45. 舞踏会、不穏な気配
今夜の夜会は『王弟大公の客人が来る』とだけ通達されている。それでもフォブリオールの耳敏い貴族たちには、その客人が誰なのかは周知の事実だ。王家主催、伯爵以上の高位貴族限定の舞踏会ともなれば猶更だ。
王弟と並んで立つリンティアナに、上級貴族たちが粛々と挨拶に来る。決して名は呼ばず、けれど己が家の情報収集能力と敬意を示すために『わかっています』と告げに来るのだ。
「光り輝く帝国の虹、お目に掛かれて光栄です」
帝国の虹とは、オパールのミドルネームを持ち、その七色の輝きを瞳に宿すリンティアナのことだ。
にっこりと笑顔を返し、リンティアナも礼に答える。高位貴族とは言え、大国の皇女と会う機会はそう無い。挨拶を望む列は途切れずに続き、デビューしたばかりと思しきカチコチに固まった令嬢や令息も、緊張した面持ちの親たちも、リンティアナの笑顔でようやく呼吸の仕方を思い出すかのようだった。
挨拶の列がようやく終盤に差し掛かった頃、一際異彩を放つ一家が現れた。フォブリオールの侯爵位を持つエルベアト家だ。
現当主である侯爵、後継者である令息、そしてリンティアナと同じくらいの年頃の令嬢。家系の色なのか、全員が濃い紫色の髪と瞳だ。
「クハハッ、これはこれはアトラス大公閣下。良い夜ですなぁ!」
慇懃無礼を絵に描いたような侯爵と、その傍らに立つ令息は、お世辞にも趣味が良いとは言えない華美な紫色の礼装に身を包んでいる。半歩後ろにいる令嬢は、これでもかと胸元を露出した品の欠片も無いドレス姿だ。
(これは……何かもう逆にすごいわね)
リンティアナは胸中で感心してしまった。装いだけでも非常識だが、その上あからさまに態度が悪いのだ。
侯爵と令息は頭の位置が高すぎる中途半端な礼をし、令嬢のカーテシーは必要以上に胸を押し出す敬意を感じられない所作だった。礼とも呼べない礼だ。おまけに侯爵と令息は、まるで品定めでもするかのようにリンティアナにじろじろと不躾な視線を投げかけている。
これらの態度も相まって、リンティアナの彼らに対する評価は下の下といったところだ。
(こいつら、どう見ても推しの作画じゃないわ。モブか悪役ね)
恐らく後者だろう。王弟大公オスカルディアも、顔にこそ出さないが全身に警戒感を漂わせている。
さっさと下がって欲しいとリンティアナが胸中で溜息を吐いたところで、令嬢が口を開いた。
「あぁん、大公閣下ぁ! お会いしたかったですわぁ!」
何と耳障りな声か。甲高く粘着質で、どこか芝居がかっている。
不敬なほどに距離を詰め、うっとりとオスカルディアを見上げる。その淑女らしからぬあけすけな仕草は、周囲の貴族たちも眉を顰めるほどだった。
「……やあ、エルベアト家のご令嬢」
オスカルディアの不機嫌そうな声に、当の令嬢は全く気が付かないようだ。
「そんなぁ、どうぞヴィオラとお呼びくださいまし!」
食い気味にそう言って、不必要にしなを作る。
「今宵は閣下がお客様をエスコートされると聞いて、私とても心配でしたのよ。薔薇のようにお美しい閣下には、言い寄る羽虫が多くて大変ですわよねぇ」
猫なで声でそう言いながら、令嬢はリンティアナをじろりと睨んだ。俄かにざわつく周囲の貴族たち。
「な、何と無礼な……」
「誰に何を言っているか、わかっているのか」
漣のようなざわめきのなか、殺気を放つアルトランテを視線で制し、リンティアナはにっこりと笑みを深めた。
「エルベアト侯爵。とてもお美しいお嬢様ですわね」
令嬢には目もくれず、侯爵へと声を掛ける。
「はっ? え、ええ……まぁ、ハハ」
急に声を掛けられた侯爵は、目を泳がせて狼狽えた。視線に込められたリンティアナの怒気だけで怯む。思った通りの小物だ。
「お嬢様はおいくつでいらっしゃるのかしら」
続くリンティアナの問いに、令嬢本人が鼻を鳴らして答えた。
「十八ですわ!」
恐らく、エルベアト家以外のその場の全員が心の中で『お前には聞いていない!』と総突っ込みを入れただろう。
リンティアナは侯爵に問うたのだ。答えるべきは当然侯爵であり、口を開くことを許されてもいない令嬢が答えて良いわけがない。が、リンティアナは一層笑みを深め、大げさに驚いてみせた。
「まぁ、そうでしたの!」
踵を鳴らして令嬢へと向き直り、正面から見据える。
「もっとお若いかと思っておりましたわ。まるで幼子のような振る舞いをなさるものだから」
「な……っ!」
羞恥に頬を染め、令嬢は眉を吊り上げてリンティアナを睨む。
「侯爵。お嬢様をこうした場に伴うのは、まだ少し早かったようですわね」
微笑んだままそう言って、リンティアナは扇で口元を隠した。『これ以上話すことは無い』と明確に示す仕草だ。
「し、失礼いたします……!」
まだ物言いたげな娘を引き摺り、エルベアト侯爵一行は逃げるように去って行った。
だが去り際に彼らが見せた下卑たニヤリ笑いから察するに、反省も納得も全くしていなさそうだ。これはまだもう一山あるなと、リンティアナはうんざりした気持ちで溜息を吐いた。
ほどなくして舞踏会が始まった。
フォブリオール王アルカディアと王妃、そして体の弱い王太子の代わりに、第二王子とその婚約者がファーストダンスを務めた。
舞踏会において、初めに踊るのは最も身分の高い者だ。エリュシオンの皇族であるリンティアナには、王から「ファーストダンスを頼めないか」と打診があったが、固辞した。何を隠そうリンティアナはダンスが苦手なのだ。
一も二もなく鍛錬に明け暮れた幼少期を思えば当然だろう。最低限の勉学や淑女教育はこなしてきたものの、日夜ダンスの腕を磨いてきた子女たちとの差は明らかだ。十五歳で渋々参加したデビュタント以来、実に四年ぶりのダンスなのだから猶更不安が残る。
参加者たちがめいめいに踊り始めた頃、リンティアナはオスカルディアに促されてホールに立った。
「……お手柔らかにお願いします」
渋面を隠さないリンティアナに、オスカルディアが頬を綻ばせる。
(そういえば、デビュタントの時もおじ様と踊ったわね)
リンティアナの社交界デビューの夜会には、オスカルディアも駆けつけてくれた。父と四人の兄に次いで王弟とも踊り、全身くたくたになったことをよく覚えている。
当時、既に最愛の妻を亡くしていた彼は、その肖像画を小さなロケットに入れて胸に忍ばせ、立派に成長したリンティアナの姿を妻に見せるように踊った。
「おじ様のリードは相変わらず踊りやすいわ」
上機嫌でそう言って、ドレスの裾を花弁のように翻してステップを踏む。百戦錬磨といっても過言ではないオスカルディアのリードは絶妙で、まるで自分のダンスの腕前が上がったのではと錯覚するほど軽やかだ。
(確か、あのとき身に着けた手袋もおじ様が贈ってくれたのよね)
オスカルディアの巧みなリードに身を任せ、くるくると優雅に回りながら三年前のデビュタントの夜会でのことを思い出す。
デビュタントの装束は家族が贈るというエリュシオンの慣例通り、純白のドレスは母が、八本脚の星が輝く魔法帝のティアラは父が、耳飾りなどの装飾品は兄姉たちが贈ってくれた。そしてオスカルディアは、肘の上までしっかりと覆う純白のオペラグローブを贈ってくれたのだ。
フォブリオールは舞踏会の作法に厳しいことで有名で『白のオペラグローブがないデビュタントはデビュタントとは言えない』と言い切るほど伝統的な作法を重視している。フォブリオール産の上質な絹で編んだオペラグローブを身に着けたリンティアナを、オスカルディアはそれはそれは満足そうに眺めていた。
「ふふっ」
「おや。存外余裕そうだね、リンティアナ」
つい思い出し笑いをしたリンティアナに、王弟が意地悪そうな笑みを零して言う。
「ごめんなさい、昔のことを思い出してしまって。あの時のグローブ、今も大切にしています」
「ふふ、それは光栄だね。あれは君のために絹から選んだから……おっと、そろそろ返してあげなくちゃかな」
オスカルディアがチラリと視線を流した先にはアルトランテがいた。普段より少し華やかな装いをして、じっとリンティアナを見つめている。
途端にリンティアナの心臓が大きく跳ねた。オスカルディアとダンス後の礼を交わし、アルトランテの元にエスコートされる間もずっと、リンティアナの心臓は高鳴り続けた。
「踊って頂けますか?」
恭しく礼をしながらも、アルトランテは既に確信した顔をしている。それがどうにも小憎らしくて、けれど断るという選択肢はなくて。リンティアナはせめてもの抵抗に、小さく唇を尖らせて「……うん」とだけ返した。




