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Causal flood   作者: 山羊原 唱
52/56

40話 Elu the F


 それはまだ、ティヤが生きていた頃。


 彼がソーマと決別した後、泥蛇を追ってティヤは家族と仲間を連れて移動していた。



 本格的に〝フルート〟の練習が始まった時期でもある。


 まだ5歳にならないルカは、めそめそと泣きながら花を摘んでいた。

 サラは〝フルート〟の扱いに苦戦していたが、めげずに努力を続け、今も練習していた。


 しかしルカは違った。

 成果が出ないと悲しくなってしまい、隣で黙々と頑張れるサラがいるともっと辛くなった。

 だからサラのことが見えない所まで歩いて、綺麗な花を探していた。


 だめだめな自分でも花をプレゼントしたら喜んでもらえるから。

 心の支えのように花を探した。



「ルカ」


 少し粗暴だが、深い愛情と温もりのある声にルカは振り向いた。


「パパ…」


 ティヤは大人の視界から消えそうだったルカをいち早く見つけ、可愛い息子の隣にしゃがんだ。

 白やピンクの小さなかわいらしい花を持つルカに「それ食べられる奴?」と尋ねる。


 ルカはバッ!と花を胸に隠した。


「ちがうよ!ママとサラにあげるの!」

「パパには?」

「パパはすぐ口に入れるでしょ⁉もうぜったい!あげないから!」

「あの時は悪かったって。すげー嬉しそうな顔して持ってくるから、食べられるもの持ってきたのかと勘違いしてさ」


 涙が引っ込んでムッとするルカに、ティヤは手を合わせながらはにかんで謝った。

 次いでティヤは声にわずかな厳しさを含ませた。


「これから危ない連中にたくさん会うことになる。

 いっぱい練習してルカたちにも強くいてほしいんだ。

 いつでも、どこでも、俺が守ってやれるとは限らないからさ」



 ルカはふるふると黙って首を横に振った。

 また目じりに雫を溜めて、俯いてしまう。

「…パパがいれば大丈夫だもん」


 どうかそうあってほしい。

 子供の切望は純粋だが重かった。


 だがティヤは。

 ことこの件に関して頷くことは一度もなかった。


 とはいえ、すっかり気落ちしてしまった息子の気持ちを切り替えてあげようと、ティヤはあるものを作った。



「見て見て。ルカ」


 俯くルカの視界に日の光を受けた銀細工が入った。


「わぁ。きれーい。これ、〝フルート〟?」


 ティヤは銀糸で一本の薔薇を作ってみせた。

 ワイヤークラフトより細い、繊細で精巧な薔薇だ。


「練習は嫌かもしれないけど、面白いものも作れるようになるからさ。

 もう少しやってみないか?」


「…むずかしいの。僕には、すごく、むずかしいの」


 銀糸の薔薇を手に取って呆けていたルカだが、ティヤの説得にまた悲しそうな顔になった。


 ティヤはルカの頭を軽く手の平で抱き寄せた。


「難しい?じゃあ歌で覚えればいいんだよ。

 こういう時のために俺の妹は使い方を歌にしてくれたわけだ。

 大丈夫大丈夫。

 俺だって難しいことなんか嫌いだよ。

 …そんな俺のために作ってくれた歌だから俺も強くなった。

 歌で覚えれば戦える。

 それくらいになったら薔薇でもたんぽぽでも作れっから。

 あ。

 実はだな、エレナは一本の薔薇とか、手の甲のキスとか大好きなんだぜ?」


 少しずつ俯いていた顔を上げてきたルカに、ティヤはさらに餌をぶら下げてみる。

 自分とは性格の異なるこの息子はおそらく、非常にロマンチストだ。

 母や姉を喜ばせる…つまり女性を大切にできる貴公子だと見込んで〝フルート〟への関心を高めさせた。

 効果は抜群であった。


「…ママが?そうなの?」

「手の甲のキスは譲れないけど、仕方ない。一本の薔薇はマネする許可を与えてしんぜよう」


 ティヤは言いながら「…あれ?どっちが恋愛的な意思表示だっけ?」と首を傾げた。

 そっちを譲れないと言いたかったのだが、どっちがなんだったか忘れている。


 父がいい加減とは知らない無垢なルカは、やる気がみなぎってきた。


「僕、僕もこれ、やってみたい。ママにプレゼントしてみたい!」

「お、おう!喜ぶぜー。じゃあ俺はサラにプレゼントしようかな」

「だめ!パパがあげたらパパの方がいいっていわれちゃう!」

「あはは。そんなこと言われねーよ。ま、じゃ、今はサラにこっちの花渡してやろう」


 ルカが胸に抱く花を指さし、ティヤはルカを肩に担いだ。

 ルカはきゃっきゃっとはしゃぐ。


「わー!たかーい!パパすごーい!」

「このまま真上に投げることもできちゃうんだなー!なにせすごいパパだから!」

「それはいい。やめて。こわい」

「あ、はい。すみません」


 尊敬で輝いていたルカがスン、と冷ややかな目つきになった。

 一度許可なく「高い高い」をしたら大泣きされた上ルカの人生初の本気ギレを頂いた。


 もう忘れたかなと思ったのだがどうやら覚えているらしい。

 ティヤは即座に謝罪して、普通に抱っこしてやる。







『…なあ、ルカ。ずっと前に話した宝箱のなかみのこと、覚えてる?』



 父の声が近く聞こえるのは、きっとルカが彼に抱き着いているからだろう。

 逞しい肩と首は暖かな大木のようで安心する。


 父は〝フルート〟の技より先に薔薇を習得した息子に感心と呆れを抱きながら囁いた。


『俺、ちょうちょに羽が四枚あるって知らなくってさぁ。

 でもなでもな。言いたいことはそこじゃないんだよ』


 ルカはふふ、と笑ってしまう。

 父が弁解する時はなんだか面白いのだ。


『一つの身体を二枚の羽で支えてるんだと思ったわけさ。

 二枚の羽がそれぞれひとりだとするだろ?

 背中合わせになって真ん中の身体を守ってるように見えたんだ。俺には」



 ルカはまた小さく笑った。

 じゃあほんとのところは四人だね?なんていたずらに言ってみる。


 やたら自分の声が遠い。

 不思議に思っていると、父は笑った。


『そう!そうなっちゃったんだよ!

 ちょうちょの羽が四枚とは思わなかったなー…鳥にしときゃ良かった。

 島で青い蝶ばっか見てたせいだぜ』


 いい加減な自分に、ティヤはほとほと呆れ、笑うしかないと笑っている。

 つられてルカも「あはは!」と声を上げて笑う。…やはり、自分の声は遠い。


 しばらく二人して笑っていたが、ティヤは緑色の瞳を軽く伏せて、どこか寂しそうに言った。


『まぁ…正直人数はどうでもいいんだ。


 その羽が小さくて脆くても。大切なものをひとりひとりが守って遠くへ運ぶ、

 そのあり方が宝物ならいいなって。


 きっとそれが箱のなかみだったら…、

 蓋を開ける鍵だってもっと暖かいものだったはずなんだ。


 俺の独りよがりな希望なんだけどさ、

 なんとなく、ずっと先の未来で〝約束〟になる気がする』


 ティヤはゆっくりとルカを下ろした。


 ルカは気づく。

 降ろされた床は真っ白で、立っている感覚がぼんやりとしている。

 境目のない白いここは夢の中だと。



 父の腕の中にいた時は今よりもっと小さい身体だったのに、床に降ろされたら11歳の今の自分になった。



 ティヤは森林のような緑の瞳を悲しそうに歪ませて、涙が落ちないように堪えた。


『でも俺はいないから。

 …頼んでいい?

 俺のちっぽけな希望を、一歩、前に送り出してほしいんだ。……


 ずるいよな…子供にこんなこと、頼んで』



 罪悪感に苛まれて、ティヤはルカの頬を優しく撫でた。

 謝るようにその手を離そうとした時。



 父の厚い手を、ルカはきゅ、と優しく握った。



 ティヤが驚いた顔をしていると、ルカは彼の手をもう一度自分の頬に当てた。



「いいよ。

 僕ね、嬉しい。パパが僕を頼ってくれて。

 大丈夫だよ。パパのお願いは叶うよ。

 僕が…ううん。コアも、ペトラも、ママも、サラも…マナも。

 この後僕が目を覚ましてから逢う人たちも。

 みんなで一歩ずつ歩くから」



 白い夢の霞が濃くなっていく。

 視界が悪くなる中、ティヤは今一度息子を抱きしめた。



『もう…真上に投げられないなぁ…大きくなった』







「今だったらいいのに…怖くないからさ…」



 自分の声が近くなった。

 実際に口に出した自分の声だと気づいて、ルカは目を覚ました。


 むく、と起き上がると、泥のような疲労感をはっきり感じた。

 まだ寝ていたい気持ちになる。


 きょろ、と力なくゆっくり辺りを見渡すと、テントの中だと分かった。


 重そうな生地でかなり丈夫そうなテントだ。

 小柄な大人くらいの高さがある。

 雨も風もへっちゃらそうなそんなテント…内陸ではかなり珍しい。



「ここ…どこ?」


 手元を少し動かすと、温かい感触に触れた。

 視線を下げると、そこには体中に湿布を貼り、包帯を巻かれたサラいた。


 そこでようやく自分も同じくらい傷だらけで、治療されていることに気づいた。

 

 でも自分の傷なんて気にならなかった。

 なぜなら。


「サラ!サラ…サラぁ…」


 ルカの記憶はやっと…戻ったからだ。


 深い寝息を立てて隣で眠るサラの頭に、ルカは自分の額をくっつけた。

 じわじわと溢れる涙を拭い、もう一度テントの中を見渡す。


 コアとペトラ、そして金髪の綺麗な男性がいた。

 折り畳みの一人用ベッドにそれぞれが眠っている。



 そこへ、誰かがテントに入ってきた。


「…ルカ‼」

「かぁゔぇりぃぃぃぃいぃ!」



 びええええ!とルカが滝のように涙を流した。

 自分の名前を呼んだルカに、カヴェリもドオオオ!と濁流のように泣いて抱き着いた。


「思い出したんだな⁉わかるか⁉あいつは誰だ⁉」

「こああああ」

「あっちは⁉」

「うえええぺとらぁぁあ」

「こっちは⁉」

「さぁらあああああ」

「ああああ全部合ってるぅぅぅぅ‼」


 ぎゃんぎゃんと泣く二人があまりにもうるさく、テントにもう一人入ってきた。


「……怪我人に響くからやめてもらえないか…。他のテントにも聞こえるから…」


 微量の苛立ちと辟易とした顔をする――乾亮だ。


―---------------―― 

 ルカとカヴェリの泣き声に目を覚ましたのはコアだ。


 そして彼は身体を引きずりながらペトラの容体を確認した。


 依然、ペトラの意識はないが生きている。

 だがもっと驚くことは。



「右腕が…ついてる…」



 義手ではない。

 人間の肌らしい感触と筋肉。

 肩から指先まで丸々と腕が移植されていた。


 

 目を見張っているとコアを支えたカヴェリが説明してやる。



「コア。ここは日本の〝元〟ウォームロードだ」


「…〝元〟?」


 カヴェリによって折り畳みのベッドに再度横たわったコアは、声を掠れさせながら聞き返す。

 カヴェリは意識のない仲間の汗を甲斐甲斐しく拭くルカを見ながら頷いた。


「なんで〝元〟なのかは後で話すよ。…多分、すぐに話さないといけない状況になると思うから。

 まず、ペトラの腕のことだけど…、

 俺達を保護下に入れてくれた、イヌイって奴はな、もともと沈没都市の軍人なんだ。

 沈没都市から少し、培養細胞の人間パーツを持ってこれたらしくって。

 でも。

 それを使うには優先順位がある。シンプルさ。

 〝戦力になる人〟」


 まるで内陸の基準みたいにそれは分かりやすかった。


 乾はカヴェリに注意した後、忙しそうに他の持ち場に戻って行った。

 テントの入り口の布が揺れると、隙間から外の様子が伺える。


 人の往来がよく分かる。

 他にもなにかしらの原因で怪我をした人たちがいるらしく、その人たちを治療するために多くの人が動き回っている。

 たまに子供の声も聞こえた。


 コアは故郷の内陸に似たうるささが懐かしくて、心に軽い毛布がかかったように落ち着く。

 だが頭は冷えていて、カヴェリの言葉に一つ、合点がいった。


「ありがとう。カヴェリ。交渉してペトラの腕を貰ってくれて」


「…そうか?本人の確認もなくやったことだ。

 ペトラが目を覚したら戦えって言わなくちゃいけない。

 …怪我をしたままなら、戦わなくていいのに」


 カヴェリは暗い瞳で俯いて、乾を説得した時のことを思い出す。




 コアたちをこのテントに運び、重傷者の命を繋ぐ治療は終わった。

 傷が治ったわけではないが、一番軽傷で済んだカヴェリは〝この場所〟を見て回った。

 大人も子供も怪我をしている。不思議だったのは、彼らを治療する人たちの中に、内陸出身とは思えないような手際のよい人材がいたことだ。

 あれは…沈没都市の人間ではないだろうか?

 そう思いながら歩いた時。

 他のテントで手を失った男性へ培養細胞の手が入れられたケースが届いたところを見つけた。


 カヴェリは乾を探しだして、必死に乾に食い下がった。


「な、なああれ!ウチのペトラにもやってくれないか⁉」



 テントや治療の手配までやってくれた乾は、気まずそうに視線を泳がせた。

 だがそれは一瞬で、すぐに無感情な表情を作る。


「…多分、無理だ」

「なんで⁉お、俺達が謎の潜水艇でここまで来て、怪しいから⁉金も、なにも持ってないから⁉」

「違う」


 きっぱりと乾は言った。

 内陸への偏見は関係ないと断言したものの、乾の表情はどこか苦いものが含まれている。


「培養細胞パーツは本当に…在庫が限られてるんだ。

 あの男性は内陸の治安部隊で、志のある善良な人だ。

 あの人を治療できればあの人はまた戦ってくれる。


 …戦力になる人…、避難した人を守れる力がある人へ優先的に培養細胞パーツは渡せる。


 不公平に見えるかもしれないが渡された方は戦いに行かなくてはいけない。お前は意識のない彼女の未来を勝手に決めて、目が覚めた彼女にそれを伝えられるのか?」


 彼の言い方は突き放すようだ。

 ただそれは、ペトラを安全な場所にいさせるためだ。 乾が嫌われ役を買っているのだとカヴェリにだって分かった。


 けれど。

 カヴェリはひとつ、乾の卑怯なところに気づいた。

 なぜならここでカヴェリが乾に言い返せなければペトラの決定権など結局ないからだ。

 カヴェリが内陸出身者ならそこまで考えつかないだろうと思ったのだろう。


 言いくるめられてはだめだ。

 と姿勢を崩さなかった。


「でけぇ部位の移植はなるべく早くしないと適合できないってソーマが言ってた。

 ペトラはあのままじゃしばらく目は覚まさないと思う。その間に傷口は閉じるかもな。

 けど傷口が閉じた後、本人が希望して移植をするとしたらまた一回傷口を開かなくちゃいけねぇ。

 この避難所にそこまでできる余裕はないだろ。

 今。やらなきゃペトラの腕はなくなったままだ。本人の意思なんて結局関係なく」


「…だから、本人の意思を聞かずに移植を希望すると?

 言っただろ。移植したらーー彼女が嫌がっても戦場へ連れて行くんだぞ」


 乾の眼差しにほんの少し、軽蔑の色が入った。

 同じ、「選択肢が無い」状況だとしても、彼女のためを思う決断はどちらなのか。

 ボロボロのペトラを見れば事情を知らなくとも、彼女がすでに過酷な戦いを経たと分かる。


 〝この場所〟の今の体制ならば、負傷者は戦いに行かなくていい。

 条件であり、法に近い縛りがペトラという女性を守ってくれる。


 だというのに「本人が希望した時にできないかもしれないからやりたい」と言っているようなカヴェリに、乾は不快さを感じた。

 乾のそんな表情に臆しながらも、カヴェリはここでペトラのために交渉できるのは自分しかいないと己を奮い立たせる。



「そうじゃない。

 ペトラは戦える奴なんだ。

 めっちゃ強いぞ。特にあの同じ顔した男と組んだらな、沈没都市の軍人だって追い詰められるくらい強いんだ。

 もったいないと思わないか?

 誰かのために戦える強い奴を怪我させたままにしてよ。

 人手不足だよな。

 ペトラは絶対に役に立つ。

 俺やクソ可愛い双子が生きてここまで来られたのは、ペトラとコアのおかげだ。

 あいつらだって…誰かのために戦える」



 言いながら、カヴェリはボロボロと泣き出した。

 いい歳の大人の男が急に泣き出し、乾はギョ…、と静かに引いた。


 カヴェリだってこんな交渉したくはない。

 なぜなら乾と同じことを少し思ったからだ。


 こんなに傷だらけになった仲間に、まだ。

 戦えと。

 自分はろくに戦えないくせに。



 胸の内に巣食う自分の暗い声が聞こえてきそうだ。

 悔しさと疲労の重なりが、カヴェリの涙腺を決壊させた。


 引きはしたが、乾は少し考えてから口を開いた。

「実を言うと、俺を含めた一部の軍人はお前たちの話を聞いている。

 イングから」


 カヴェリは鼻を鳴らしながら「エ⁉」と驚く。

 カヴェリが派手に泣くので、行き交う人々の注目を集め始めた。

 乾は軽くため息をついて、ひとまずカヴェリとコアたちのいるテントの近くまで行き、木製の看板に背を預けた。

 この治療エリアが看板の裏になるらしく、反対側になにか書いてあるようだ。


 乾は改めて説明を始めた。


「日本の沈没都市からは約46名の軍人、50名の支援員、他51名の住民が内陸へ移住した。

 支援員を中心に緊急避難所をここに作って、俺達沈没都市の軍人や内陸の話の分かる機関は連携して、取り残されている民間人を探してここに連れて来ている。


 〝ここ〟みたいな場所の創設は少し前からある支援員が画策していたことだ。

 少しずつ、同じ意志を持つ支援員と連絡を取り合っていたらしい。

 けどそれでも()()()()だけではここまでの規模で実現はできなかった。

 イングという、規格外の壊れたAIあってだ。


 …ぶっちゃけ、沈没都市の軍人は脱走兵扱いになってる。

 本来だったら水門所で拘束・処刑なんだが、それを回避してくれたのがイングだった。

 さらにぶっちゃけるとイングのおかげで沈没都市から培養細胞パーツも少し持ち出せた。

 これは一発アウト。全身の処刑レベルだよ。


 でも、それだけのリスクを背負ったからこれだけ基盤の強い避難所ができたとも言える」


 乾は珍しく、感心して笑っていた。

 イングに対してもそうだが、実際その培養細胞パーツを持ち出したのは支援員だ。


 命懸けのリスクを背負って…いや。

 沈没都市を敵に回す覚悟を決め、行動した50名の支援員には畏敬の念を抱いた。



 乾は落ちていた視線を上げて、〝この場所〟を見渡した。

 怪我人のいるテントは80近く並んでいる。これからもっと増えるだろう。

 反対側には一般の住民の居住区だ。そこも家族別にテントや古びた車を使って生活している。



 乾のそんな視線が、罪を背負っているようなものにカヴェリには見えた。

 思いのほかちゃんと話をしてくれる相手だと思って尋ねる。


「俺達のこと、イングからはなんて?」


 乾はゆっくり瞬きをして丁寧に答えた。


「お前たちがなにと戦っていて、…沈没都市がどんな怪物にそそのかされたのか…

 イングが教えてくれたのは主にそれだな。


 沈没都市の舵に取りついたラクスアグリ島の怪物が各地の沈没都市を出航させる。

 内陸…もはや大陸と完全な断絶を成功させ、アスタロトというキメラによって内陸住民を殲滅、そして大陸の資源が復活・アスタロトを全て倒したら沈没都市の住民が帰って来られる。

 それがラクスアグリ島の怪物が目指す計画。


 でもその計画事態、どこにも繋がらない完全な終焉(おわり)が待っている。

 

 〝笛持ち〟はそんな怪物と戦っている。

 だからどうか、力を貸してあげてほしい。


 沈没都市と内陸は結局離れ離れになるかもしれない。

 Fageはラクスアグリ島の怪物の思惑通り失敗に終わるかもしれない。


 でもそれだけで終わらせないために戦っている。

 誰かが誰かを守ろうとする〝この場所〟に必ず彼らを送り届ける。


 あなたたちと一緒に〝この場所〟から未来を繋げる人たちだから、一緒に戦って欲しい。


…そう言われた」


 乾の話が終わると、柔らかい風が通り抜けていった。


 頭を撫でられているような風を感じて、カヴェリは言葉に詰まる。

 恐らくそのメッセージはイングだけのものではない。

 また涙が溢れそうで、情けない自分に叱咤するため堪えた。

 震える瞳を動かして、カヴェリは改めて〝この場所〟を見渡した。


「ここ…」

「ああ。まだ拠点名を言ってなかったな」


 乾はうっかり忘れていた自分に少し苦笑した。

 背もたれにしていた看板をくるりと回して、カヴェリに見せた。



 手書きの油性ペンで綺麗に文字が書かれている。おそらく沈没都市の支援員の誰かが書いたのだろう。



〝Earthworms live under the flowers〟とあった。







 カヴェリはコアにこの場所の名称を教えた。


「ここの拠点名は〝Elu(エルー) the() F(エフ)〟。

 日本だけじゃなくてカナダとか、他にもいくつかあるらしい。

 …でも世界で合わせてたったの4か所だ。

 こういった場所を作れない国が圧倒的に多くて、そういう内陸の人たちはなるべく近い〝エルー・ザ・エフ〟を目指しているらしい。

 …なるべく近いっつっても、場所によっては国や海を跨いで移動しなきゃいけねぇーから、大抵はここに来るまでに大けがしてる奴がほとんどみたいだ」


 カヴェリの話を聞いてまず、コアはソーマに視線を向けた。


 顔色がかなり悪い。

 負傷した状態でキヴォトス兵と戦ったらしく、点滴の管が何本も彼の腕に取り付けられていた。


 コアは目の端に涙を滲ませて、はぁ、とため息を吐きながら上を仰いだ。


「俺…まだガキなんだな…」

「コア?」


 声が震えないように歯を食いしばりながらコアは胸の内を吐露する。


「〝今できることを全力でやろう〟って、以前ソーマに言ったことがあるんだ。

 別にそれが間違ってたって思わないけど、

 〝今〟ばっか考えて…

 ……っでも、ソーマはもっと先の未来のこと、ちゃんと考えてたんだ」



 コアの言葉に、カヴェリもまた泣きそうになった。

 自分も思ったのだ。

 乾からイングのメッセージを聞いた時、きっとソーマも〝エルー・ザ・エフ〟を知っていて、コアたちの避難所にするつもりだったのだと。


 泥蛇との闘いが終わろうが続こうが、彼らの未来が繋がる場所を、イングと共に実現させた。



 コアもカヴェリも、声を殺しながら涙を流す。

 ルカが心配してそんな二人に寄ってきた。

 堪らず、カヴェリはルカを抱き寄せた。




「カヴェリ」



 その声に反応したのは――コアだ。


 コアが上半身を起こした。

 目が痛いくらい熱くなってさらに涙を流す。



「ペトラ…」




 彼女は起き上がれないが、意識を取り戻していた。

 いつもより落ち着いた声音で、でもいつも通り明るい声で、彼女は言った。



「ありがとう。腕の交渉してくれて。

 じっと待つのは性に合わないからさ、ナイスジャッジだよ。

 ね、コア。コアが戦う時は私も一緒だもんね」


 笑うペトラに、コアは泣きながら頷いた。


「カヴェリは俺達のことをよく分かってる。

 〝腕ないから休んどけ〟なんて理屈、ペトラに通らないからさ」


「…そっか。そっかぁ…。良かった…」


 泣きながら笑うコアに、カヴェリも同じように笑った。




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