48. 反撃開始
「ぎ、ぎゃあああ!」
赤黒い炎が逃がさないとでも言うように、渦を巻いて燃え広がる。エルベアト侯爵の腕は見る間に炎に包まれた。令息と令嬢が慌てて消火を試みるが、一向に消えないどころか炎の勢いは増すばかりだ。
「な、何だこの火、消えねぇ……!」
「早く何とかしてよ、お兄様!」
「もういい、お前たち、どけっ! クソッ!」
悪態を吐きながら、侯爵が焦げた腕でリンティアナの杖を放り投げた。
杖はそのままふわりと浮き上がり、周囲の空間をぐにゃりと歪ませ、魔力の大渦を作り出す。そしてその奥から、尋常ではない怒気を放つ魔王ジスティリオールが現れた。
【我の住処に汚い手で触れおって……!】
額に青筋を立てながら吐き捨てるようにそう言って、ジスティリオールはちらりとリンティアナを見た。
「殺しては駄目よ。それよりもっと辛い目にあわせなければ、私の気が収まらないの」
【わかっとる】
「一分だけ元の姿になることを許可するわ。わからせてあげなさい」
格の違いを。そう囁いて、リンティアナはパチンと指を弾いた。
ざわりと大気が揺れ、空間を切り裂くように黒い閃光が走る。瞬きにも満たないそれが過ぎ去ったあと、その場の重力が一気に増したかのように空気がズンと重たくなった。
貴族たちの半数ほどは堪えきれずに膝をつき、顔を上げることも出来ないまでに震え上がっている。ジスティリオールの本来の姿、周囲の者に否応なしに恐怖を強いる正真正銘の魔王とは、そういうものなのだ。
白かった髪は夜よりも深い闇色に、浅黒かった肌は宵闇に血を溶かしたような赤黒に変わっている。二メートルを優に超す巨躯、角も爪もより鋭く禍々しく、その持ち主が『狩る側』であることをよく示している。魔族の証である横倒しの瞳孔と血のように赤い瞳だけはそのままに、顔立ちも随分と大人びた。
魔王が、ふ、と視線を流しただけで、令嬢の髪と令息の腕が同時に燃え上がる。
「きゃああ!」
「うわあああ!」
悲鳴を上げ、転げまわる二人。令息はたまらず自身の魔法の杖を放り出し、それと同時に炎の茨も消え去った。ジスティリオールは楽し気に【ほれ、もっと足掻いて見せろ】と嗤っている。
「ひ……っ、ひぃい!」
子らの惨状を見て、助けるでもなく逃げ出そうとした侯爵を、リンティアナの指先から放たれた虹色の炎が瞬時に取り囲んだ。
物理的な燃焼反応を起こす通常の魔法とは違い、この虹色の炎はリンティアナが望まぬ限り消えることは無い。触れれば骨まで焼き尽くす、世の理を超えた七色の焔だ。
「な、何故、杖もなしに……!」
ジスティリオールの手にある杖とリンティアナとを交互に見やり、侯爵が忌々し気に呟いた。
「ごめんなさいね、アレがないと加減が難しいの。魔力量がちょっと多すぎるのよね」
杖に視線を流し、踵を鳴らして侯爵に歩み寄りながら、リンティアナは言った。
「何せ私、魔法帝なもので」
這いつくばる侯爵を見下ろし、にっこりと目を細めて見せる。
魔法師は通常、魔力の補強や集約を助ける杖が無ければ、その実力を発揮できない。それは事実だ。だが歴代最強の魔法帝でもあるリンティアナは、無論『通常の魔法師』ではない。
「……く、くそぉ! 化け物が!」
ようやく力量の差を悟ったのか、半身を焦がした侯爵が懐から魔道具を取り出し、苦し紛れに炎魔法を放った。ゴウッと音を立てて、炎の大蛇がリンティアナめがけて矢のように飛ぶ。
「きゃあああ!」
「皇女殿下!」
周囲の貴族たちから悲鳴が上がる。が、リンティアナは至って余裕の顔だ。
「まぁ、可愛らしい。まるで炎の赤子ね」
笑いながらそう言って、仔犬か仔猫を呼ぶかのような仕草で掌を出す。グンと吸い寄せられ軌道を変えた大蛇は、シュン、と小さな音を立ててリンティアナの手の中に消えた。
「な……っ」
渾身の一撃だったのだろう、侯爵は言葉を失って床にへたり込んだ。
「冥途の土産に見せてさしあげるわ。炎の攻撃魔法とは、こういうものよ」
微笑むと同時に、リンティアナが白い指先を天へ翳す。
「獄炎」
ゴオッと響く轟音。燃え盛る炎の柱が幾筋も渦を巻き、天を焼き焦がす勢いで噴き上がる。
リンティアナが微笑みながら紡いだ短い呪文は、炎系攻撃魔法の最高峰と謳われ、炎の最上級魔法師を百人集めて撃てるかどうかという伝説級のものだった。
居合わせた王宮魔法師たちが「えっ、まさか、あの!?」「生きてるうちに拝めるなんて……!」と沸き立つ。
まるで意志を持つかのように、器用に侯爵だけを燃やすその炎は恐ろしくも美しく、その場にいる全員の目を奪った。舞い散る火の粉は虹色に輝き、あちこちで感嘆の溜め息が漏れる。
「……っ、カッ、ハ……」
声にならない呻きをあげて、侯爵はドシャリとその場に崩れ落ちた。手加減はしているので命に別状はない。ギリギリだが。
フォブリオール王アルカディアが神妙な顔でごくりと喉を鳴らす。
「これが、かの七日七晩魔王を焼いたという炎か……!」
【馬鹿を言うな。こんな可愛いもんじゃなかったわ】
「そうね。あれはもう少し火力が強かったわね」
すかさずジスティリオールが苦い顔で横槍を入れ、リンティアナも同意した。
魔王ジスティリオールを降参せしめた炎は、リンティアナの全力を載せたものだった。再現しようとすると国の一つくらいは簡単に消し飛んでしまうだろう。出来れば二度とあの魔法を使う事態にはならないようにと、他ならぬリンティアナ自身も願っているくらいだ。




