43話 これからもう一度
時は遡る。かなり前の話だ。
七草学園がアロンエドゥの襲撃を受けたその後。
サクタが撃たれ、マナは行方を暗ませた。
そして流未を沈没都市に連れて帰ろうとする軍人まで現れた。
一触即発の空気が学園側と軍人側の間に流れたが、それを制したのは乾だった。
乾と流未の会話に区切りがついた時、軍人が二人のもとへやってきた。
流未を説得するという建前でいた乾だが、自分にできることはここまでか、と座っていた腰を上げた。
だが。
流未は腰を上げなかった。俯いたまま動こうとしない。
軍人は乾に座った目つきを向ける。
「…説得は?」
「…すみません」
役立たずめ。と言いたげにため息をつかれる。
乾は居心地が悪そうに口を結んだが、どうしてもその場から離れられなかった。
軍人はそんな中途半端な乾を気にせず、片膝をついて流未に声をかけた。
「河童さん。帰りましょう。お父様とお母様がお待ちです」
軍人の声音は穏やかだ。
顔を上げた流未の表情もどこか落ち着いていた。
気味が悪いと思う乾とは反対に、軍人は少し安心したような表情を浮かべた。
だがそれは束の間の安心だった。
「…帰れないわ。だって私、じきに沈没都市の住民ではなくなるもの」
乾の気味が悪い、という感覚は正しかった。
軍人は穏やかな表情のまま驚きで停止している。
二人がなにか言う前に、流未は軍人に告げた。
「今から沈没都市に帰った時には私は除籍扱いされているはずよ。除籍申請を先日出しておいたから」
「なっ――」
軍人は驚愕のあまり立ち上がった。
穏やかだった表情は一遍、軽蔑に変わる。
「本気で…いや正気ですか。
あなたはフェイジャースレサーチャーの候補に挙がった人ですよ。二位階級のランクアクアまで持っている人が捨てていい代物じゃない。
恥ずかしいとは思わないんですか。
あなたには沈没都市に大いに貢献できる力がある。それを正当に評価だってしてもらえているのに、あなたはそれに応えない。
人としてどうかしていますよ。
できることをやらないなんて怠惰だ。罪深いほどの」
「できることを、やらない…ですって?」
沸点直前の彼女の声は控えめだったが、立ち上がった途端、その声はどすがきいていた。
「あなたに言われたくないわよ‼
沈没都市にいたのならアロンエドゥの襲撃なんて予測できていたでしょうに‼
なぜこの場所を後回しにしたの⁉アロンエドゥに私たちを殺させるためでしょう⁉
〝ほら見ろ。こいつらはこうやって人をたくさん殺した。だからこれから一人残らず始末していきます〟って‼
そう言いたいがために見捨てたあなたたちに‼
自分たちは善良だから、こうやって見捨てた場所にあとから来て助けるフリまでするあなたたちに‼
私の正気を疑われたくないわ‼」
さすがにその声量は他の軍人にも聞こえていた。
手を止める者も少しばかりいた。全員、ひどく冷たい眼差しを流未に向けている。
だがそれを振り払うくらいの熱気で、流未は声を張り上げた。
「私の価値が沈没都市にどう評価されているかは関係ない‼
沈没都市の評価が!こんな時なんの役に立つっていうの⁉」
熱気の裏、流未の心の隅は冷たい水滴が伝っていた。
引き留めても通り過ぎてしまった人たちの顔が流れるように心の中を走る。
中には日色みたいに、気が付いたら途中でいなくなってしまう人だっていた。
けれど、そんな冷たい水滴が流未の心を冷やしきれないのは。
サクタのように声が届いた人だっていたから。
大切な生徒の死が胸を掠って泣きそうになるが、目の前の理不尽に負けたくなくて飲み込んだ。
「自分にできることはなんなのか、そっちこそよく考えなさいよ‼
守りたいものが違うのは別にいい!
けどあなたが守らなかったものを守ろうとした人を罵る資格なんてあなたにないわ‼
私はもう――あの時みたいな…西アジアの時みたいな逃げ方なんかしたくない‼」
彼女の気迫は軍人たちの冷えた視線を揺らがせた。
一年前の大火災に思うところがあるのは決して流未だけではなかった。
〝でも沈没都市の決定だから〟。
それが当時の沈没都市側の人間の判断理由だった。
頭が冷えてから疑問に思った者は少しばかりいた。
今立ち止まっている軍人はその〝少し〟に該当する者たちだ。
流未の気迫を正面からぶつけられている軍人は完全に気おされており、口ごもっている。
乾の「ふ…ふふふ…」と笑い堪えた声が聞こえてようやく、軍人はキッと彼を睨んだ。
「笑いごとだと?」
「いや…、武器持っている相手に怖い者知らずだなって。できます?俺はできないから、一周回ってちょっと尊敬した」
「…お前…」
階級的には軍人の方が上だ。
そんな相手に乾が生意気な口の利き方をしたので、軍人はいっそう冷ややかに睨んだ。
初めて乾の素の笑顔を見て流未が面食らっていると、乾はほんの少し困った笑みを浮かべて軍人と流未の間に割って入った。
「…だ、そうですから。
彼女を沈没都市に連れて行くのは完全に無理ですよ。
こんなわからずやは、…内陸に置いていくべきだ」
軍人のほとんどはすでに沈没都市がいずれ海へ出航することを知っている。
暗にそれを含ませた言い方をした乾に軍人は低い舌打ちをしてその場から立ち去った。
これ以上ない、簡素な説得は沈没都市の軍人をあっさり引かせた。
足を止めていた周囲の軍人も気まずそうな顔をして、傷だらけの学園の片づけへと戻って行った。
「先生…」
静かになったそこへ、ゆりんが…いや、少しずつ生徒たちが集まってきた。
流未の通る声は彼らに聞こえていたようで、彼女が沈没都市から除籍したことになんとも言えない顔になっていた。
ゆっくり近づいて、でも堪らずゆりんが流未に抱き着いた。
今言うべき言葉が〝ありがとう〟ではないと、賢い彼らは理解していた。
ゆりんの抱擁を受け止めた流未はそんな彼らを真っすぐ見つめる。
「みんな。…他の先生方にも。話しておきたいことがあります。――これからのことで」
軍人が全員七草学園から撤収した夜。
流未は教室のシェルターの中で今後について話した。
確固たる証拠はないけれど、沈没都市はそのうち内陸から離れていくこと。
そうなれば内陸の治安は瞬く間に崩壊し、沈没都市の支援という加護が無くなればこのウォームアースすら安全な場所ではなくなること。
そのために避難場所を別に作っていること。
実はそういった協力者が内陸の各地、いわば流未の友人たちがいて連携を取っていること。
…不安に駆られて泣くのは子供だけではなかった。
この辺りウォームアースだけでなく、ウォームロードから勤務している教師もいる。
そこには自分の家族がいるから。誰一人他人事なんかではなかった。
少し時間を置いてから、流未は続けた。
「…沈没都市を目指して勉強していたあなたたちには本当に悪いと思ってる。
ごめんなさい。指導する私から先に、その場所へ行くことを諦めてしまって。
でもそもそも試験の門は開かれない。今年のうちには必ず、沈没都市は離れる。
それなら残された場所で強く生きていく方法を探さなくてはいけないわ」
罪悪感に冷静さを食われないよう注意を払って、流未は言った。
静かで切ない空気の中、一人の男子生徒が手を上げた。14歳くらいの少年だ。お年頃なので大衆の面前での発言は非常に恥ずかしいらしい。ポソポソ、と心中を零した。
「俺、実は沈没都市でそれなりに稼いだら内陸に戻ろうって思ってたから、先生、そんな気に病まなくていーよ」
彼が恥ずかしそうにそう言うと、競うように他の子どもたちも手を上げ始めた。
「私実はね!こっそり医療培養とか持ち出せないかなって考えてた!ほら環境守備警になれたら内陸と沈没都市を行き来できるし!」
「僕は〝トンボ〟の開発部に行って、その後内陸で似たようなロボット作れないかなって企んでた!」
「泥棒とスパイがいたんだけどこの学校…」
危ない思考でいた子供たちがここぞとばかりに暴露していく。
聞いている大人の方が思わず引きつり、突っ込んでいた。
あまり笑えない暴露のはずなのに、流未は思わず笑ってしまった。
そんなことしたら全身処刑であるし、なによりそんなことを考えていたとバレたら学園から即刻追い出される。二度と沈没都市の入り口を通ることはできなかっただろうに。
笑って、目じりに滲んだ涙を拭う。
言い出しっぺの少年がやはり少し恥ずかしそうにして、でも凛とした顔で大人たちを見渡した。
「俺達、多分すごく役に立つと思うよ。
アクアポニックスプラントみたいな沈没都市の施設だって仕組みが分かるし、内陸の限られた材料で効率良く生活する知恵だってある。
先生が作ってる場所、俺達もなんでも協力できると思うんだ」
大人たちが面食らっていると、少年と同い年くらいの三つ編みの少女も頷いた。
「ただ避難するだけじゃ大変なことになるんだよ先生。
だって対象者って基本は内陸の人でしょ?規則があっても守らないし、道徳も守らない。
そうなったら〝ただの内陸の一部〟だよ。
…それは嫌。それがどれだけ怖くて気持ち悪いことか、私知ってるもの」
サクタがいなくなったことにより、実質最年長となった15歳の少年も少女に同意した。
「人間って現金だからさ、規則を守るメリットを提示しないと絶対に守らない奴が多くなる。
かなりの人数を想定して避難所を作るんでしょ?
だったらインフラは最初からある状態にしておく必要は絶対にある。
最小限の水で最大限の資源を生むのは沈没都市の技術だ。俺達ならそれに近いものを再現できる。
規則を守ればちゃんと配給があるようにしておかないと。
…先生、ほんとはこんな風に思うのって良いことじゃないんだろうけど…
それでも俺達、
先生がここに残ってくれて嬉しい。
先生には助かる道があるのに、それを選ばなかったことに〝ありがとう〟なんて言えないけど、…嬉しいよ」
サクタがいたら、きっとこんな風に素直に伝えていただろうな、とその少年は思った。
いつもだったら気恥ずかしくて、そして最年長の彼がみんなを代表して伝えていただろうから言わなかったかもしれない。
…でもいないから。
ここにいるのは彼ではなくて、〝自分〟だから。
一人ひとりが小さな役割を背負う。
悲しさと不安が残るも、その覚悟は確かに強かった。
感極まってボロボロと泣く桃原に、生徒の一人が「え⁉こっちが泣くの⁉」と笑いながらびっくりしている。
みんな、泣くように笑って。
その晩はひとまず、シェルターの中で睡眠をとることにした。
ひとり。
そのシェルターから出て行く者がいた。
流れで一緒にいたけれど、…ああやっぱり自分の居場所じゃないんだなと。
ゆっくり胸を焼かれるような痛みを抱えて夜の外へ出た。
…どうして、悲しくて辛い時ほど夜空って綺麗なんだろうか。
真っすぐ前を見つめる〝誰か〟なら、きっとこんな夜空は背中を押しているように見えるだろう。
でも今の自分にとっては…。
まるで自分の苦しみなんてどうでもいい、と言われているみたいだ。
(……そうだよな…。俺に悲しむ権利なんか、ねぇよな)
雲の無い煌々とした月を腫らした目で見上げる。
彼、日色は。
焦げた校庭を歩いた。
あっけなく学園の外へ辿り着く。
とっとと出て行けと言われているような感覚だ。
…さいごに。
振り返るだけ許してほしかった。
力なく、振り返る。
びっくりして、息を止めてしまった。
流未と桃原が全速力で追いかけてきていた。
鬼みたいな形相が怖くて、思わず本気で逃げようとした。
だが、流未の通る声が日色の身体を貫いた。
「あなたはサクタの親友でしょう‼‼‼」
苦しみを嘲笑う月より、その声は容赦なかった。
走り出す力を奪ったその声に、日色は泣いて叫び返した。
「違うだろ俺なんか‼‼どの口がアイツの親友を語れるんだよ‼
サクタだけじゃない‼‼
みんながちゃんと避難してたから良かっただけで‼そうじゃなかったら――
5階にいた女子はみんな無事なんかじゃ無かった‼‼
どうなるか分かってて俺は――‼
みんなも、この場所も、〝今〟みたいに〝この先〟のことを話せる状況じゃなかったんだ‼
俺がそうさせてたんだよ‼‼
ここにいたってなにも役に立てない‼
それどころか…っ、こんな形でここに戻ってきて…
俺は、ここにいるだけ邪魔にしかならない‼‼
ずっとずっと、ずっと俺は――」
桃原がさきにたどり着くと、日色が逃げないよう彼の腕を掴んだ。
日色は癇癪を起したようにその手を振り払おうとした、が。
バチンッッ!
と流未のしなやかな手が日色の頬を張った。
それだけで終わらず、彼女は日色の胸倉を掴んで睨み上げた。
「そうよ‼‼
取り返しのつかないとんでもない失敗をあなたは犯した‼
誰もあなたを許さないわ‼
怪我があるから明日説教してやろうと気遣ったのに、相変わらずあなたは待たないのね‼」
流未しては珍しくかなり吐いて捨てるような言い方だったので、桃原が「る、流未先生…」と少し窘めようとした。
だが流未は軽く桃原に目配せをして黙らせる。
彼女は声音を低くして続けた。
「ここで逃げたら同じよ。
あの日ちゃんと私たちに向き合わず、…向き合わせるチャンスもくれないで…
勝手に一人でいなくなってアロンエドゥに加わった結果と」
日色の胸倉を掴んでいた流未の手が緩み、彼の手にしっかりと添えた。
言葉がつまらないように息を吸うと、声の強さが和らいだ。
「後悔したんでしょう。あなたはちゃんと。
サクタと向き合ったでしょう。
…だからきっと、さっきまで私たちと一緒にいたのよ。
逃げないで。
あなたを許さないことと、あなたが同じ失敗を繰り返すことは全く別の話よ。
もう一度、私たちにあなたと向き合うチャンスをちょうだい。
…どうか。この失敗をあなたのさいごにしないで」
流未の瞳に涙が溜まると、彼女は視線を落とした。
添えられた恩師の手の温かさと、その涙を見たら。
日色は擦り切れるほど泣いた涙の跡に、また涙を伝わせる。
一粒でも流れれば痛いのに、止まってはくれない。
「…壊すなってサクタが言ったんだ。
俺も壊したくない。ほんとは壊したいんじゃない。
ただ…ここにいていい理由が欲しかった。
母ちゃんがどこか行っても挫けなかったのは、俺にとってここが居場所になってたから…。
俺だって忘れられなかった。
みんなと…、サクタと過ごした時間がどうしても。
ねえ先生…俺、どうしたらここにいられたのかな…
なにをしたら、役に立てるんだろう。
俺分からないんだ。自分ひとりじゃ見つけられないみたいなんだ。
……アロンエドゥの人たちは一個一個教えてくれて、たまたま、それは俺にできることだったから。ここが居場所なんだって思わずにいられなかった。
…こんな俺でも、ここにいていい?
もう一度やり直してもいい?」
流未と桃原は痛ましそうに顔を歪めた。
沈没都市の支援があった時では、日色のような人は学園に置いておけない。
ウォームアースかウォームロードの住民になれば、危険な内陸との繋がりは太くなる。…そうやって内陸に埋もれてしまった若者を追いかける義務などなかった。
きっと彼がアロンエドゥと出逢う可能性は必然に近いくらい高かっただろう。
〝今こうなってやっと〟彼を受け入れられる現実に、罪悪感が切り込んでくるみたいだった。
でも桃原が日色を抱きしめて即答した。
「いいよ。
ごめんな。日色の言葉をちゃんと聞き出せなくて。
もう一回、一からやり直そう。
お前は体力もあるから、先生もみんなもお前を頼りにすると思う。
いいかな」
「…体力仕事なら、全然いいよ。頑張ってみる」
小さな子供のように桃原に抱き着き、涙に声が溺れながら日色は頷いた。
「……あー、ちょっと空気読めないみたいでアレなんだが…」
三人に向けて、男性の声が聞こえた。
暗がりの林の中からだ。
桃原が即座に二人を庇うように立ちふさがった。
流未に至っては手短にあったレンガくらいの石を掴んで臨戦態勢だ。
襲撃の翌日だ。当たり前の緊迫感だが、声をかけた男性はフラッと暗がりから姿を現した。
その人物に、流未が目を丸くさせた。
「え、え⁉乾…さん…?」
乾の顔を覚えていた桃原もきょとんとした。
なにせ、彼は私服で武器の一つも装備がない(一丁隠してはいる)。
遊びにでも来たかのような出で立ちでいる乾に、彼らは困惑を隠せない。
乾は自嘲するような笑みを軽く浮かべて、三人に歩み寄った。
「沈没都市に戻ったんじゃ…」
流未が尋ねると乾は頷いた。少しからかうように。
「戻りましたよ。着替えにね。なにせ自分は怪我人なのですぐに休暇を貰えました。今はただのプライベートです」
「プライベートで内陸に来るタイプに見えなかったんだけど」
「合ってます。死んでも来るもんかって思ってましたよ。…昨日までは」
「あと怪我しているように見えないんだけど」
「…それは失礼な。服めくったら包帯だらけですよ。見ます?」
「傷なんて見たくないわ」
なんだか仲の良い二人に、日色と桃原は顔を見合わせる。
ここに年少組がいたらさぞ冷やかされていただろう。
だが雑談はすぐに終わり、乾はズボンのポケットからあるものを桃原に渡した。
見た目が精密兵器の金属球体に似ていたのでギョッとした流未だが、どうやら少し違う。
乾は少し周囲を気にしながら流未に質問した。
「流未さん。あなた、なにか企んでいることがありますね?」
シェルターでの話を思い出し、桃原と日色が緊迫した顔になる。
流未もあまり良い表情ではないが、悪い表情でもない。彼女は静かに頷いた。
「まぁね。そのことと、その精密兵器の頭部部品がなにか関係があるのかしら。なかみがないようだけれど」
「なかみがあったら絶対に持ち出せませんからね。
でも上位AIであればなかみがなくとも金属を振動させて疑似的に信号を発せられるそうです。そのあたりはあなたの方が詳しいんでしょうけど」
「そうね。…沈没都市のためにならないことでも動く上位AIがいれば、できるでしょうね」
「俺もそう思ってました。けど、沈没都市に帰った時変な…いや、初めて会ったのはあの時のサンクミー飼育施設か…まぁ変なAIから連絡を受けまして。
…話し合った結果、まずはあなたに渡す方が良いとなったんです。
使えると思いますよ。
内陸の避難場所を作る時に。
人間の設計だけじゃ時間が足りないから、演算能力としても、世界各地のあなたの協力者との連携にも使えれば最速で作業は進むはずです」
主語を避けているあたり、かなり重要なAI、もしくは〝誰か〟が絡んでいると流未は察した。
即座にあの時の〝ソーマ・フォレステライト・ティム〟を名乗った男性と「超すごーちぃAI」を思い返す。
「なぜ、私たちを助けてくれるの?」
感情を一切悟らせない静かな彼女の問いに、乾は少し視線を落として桃原に渡した金属球体を見つめた。
日色と流未たちの会話は聞こえていた。
〝サクタ〟。
その名前の少年を死に追いやり、学園を襲撃させた日色と。
学園の襲撃を知りながらも放置し、サクタを回収する女性を行かせ、彼を守ろうとする紳士を足止めした自分。
立つ場所は違っても同じ過ちをしたと、乾は思った。
後悔するならば引き返すチャンスはいくらでもあった。
流未を軽蔑しながらも、彼女の言葉がちゃんと胸に残っていたのに。
ここにいていいのかと叱責するオーウェンの言葉が胸に刺さったのに。
それでも変わらなかった自分は、取り返しのつかない失敗を目のあたりにしてようやく気が変わったのだ。
初めて、自分の中に情けない毒があったのだと自覚した。
ならば。
そのままでいるのか。
手遅れでも今から変わるのか。
『あなたの身体を動かすものがなんなのか。今一度ご自分に問い質して下さい』
彼の言葉を強く思い出したのだ。
それはきっと、変わりたいと自分自身が思ったから。
あの紳士は今もどこかで戦っているのだろうか。
機会があればもう一度、ゆっくり話をしてみたかった。
乾はあの時のオーウェンに答えるように、言葉を紡いだ。
「守れたのにそうしなかったことを、今更後悔したんです。
…あなたが聞いたらそれこそ〝今更なにを〟と軽蔑するかもしれません。それでも。
後悔したままでいたくなかった。
〝MSS〟の理念を守っていた時みたいな誇り高いかと聞かれれば正直、まだ分かりません。
内陸のことを尊いと思っているわけでもありません。
…でも、沈没都市とか内陸とか、片方を見ているわけでもないんです。
俺は…、〝あなたたち〟を見ている。
それに気づいたからここに来ました」
まるで流未の叱責でも待っているかのような乾の顔に、彼女はしばらく黙って見つめた後、腕を組んで少しそっぽを向いた。
きょとんとした乾に、流未はそれこそ軽蔑するような、…いや、呆れ切った目で睨んだ。
「まさか、叩いて欲しいみたいなこと考えてないわよね」
「…言われてみればそうして欲しいような気がしてました」
乾自身自覚がなかったようで、ハッと口元に手を当てて驚いていた。
無自覚で彼女の平手打ちを待っていた彼に、桃原の影に隠れて日色が「キモ」と呟いた。
桃原に肘でつつかれて日色もハッとして口を閉ざす。
よく分からない空気になってしまい、流未はため息交じりに笑った。
「私ね、〝今更〟って言葉が大嫌いなの。別に軽蔑とか嫌味なこと考えたりしません。
でも…正直、あなたには言いたいことも、聞きたいこともある。
……ただきっと、知っても私は消化できないわ。
あなたを責めたい気持ちだけが残ってしまうから聞かないし、言わないで」
乾がサクタを見殺しにしたひとりであることを、流未はなんとなく察していた。
乾も、流未が望まなければ死んでも言わないと決めていた。
…こればかりは死ぬまでひとりで背負うべき罪だと、心に刻んでいる。
流未は改めて乾に身体を向け、真っすぐと向き合った。
「手伝ってほしいことは山ほどある。
かなり厳しい状況だったから、助かるわ。
〝あのAI〟の演算能力があれば急ピッチで完成できる。
内陸住民の避難場所であり、文明を繋げる〝街〟を」
相変わらず凛とした彼女に、乾は尊敬の念を隠さず軽く微笑んだ。
自分たちを繋げたAIの正体を彼女は察している。
真相より〝使えるかどうか〟を冷静に判断するあたり、沈没都市住民らしい長所を彼女自身利用している。
頼もしくて、かっこいいと思ってしまう。
「沈没都市でもあなたと同じ考えを持つ人たちがいます。
俺は一度沈没都市に帰って彼らを助けます。
あと他にもできることはありそうなので。
そのあたりが終わったら、また合流しましょう」
乾は自然と流未に手を差しだしていた。
初めて出逢ったサンクミー飼育施設の時とは違う。
守りたいものが同じである者同士の、結託だ。
流未はしっかりと握った。
「待ってる」
この後。
一度、流未たちと乾は分かれた。
乾は沈没都市内で全身の処刑のリスクを背負って行動を起こす、〝内陸に残る者たち〟を助力した。
薬品工場に侵入し医療用培養細胞の奪取や、軍備施設から〝トンボ〟の部品などの持ち出しなど。
イングから泥蛇や"Causal flood"について聞かされ、流未や乾たちが知ることになったのもこの期間だ。
他にも、乾以外の軍人が〝自称休日〟を利用して内陸のサンクミー飼育施設からサンクミーの粘膜から作られる燃料の原料などを仮拠点に隠した。
なにより。
乾の在籍状態をふんだんに利用した件がある。
ソーマたちが泥蛇に誘われた海底施設での戦闘で、ソーマは海底施設の制御を一時的に干渉した時があった。
リアルタイムアップデート解答式パスキーの解答権は沈没都市住民にのみ与えられた試練だ。
解答する能力があってもこの権利の証明を為されない限り手も足も出ることはなかった。
あの時、流未が沈没都市のデータを守る巡回AIの〝目〟をハッキングし、その間にイングが乾の在籍データを使って証明を行い、ソーマがリアルタイムアップデート解答式パスキーを解答することができた。
巡回AIの〝目〟のハッキングと在籍者本人の保護システムはまた別だ。乾本人がそのアラートに正当性を解答することで完全犯罪が成功していた。
だがその不正は上位AIの〝目〟をつけられる〝異変〟ではある。
ソーマに協力した時点で乾は沈没都市から出ていた。
きっと乾が沈没都市から姿を消した後、あからさまに怪しい形跡がいくつも検出されることだろう。沈没都市から指名手配されてもおかしくない状況となった。
それからというもの内陸では一日一日が目まぐるしく変動していた。
七草学園の襲撃後すぐ、流未率いる学生・教師は七草学園を出た。
その足で協力者たちと合流し、〝エルー・ザ・エフ〟の建設に取り掛かった。
まず最小限の水で最大限の食糧を確保するためアクアポニックスプラントの設立。
アクアポニックスプラントを囲うようにファームプラント。
それとは別に消毒液を作るための大型蒸留器やろ過装置。
技術のある内陸住民を説得し、包帯や衣服の生成・保存食の増産。
内陸住民がひっそり隠し持っていたオーバークォーツの花など回収し、その熱を使った発電設備など。
ある程度インフラが完成される頃には沈没都市から〝エルー・ザ・エフ〟に移住した人々がやってきた。
そこからは一気に〝エルー・ザ・エフ〟のインフラが盤石となり稼働が本格的になった。…が。
丁度そのあたりで内陸同士の戦火が広がり始めた。
内陸の心ある保安部隊と沈没都市の軍人が合流すると、内陸に残されたサンクミー飼育施設を拠点にしながら戦火から逃げる人々を誘導した。
沈没都市から持ち出せた資材を使って〝トンボ〟をウォームアースの生徒や沈没都市の住民が製作し、内陸の脅威から〝エルー・ザ・エフ〟を守った。
効果的な軍事力だが、圧倒的に量が足りない。
流未のような優秀な人材が揃ってなんとか他国内陸政府の攻撃の照準を〝沈没都市に向けている〟とハッキングして〝チャック〟の配下AI〝マイム〟の守りを利用しても、そのハッキングプログラムは一つ一つが使い捨てだ。
すぐさま〝エンリル〟の〝手〟によって異物と認定されエンドレスシーの底に沈められる。
内陸政府の物量に押されるのが先か。
ハッキングプログラムが底をつくのが先か。
はたまた、怪物の出現が先か。
ぎりぎりの状態となってきた中で、コアたちが乾たちに保護された。
…ある意味不幸中の幸いか、怪物との戦闘経験がある〝笛持ち〟が〝エルー・ザ・エフ〟に来てくれたのだった。




