番外編2:子猫と子犬と魔王の戯れ
「いいですか、リン様」
はぁ、と地の底まで届きそうな深く重い溜息を吐き出して、アルトランテは言った。
寝室のベッドの上に色とりどりのドレスを何着も拡げ、今夜の夜会で着る一着を決めかねていたリンティアナは、急に何を言い出すのかと訝しげな顔でアルトランテを見上げた。
「これ」
アルトランテが長い指で示す先を見る。ドレスの波間に浮かぶ、淡いベージュ色のレースのパニエが目に入った。
どちらかというと細身のドレスを好むリンティアナは普段あまり使わないのだが、腰や裾周りにボリュームを出したいドレスのときには装着するようにしている。だんだんと秋の空気が漂い始めた今の季節ならば、深い色の布をたっぷりと使ったボリュームのあるドレスも悪くない。そう思って、先ほど衣装部屋から引っ張り出してきたものだ。
「パニエ? これがどうかした?」
「下着ですよね」
「いや、これは下着っていうか」
「服の内側で身に着けるものは総じて下着です」
ぴしゃりと、有無を言わさぬ圧で断じるアルトランテ。
(ええ……、まぁ、補正下着だから下着と言えば下着なんだけど……。なんでそんな怒ってるのよ)
特にやましいことをしているつもりは無いし、パニエの一枚や二枚見られたところで何ともないのだが、こうもハッキリと「下着だ」と言い切られると気まずくなる。見られてはいけないものを見られてしまった気分だ。
何となくパニエを後ろ手に隠すリンティアナを眺めながら、アルトランテは再度溜息を吐いて言った。
「リン様は俺のこと、めちゃくちゃ優秀で頼れる従者とか、お茶を淹れるのが上手過ぎるとか、もうとにかく顔が天才とか思ってるでしょうけど」
「アルって自己肯定感高いわよね……」
「俺も普通に男なんで、もうちょっと危機感持ってくださいね」
お願いしますよ。
言い含めるようにそう囁いて、慣れた仕草でリンティアナの頬にキスをする。一拍遅れて何をされたのかを理解したリンティアナの頬が、見る間に赤く染まる。
(は⋯⋯はあ~~!? 主に向かって何だ、そのイケメン仕草は!?)
確かな歓喜と羞恥、それとほんの少しの反抗心が入り混じって、リンティアナは心の中で毒づいた。小人は例のごとく心の天井に突き刺さっている。
顔を赤くしつつも反抗的なジト目を向けるリンティアナに、アルトランテはやれやれと言いたげに、眼鏡の位置を直しながら言った。
「……まだわかってなさそうですね」
ギシ、と僅かにベッドを軋ませて、アルトランテがリンティアナの隣に腰かける。
逃げ遅れたリンティアナの身体を封じ込めるように、瞬きの間に近付く体温。(あ、これ、やば……)と思うよりも早く降ってきた唇に、続くはずだったリンティアナの抗議の声は、すっかり飲み込まれて消えてしまった。
***
「あywjwks、ぉ:v~!!!!!」
そこそこの声量の奇声に次いで、バァン!と勢いよく開かれる寝室の扉。
細かな装飾彫刻が施された白い両開きの扉が、蝶番の一つか二つは外れたんじゃないかと思うほどに大きく軋み、その奥から茹蛸のようなリンティアナが飛び出してきた。
【お、何じゃ何じゃ】
隣の部屋でいつも通りクッキーを貪っていた魔王ジスティリオールが、空中でビクリと身を揺らす。弾みでラッコのように腹に抱えていたクッキー缶をひっくり返しそうになり、慌てて身を翻して抱える。ぎりぎりセーフだ。
【何じゃ、うるさいのう……って、お前。顔がひどく赤いぞ。ついに食われたか?】
常よりも一層挙動不審なリンティアナを見て、ジスティリオールが呆れたように言う。
「食わ……!? 食われるって何!? そういうのは言っちゃ駄目、下品!」
【あ~~、落ち着け、落ち着け。我が何年生きとると思っとる。人間のあらゆる営みを見てきたんじゃぞ。小猫と子犬の乳繰り合いなぞ、今更どうということもないわ】
「ちちく……!!」
ジスティリオールの言葉に、真っ赤になって絶句するリンティアナ。心の小人も怒りたいやら恥ずかしいやらで二の句を告げずにいる。表現が些か生々しすぎたようだ。
【で、なんじゃ。本当に嫌な事をされたなら我に言えよ。一応お前の従魔じゃからな、我】
ふわふわと浮きながらリンティアナの頭上まで移動して、ジスティリオールは少し気恥ずかしそうに言う。(あんな生々しいこと言っておいて、そこは照れるわけ!?)とリンティアナは心の中で突っ込みを入れた。
尚も促すようにじっと見つめてくるジスティリオールの視線に根負けしたのか、リンティアナはボソボソと小さな声で言った。
「…………キスされた」
【はぁ? キス? そんなもんとっくにしとるじゃろ】
「し、し、舌! 舌いれた!」
信じられないと言いたげに、リンティアナは耳の先まで真っ赤に染めて言った。身体の横では両の拳を握りしめ、溢れる感情を反映するようにわなわなと震わせている。怒りではなく羞恥と緊張によるものだ。
はぁ、ジスティリオールは深い溜息を吐いた。呆れを滲ませるように、あるいは少し同情するかのように。まるで小さな子供を諭すかのような表情で。
【やれやれ、小猫以下じゃのう……。今日びの娘らはもっと進んどるぞ。ほれ、お前の兄の娘、年は八つくらいじゃったかの。あの小娘なんか最近、婚約者の小僧に自分から毎日キスしまくっとるぞ。あれは大した女じゃ】
「えぇっ!? メイベルちゃん、そんな感じなの!?」
今年で八歳になる姪のメイベルは、リンティアナの一番上の兄である皇太子ラインハルトの長女だ。生真面目型の兄には全く似ず、利発で豪胆、ちょっとマセたところがあると思ってはいたが……。何だか圧倒的な恋愛強者の匂いがする。少し、いやかなり過保護なところがある兄は、きっと気が気じゃないだろう。
【お前だって慕っておるんじゃろ。子犬……いや、眼鏡のことは】
逸れた話題を戻すように、ジスティリオールが問う。宙でごろりと寝返りを打ち、勢いをつけてリンティアナの顔を逆さまに覗き込む。白く硬そうな髪がリンティアナの額をさらりと掠めた。
「そ、そうだけど……。でも、今までずっと一緒にいたのに、急にあんな感じで来られても……!!」
リンティアナとアルトランテは相思相愛。それは間違いない。けれど、どうしても恥ずかしさが勝ってしまうのだろう。もう我慢しないという宣言通りにグイグイ迫るようになったアルトランテに、嬉しさと表裏一体の気恥ずかしさが湧き出てしまう。
「だって……本っ当に顔が良い! 良すぎて困るのよ~~~!!」
叫びながら、リンティアナは脱兎のごとく逃げていく。自室の外へ通じる重厚な扉の蝶番も、いくつか歪んだだろう。
【何じゃあれ……】
純度の高い呆れを載せて、独り残されたジスティリオールは呟いた。そこへ、左頬を押さえたアルトランテが寝室の奥から音もなく現れた。
【おお、子犬。って、何じゃその顔は!?】
「お前こそ何だ、その不快なあだ名は」
アルトランテの左頬は見事に腫れ上がっている。くっきりと残る手形から察するに、リンティアナの平手打ちが炸裂したのだろう。
息をするように肉体強化魔法を使いこなすリンティアナのビンタは、特殊な訓練を受けているアルトランテであっても、かなり痛い。けれど当のアルトランテは至極満足そうな顔だ。
【我が治してやろうか?】
「いや、これをダシにもう一回キスするからいい。何ならもうちょっと痛々しくしておくか」
言うが早いか、アルトランテは自身の拳で左頬に追撃を喰らわせた。バキッと鈍い音が響き、頬の腫れが一層ひどくなる。唇の端には血まで滲ませて、アルトランテは「よし」と呟いた。何も良くはない。
「難しいもんだな。リン様にもう少し危機感を持ってもらいたい気持ちと、今まで通り油断してくれていた方がチョロ……いや、話が早いと思う気持ちが鬩ぎ合って困る」
【主にチョロいとか言うでない……】
「ぎりぎり言ってないだろ」
悪びれることなく肩を竦め、アルトランテはいそいそとリンティアナの後を追った。扉を通り過ぎる一瞬で蝶番の確認をしていたのは流石と言うべきか、リンティアナの魔法ゴリラぶりに慣れていると言うべきか。
【まったく、お似合いの馬鹿どもじゃな】
はぁ、と慈愛を込めた溜息を盛大に吐き、ジスティリオールはごろりと宙に寝転がった。そのままクッキーを一つ二つ口に放り入れ、満足そうにボリボリと咀嚼する。
それは穏やかな秋の日差しが実に心地良い、ある日の午後のことだった。
了
ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございます。
少し間は空いてしまいますが、続編も書きたいと思っています。
またお読みいただけると嬉しいです。
短編シリーズやその他の作品も少しずつ出していくつもりなので、そちらも読んでもらえると有難いです⋯!
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