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第1話「甦りし魔女」

ニルが目覚めると、そこは聖女が絶対的権力を握る200年後のブリタニアだった。

自身の存在が伝承と化した世界で、『黒歌の魔女』ニルは復讐への第一歩を歩み出す。

「げほっ、ごほ……っ!」


 猛烈な嘔吐感で目が覚めた。

 胃からこみ上がる海水を砂上に吐き、這いつくばる。

 しばらくして、右側の世界が黒く欠けていることに気づいた。


 ……一体、何があって――。


 瞬間、脳裏に魔女裁判の記憶が蘇る。

 そうだ。処刑の時に右目が潰れたんだった。

 落ちていた布切れを結び、即席の眼帯を作る。


 ここは霧が煙るみぎわだった。肌を覆うのは白いシルクの死装束。傍らにはひしゃげた鉄の棺。蓋にはご丁寧にも『Nirニル』と俺の名前が刻印してある。

 全ての状況が「海に埋葬されていたが蘇生した」と示していた。


 理解しきる間もなく、腹が絞り上がる。

 耐え難い飢餓感。

 おそらく処刑寸前に発動した力――『聖歌』の代償だ。

 食糧を求めて浜辺を彷徨うろつく。そこで比較的新しい船の残骸を見つけた。散らばった硬貨の「1845年」の字に瞠目する。


 ……200年後だって!?


 俺が生きた時代は聖暦1600年代だ。

 時の流れに愕然とする。

 が、空腹はショックを凌駕した。


「め、飯……」


 木片を杖代わりにし、陸の方角に歩んだ。



◇ ◆ ◇



 遠くに見える町並みは、異常に白かった。

 ふらふらの脚で市内に辿り着く。看板には『ランズマウス』と書いてあった。

 ランズマウスとは、かつて俺が娼婦として働いていた町の名だ。タラが少し多く獲れるだけの小さな港町だったが、うらぶれた面影はどこにもない。白煉瓦で造られた真新しい建物が並び、道は石畳で舗装され、そこら中に漂う糞尿の臭いは綺麗さっぱり消え失せていた。

 だが発展に感動する余裕などなかった。

 手近な食堂へ駆け込む。

 そして、漂着物からくすねた金で料理をたんまり注文した。


「お客さん、すごい食べっぷりだね……」


 パンや塊肉を運ばれた先から平らげる。

 飢えた身体に栄養が満ち、涙が出そうだった。

 追加で魚の姿焼きも頼もうとしたら、メニュー表に大きな×印が付いていた。

 姿焼きだけではない。魚介料理にはことごとく×印が記してある。


「マスター、どうして魚料理がないんだ?」

「ああ。最近嵐が多くてね……」


 店主の親父は視線を落とす。加えて、先程から耳に入る客の話題はやけに陰鬱だった。


「また出港停止だ。漁に出られなきゃ献納金も払えねぇよ……」

「今回は何が不満なんだ? 真珠は昨日収めたばかりだってのに」

「しっ、声がでけぇ! 海獣の餌にされるぞ!」


 昼間から酒をあおる男たち。彼らの顔には、濃い疲労の色がへばりついていた。

 200年前も見た覚えのある光景だ。強者が、弱者を容赦なく搾取する構図。

 温まり始めた血が、急激に冷えた。

 ふいに、窓の外に黒雲が立ち込める。


「完全にラシェル様の御怒りだな」


 客の一人が漏らした呟きに驚愕する。

 ラシェルは、かつて俺を処刑した聖女の名だ。


「あの女、まだ生きてんのかよ!」


 思わず飛び出た怒声に、御怒りだと呟いた客が怪訝な顔を向けた。


「何言ってんだよ。この町は200年間ずっとラシェル様の天下さ。彼女が機嫌を損ねる度に海が荒れるんだよ!」


 その嘆きに歯噛みした。

 俺を陥れた仇が生きている。

 しかも、かつてより増長して……。

 胸の内に憎悪が再燃した。


「その話、詳しく聞かせてもらおうか」


 起立した瞬間、店内がどよめく。


「嬢ちゃん、聞いてどうするつもりだ?」

「俺がラシェルをブチのめしてやる」

「おいおいおい、冗談は服だけにしとけよ!」


 客の一人が死装束を指差して嗤う。飲んだくれていた他の輩からも次々とヤジが飛んだ。それでも俺は引かなかった。


「大体、勝てる算段はあんのかよ。聖女は半分女神様みたいなものなんだぞ!?」

「あるぜ」


 俺は脳裏に浮かぶ旋律を口にした。

 処刑場で目覚めた黒き聖歌の力。

 空間に漆黒の亀裂が走った。


「なっ、魔術か……!?」

「違う! 声が視える! 聖歌だ!」


 男たちが息を呑み、後ずさる。

 虚空から重金属の粉末が舞い落ち、掌の内で急速に結合した。

 現れたのは鉛玉。かつて処刑直前に、異世界より召喚した武器の一片。

 熱を帯びた弾丸をテーブルへ弾いてみせた。

 瞬時に木材が焦げ、黒く弾がめり込む。

 未知の金属塊と異臭に、店内が騒然とした。


「何もない所から……こいつ、本当に……」

「間違いない。伝説の魔女ニルだ!」


 ふらつきを押し殺し、にやりと笑みを作ってみせる。


「俺も『聖女』だ。船を出せ」


 やがて一人の老いた船乗りが、人だかりの中から歩み出てきた。


「……面白い。乗ってやろうじゃないか」

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