5. 初めての魔法
(そうと決まれば善は急げよ!)
ガバリと立ち上がって積み木を放り出し、勢いよく駆けだした……つもりだったのだが。
リンティアナの体は発育が遅いようで、足元が何ともおぼつかない。数歩進んだだけでぺたんと尻もちをついてしまう。
(ぐう~! 何なのこの体、本当にもどかしいんだけど!? あ、そうだ魔法は!?)
リンティアナはこの世界で最強の魔法帝(になる予定)だ。
スキル開花したばかりとはいえ、何かしらの魔法が使えるのでは。そう思って必死に頭の中をこねくり回す。
(……あ、できそう!)
そう感じると同時に、お座りしたままのリンティアナの体がふわりと宙に浮いた。そのままシュンッと風を切って部屋の入り口まで水平移動する。
魔法使いというよりも座禅を組んで浮く修行僧といった絵面だ。思っていたような優雅な飛行姿とは程遠いが、そこは今後の課題としよう。
(おお~、便利! 念じればいいのね。いけるいける!)
前世では好みのイケメン目当てに数多の漫画・小説・ソシャゲを踏破してきた身だ。妄想力にはかなりの自信がある。空を飛ぶ自分をイメージするなど朝飯前だ。
ちょうどよく開いていた扉から、ビュンッと矢のように飛んでいく。数秒置いてリンティアナの部屋では驚愕の悲鳴が響いた。
「わ、わああああ!?」
「飛んだあああ!」
「お、お待ちください皇女殿下ぁ!」
構わず長い廊下を座禅飛行のまま進むと、擦れ違う使用人達が一様に驚きと困惑の表情を浮かべた。そりゃそうだろう、幼児が無表情かつ座禅飛行で飛んでいくのだ。それも結構な速度で。
そんな状況を目の当たりにしても手に持った書類やらリネンやらを落としたりしないところが、選び抜かれた皇宮使用人の流石なところだ。
リンティアナが今どこに向かっているのかと言うと、父である皇帝の元だ。
エリュシオン皇宮はとにかく広い。皇帝の執務室や謁見室がある本宮のほかに、皇族は皆一人につき一つの宮殿を与えられている。現在は全部で十七の宮殿があり、十八番目となるリンティアナのための第八皇女宮が絶賛建設中だ。
仮住まいの皇妃宮を出て、秒で迷子になりそうな敷地を進む。そこかしこに小川やら池やらガゼボやらが作られていて、その合間を埋め尽くすように植えられた花々が何とも美しい。
夏の盛りの今は色とりどりのペチュニアやゼラニウム、真っ白なシャラの花が見頃のようだ。
その美しい庭園を、リンティアナは父皇帝の魔力の気配を辿って座禅飛行のまま突っ切った。途中、作業をしていた数人の庭師の腰を抜かせてしまった。
本宮入口の衛兵たちの度肝を抜き、文官たちの眼をこれ以上ないほど見開かせながら、リンティアナはようやく父皇帝の執務室へとたどり着いた。
「何……えぇっ!? 第八皇女殿下!?」
執務室の前にいた近衛たちが、見慣れぬ飛行物体に戸惑う。
どうするべきかと逡巡している彼らを横目に、リンティアナは身体強化魔法を施した両手で執務室を押し開けた。
バァンッ!
思ったより勢いよく開いてしまった。部屋の中に居並ぶ美丈夫達が、一斉にリンティアナを振り返る。
(おお……、流石は推し作画のラノベ世界! 全員イケメンだぁ!)
リンティアナは感動に打ち震えた。
何とか顔には出さずに済んでいるが、心の中では前世から引きずっている『とんでもない面食い癖』の小人がジャンジャンと銅鑼を打ち鳴らしながら小躍りしている。
部屋の中央奥、ツヤツヤの立派な執務机の向こうに座るマフィアみたいなイケオジが、皇帝アレクサンドリート、リンティアナの父だ。
かっちりと後ろに撫でつけた銀灰混じりの黒髪に、眼光鋭い紅と深緑のオッドアイ。
四十一歳とは到底思えぬ貫禄に、やや行儀悪く咥えた葉巻も相まって、完全に堅気ではない空気を醸し出している。普通の三歳児なら泣き出してもおかしくないレベルだ。
そのマフィアじみた父の右側で怪訝そうに眉を寄せているのが、一番上の兄で皇太子のラインハルト。
艶のある黒髪に父譲りの眼光を宿す金茶の瞳で、年は二十一歳。どこかの組の若頭と言われても納得の風貌だ。
そしてマフィア父の左側で大量の書類を腕に抱えているのが二番目の兄、ユヴェーレン。
柔らかな黒の猫毛に、ぱっちりとした青の瞳を持つ十六歳。皇太子ラインハルトよりも線が細く、銀縁の眼鏡が似合う知的な美少年だが、実はリンティアナの兄姉の中で一番の腹黒だ。
(ああ~眼福……! 父も兄たちもイケメンが過ぎる。感謝しかない!)
前世で好みのイケメンキャラを発見した際にいつもそうしていたように、心の中でしっかりと合掌して拝んだ。
本当は現実でもそうしたかったのだが、座禅浮遊状態のままそこまでしたら、いよいよ変な宗教っぽい絵面になってしまうので自重した。
リンティアナが前世で読んだ『原作』では、彼らはほとんど作中に出てこない。皇帝すら謁見時の挿絵の端っこに小さく描かれているだけだった。
では何故彼らを認識できるのかというと。それはほぼオートで展開している鑑定魔法と、リンティアナ自身に宿る記憶のおかげだ。
流石は魔法帝と言うべきか、リンティアナはどうやら生まれたその日から無意識に記憶強化の魔法を使ってきたらしい。こちらを覗き込み、笑いかける面々の声や顔を、はっきりと覚えているのだ。
リンティアナが産まれてから幾度となく顔を見せに来た家族は勿論のこと、父皇帝がリンティアナを見せびらかすために度々呼びつけた宰相や騎士団長など、国の主要な人物たちの顔も大体わかる。
そして「誰だろう」と思うよりも早く作動する鑑定魔法のおかげで、記憶の中の顔と名前が次々に一致していく。何だかパズルのような爽快感だ。
父アレクサンドリートの名は作中にも出てきていたため、うろ覚えながらも記憶にあった。だが兄たちの名は初めて知った。
ラインハルトにユヴェーレン。なんだかとっても『中世ヨーロッパっぽい異世界』感がある。母である皇妃や四人の義母側妃、そしてあと九人いる兄姉も全員、きっと『ぽい』名前なのだろう。
皆に会うのが楽しみだな、などとリンティアナが暢気に思ったところで、沈黙していたマフィア父がクワッと目を見開き、恫喝しているのかと聞きたくなる声量で叫んだ。
「リンたん!? どうちたの!?」
ガタンと椅子をなぎ倒し、光の速さで駆け寄る。
「えっ!? 一人でここまで来たんでちゅか!? 歩いて……いや、飛んで!? どういうこと!?」
浮いたままのリンティアナを前後左右上下から見回しながら、混乱と歓喜が入り混じった声で騒ぐ。
とてもうるさい。
つい先程までの、特に理由もなく国の一つや二つ滅ぼしていそうな、あの異様な威圧感はどこへいったのか。リンティアナは内心でドン引きしたが、顔が良いので許した。
「リンティアナ、どうしたんだ。額が赤くなっているぞ」
比較的冷静そうに見える兄その一、皇太子ラインハルトが歩み寄り、そっとリンティアナの額に触れた。
「あっ、本当だ! 何これ!? リン、誰にやられたの!?」
兄その二、ユヴェーレンも駆け寄ってきてリンティアナを覗き込む。
十六歳という少年らしさが残る年齢ながら、イケメン具合は既に仕上がりつつある。「誰にやられたの? お兄ちゃんがすぐに消してあげるからね!」などと不穏極まりないことを口にしなければ、完璧な美少年だ。
「リンたん!」
「リンティアナ」
「リン~!」
騒ぎ続ける父と兄たちを、リンティアナはスッと右手を掲げることで黙らせた。小さな白い花のような掌に視線が集中する。
「おとしゃま、おにしゃま」
拙い発音はもう仕方がない。開き直って気にしないことにする。
「えっ、喋った!?」
父が目を剥いて驚くが、その突っ込みは二回目なのでスルーすることにする。
「わたちのスキルがわかりまちた」
この話をしに来たのだ。思っていた以上にイケメンだった父と兄につい浮足立ってしまったが、決してイケメンを嗜みに来たわけではない。
「「……ええええっ!?」」
一瞬の間を置いて上がる三人分の驚嘆の声。
「待って、リンたん色々早すぎない!?」
父皇帝が「着いていけない!」と言いたげに眉を八の字にして叫ぶ。こんな情けない表情をしても絵になるのだから、イケメンとは本当に罪深い。
皇太子ラインハルトも驚きを隠せないようで、顎に手を当てながら困惑気味に呟く。
「スキル開花が早い皇族でも、普通は十歳頃だろう?」
「だよねぇ。もしかして、この子………」
ごくりと喉を鳴らしながら、真剣な顔つきになるユヴェーレン。
末は賢者か宰相かと噂される皇族一の切れ者で、既に国政にも深く関わっている彼の言葉を、皆が固唾を呑んで待った。
「この子、めちゃくちゃ天才なんじゃない!?」
「「……!」」
(いや、兄その二よ、本当にそれで国一番の秀才なのか。他二人も「それだ!」みたいな顔するんじゃない)
リンティアナは心の中で突っ込みを入れた。本当に親馬鹿と兄馬鹿だ。びっくりするほど話が進まない。
「天才! リンたんは天才だ~!」
リンティアナを高々と抱き上げ、くるくると回る四十路の皇帝。もうなるようになれ、とリンティアナが半ば諦観を滲ませたところで、父皇帝が思いがけず話を進めてくれた。
「それでリンたんは何のスキルを授かったのかな?」
(おっ、いいぞ父。そのまま魔法帝の話を……)
「やはり『魅了』だろうか」
「恐いくらい可愛いもんね」
ラインハルトとユヴェーレンが至極真面目な顔で頷き合う。またもや脱線の気配だ。
「パパは『春の女神』も捨てがたいなぁ」
「何だっけそれ?」
「花を大量に咲かせるスキルだ」
「そうそれ!」
きゃっきゃと談笑する父と兄たち。
リンティアナは内心で(この能天気イケメンどもめ……!)と毒づき、天高く掲げられたまま、むちむちの丸い親指でビッと自分を指して言った。
「まほうていでしゅ」
瞬間、しんと静まり返る三人。無意識のうちに時間停止の魔法を使ってしまったのかと思うほどに、父と兄たちは言葉を失って固まった。
「ま、魔法帝……?」
魂の抜けたような声で父が呟く。
「嘘だろう」
「そんな、だって魔法帝って……」
兄たちの声も、先程までとは打って変わって力がない。
「リンティアナ」
父皇帝が真面目な声でリンティアナを呼んだ。
ふざけた愛称ではなく正式な名で呼ぶのは、父ではなく皇帝として接する時だ。十代の頃から長くその座を守ってきた大国の長としての威厳に、自然とリンティアナの背筋も伸びた。
「本当に、魔法帝のスキルを授かったんだね?」
「あい」
濃い紅と深い緑色のオッドアイを真っすぐに見つめ返し、リンティアナはハッキリと返事をした。
皇帝は何かを堪えるように一度だけ目を瞑り、再びリンティアナの虹色の瞳を見つめて言った。
「そうか。ならば話しておかなければならない。魔法帝は……」
「しってましゅ」
父の言葉を遮り、リンティアナは一拍の間を置いた。
出来るだけ言葉を選びたいと思ったのだ。残酷な真実が、必要以上に彼らを傷つけないように。
「これまでのまほうていは、みんな、しぇかいをまもるためにしんだ。そうでしゅよね」
父と兄たちが、大きく息を呑む音が響いた。




