第2話「鉄の雨は再び」
ニルは協力者を得て、仇敵たる聖女ラシェルと対峙する。
ラシェルの姿は、200年を経て思わぬ変貌を遂げていた。
俺達は小舟で出港した。
協力者は結局、あの老船乗り一人だけだった。
船酔いとは別種の重さが胃に渦巻く。だが大人数を個人的な復讐に巻き込みたくないという思いも、確かにあった。
波に揺られる間、彼から俺が「死んでいた」期間の事情を伝え聞く。
自身が聖女200年の統治に唯一抗った魔女『ニル』として伝説と化したこと、処刑場で振るった力が『黒歌』と呼ばれていたことなど……。
ふと、オールを漕ぐ老船乗りの手元で何かが煌めく。光の正体は皺枯れた手に似つかわしくない、華美なダイヤの指輪だった。
「……爺さん、それはあんたのか?」
「いいや、家内のさ。何年も前に死んじまったがね」
事情の詮索は野暮だ。
やがて聖女が住む入江に辿り着く。
湾内には眩い金銀財宝の山々。
――その麓に、いた。
聖女ラシェルが。
水色の髪に金色の瞳は忘れようがない。
「あらぁ、貢物でも持ってきてくれた?」
上陸した俺達に、ラシェルは艶の混じった声で問いかけてきた。
こちらへ寄ってきた拍子に彼女の腰布がずれる。
現れた下半身は――ぬめりを帯びた魚。
人魚そのものの異形ぶりに心臓が跳ねた。
裁判で対峙した時は、確かにヒトだったのに。
「お前、人間やめちまったのか!?」
「失礼ね。これは進化の証、女神に選ばれし者の証よ」
ラシェルは誇らしげに胸を張った。
「てゆーかあんたニルよね? 処刑したのに生きてるとかありえない!」
「お前が憎すぎて、死んでも死にきれなかったぜ」
「あーあ、いっそのこと、細切れにして海に撒いとくべきだったわ!」
「何だと!?」
殺気立った視線が交錯する中、横から老船乗りが頭を下げた。
「ラシェル様、此度の嵐の訳をお聞かせください。町の者は困惑しております」
「出来の悪い真珠をよこしたからよ。こんなちっさくて艶もない一粒で喜ぶと思って?」
ラシェルは宝の山から真珠を取り出し、汚物でも扱うようにピンと弾いた。彼は慌てて粒を受け止める。そして彼女へ向かって跪いた。
「……ラシェル様、これほど頻繁に海を荒らされては、我々は真珠漁に出ることもできません。どうか気をお鎮めください」
「うるっさいわね!」
ラシェルは尾ひれで俺達に砂を飛ばした。反射的に手で顔を庇った船乗りの指に、彼女の視線が釘付けになった。
「っ、よく見たらあんたの指輪の方が綺麗じゃない。よこしなさい」
「これは亡き妻の形見です。いくらラシェル様でもお渡しする訳には……!」
「何よ、聖女に逆らうっていうの!?」
ラシェルは目尻を吊り上げた。
忽ち天に黒雲が立ち込め、風が吹き荒れる。
彼女の声が魔力となって楽譜のように可視化し、空気を震わせた。
(((よこさないなら、隣の死に損ない共々飲み込んでやるわ!)))
聖歌に呼応して大雨が降り出す。瞬く間に海がせり上がった。
(((逆巻《さかま》け、潮呼《ウェイブ》っ!)))
「爺さんは下がってろ」
俺は嵐に臆さずラシェルの前に出た。
怯える船乗りを庇って。
「あんたに私は倒せないわ! 自分で右目を潰したバカなんかには!」
「あの時の俺とは違うんだよ」
処刑の場では全てが憎かった。
何もかもを殺したくて、無闇に暴れ散らす心が惨劇を招いたと今ならわかる。
だが、憎いのは眼前のこの女だけだ。
標的を定めた刹那、唱えるべき旋律がはっきりと見えた。
俺は歌う。
空中に黒き五線譜が描かれ、円となって陣を形作る。そして中心から異世界の兵器――アサルトライフルが現れた。
左肩に黒鉄の銃身を構える。
(((唸れ、FN SCAR-Hッ!)))
凄まじい衝撃、炸裂音、硝煙の匂い。
弾丸の嵐でラシェルはあっけなく肉塊へ変わった。
術者を失った大波はたちまち魔力を散らし、ただの飛沫となって足元へ降り注ぐ。
静寂の戻った海へ鮮血が流れ出す。
身体からどっと力が抜け、ライフルを落として砂浜に膝をついた。
飢餓感に苛まれながらもどうにか呼吸を整える。
――復讐を果たした。
自分から全てを奪った聖女を、この手で葬った。
しかし想像した達成感の類はない。
こんなものか……その程度だった。
「聖女を殺すとは、何と罪深い……」
背後で老船乗りがわなわなと震える。
「だが……」
すぐに彼は涙を浮かべ、ダイヤの指輪を手で包んだ。
「……ありがとう」
俺は何も言わなかった。
空は清らかに晴れ渡り、虹が差していた。
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