディラス。イルテア北部ゲール地方の子爵次男の馬鹿息子って書いてある?」
「あるな。貴族院を卒業してから、家族との諍いで家を出て大司教の大叔父の元に身を寄せ、一年ほどで、行方をくらませ、中央都市の男爵夫人の愛人に収まった」
「ちょっと違うが、だいたい合ってる」
みなから誤解されているが、アフブレオは男爵夫人の愛人ではない。彼女は亡くなった夫を心から愛しているし、岩みたいな顔をよした軍人の夫に心底惚れていた。、それと同時に、美しい女達を愛ていた。アルブレオのリュートの音色は気に入ってるのは確かだが、本心では珍しい着せ替え人形くらいにしか思われていないだろう。
だが、悔しいので内緒にしている。
「確かに、ちょっと違うな。腹違いの兄との跡目争いが嫌で家を出た?」
書類から目を離さないルベルロサの問いに、アルブレオは無言で煙草の葉を丸めた。
カディラス子爵の事業は、父の代で大きく発展した。特産である織物産業は質が高く人気があり、ソリオスにも輸出されている。
父の前妻は下級貴族の幼馴染だったが、兄が幼い頃に死別した。後妻に入ったアルブレオの母はクォーツ連邦国の出身で、併合されたオニキス王家の血を引いている。父親の事業が軌道に乗ったのは、母の後ろ盾が大きい。
「オニキス独立を目論んでるって噂もある…大国イルテアの裕福な貴族との繋がりが欲しい連中とか甘い汁を吸いたいとか…母方の係累の声がうるさそうだ」
「家族は寡黙だったけどね」
父も兄も、勤勉で寡黙だ。母も大人しく控えめな女だったが、母方の親戚は物の例えとかではなく、本当にうるさかった。特に母と姉妹が、口を挟む暇がないないほど、朝から晩まで喋っていた。
身分の高い母親を持つ次男の方が、次期当主に相応しいとの声は領内でも上がっていた。ソリオスほどの量はないが、オニキスでも魔硝石が発掘されるからだろう。
跡取りは兄だ。特に仲が良いわけでもないし、父親に似て面白みに欠ける兄だが、次期当主になるべく兄の努力を知っていた。
土地も家業も嫌いではなかったが、当主の座に興味もない。祭り上げられるのも争いの種になるのも嫌だった。
だから大叔父の元に身を寄せた。大叔父も跡目争いを嫌い叙階したと聞いていたからだ。
とは言え、大叔父のほど信仰深くない。修道院に所属しなくても司祭として働ける世俗司祭なら、貴族の体面を保てる。リュートの腕を活かせる在俗の奉楽師として、旋律奉仕をしていたが、結婚間近の領主の娘に言い寄られた。
断じて、アルブレオの方から口説いていない。が、アルブレオにも隙があったような、なかったような、普段が普段の放蕩ぶりなので、早々に逃げ出した。
「それで、お前は家に帰るつもりはない?」
「まあね。今更、どのツラ下げて帰れるかっての」
アルブレオが煙管を咥えるとルベルロサが呼び鈴の鳴らした。外で待機していた使用人二人、サーピングカートを押して入って来た。
カートの上には軽食とティーポットが置いてある。
「紹介しよう。こちら、アルブレオ・カディラス。昨日の最高のゲストだ」
給仕係は、昨日セッションした二人だった。
「昨日は人手不足で会場の手伝いをしてもらっていたが、普段は俺の側で働いてもらっている。こっちはノアル・イクシア。紅茶を淹れるのと、リュラリュートを弾くのが上手い」
小柄で褐色の肌に銀髪の青年だ。琥珀色の瞳でアルブレオを見返して、少しだけ頭を下げた。
「フラブ・ヘルパ。厨房で働いていたが、痺れるゴブティブレを叩くから、こっちに引き抜いた」
緊張した面持ちで頭を下げる青年は、茶色の巻毛と灰色の瞳の主で、少年の面影がある。アルブレオと変わらない背丈だが、腕や肩が驚くほど逞しい。
前世のバンドを組んでいたメンバーだと思うのだが、改めて対面すると困惑する。
ルベルロサには前世の面影があるが、この二人はまったく違う。が、演奏で感じた衝撃の方が、些細な違和感をかき消した。
「昨日はどうも…」
貴族らしくない物言いだが、アルブレオを開き直り、互いの健闘を讃え拳を突き出した。
意味が分からず、キョトンとした顔で見られている。
彼の故郷では流行りの挨拶なんだと、ルベルロサが笑いながら拳同士を合わせた。
主人に倣い、二人も軽く拳を合わせる。
光栄ですと笑顔で返すフラブに対して。ノアルの方は胡散臭い目で見ている。
愛想笑いを強張らせるアルブレオに一礼し、二人が退出するとルベルロサは声をあげて笑った。
「お前…そんな真似…前世でもしてないだろ?」
「ちょっと笑いすぎ…」
混乱しているので仕方ない。
頭を抱えるアルブレオは、洗顔用の水と顔を拭くリネンが用意されているのに気づいた。部屋に洗面所がないのは、下町の宿くらいだ。アルブレオは部屋を見渡し、決定的な違いに気づいた。
隣室がない。部屋が狭い。窓も小さい。洗面桶に貼られた水面が揺れている。
「嘘だろ…」
クリーム色の壁を、丸く繰り抜いたような小さな窓から海が見える。
目の覚めるようなコバルトブルーだ。オーシャンビューどころじゃない。
「気づいたちゃった?」
「お前…自分の部屋って…」
揺れているように感じたのは、酒のせいじゃない。
「俺の部屋だ」
「船室じゃねぇか!」
「男爵夫人の承諾は得ている。お前の私物も積んである。手続きはこちらで済ませた」
「何を勝手に…」
「お前をソリオスに連れて行く」
「はぁ!?」
「探したぜ、ベーシスト。どうせ国には帰らないんだろう?」
ルベルロサは、悪戯が成功した子供のような顔を見せた。
「俺ともう一度バンドを組んで、ついでに世界を救おうぜ」




