43. 困惑、フォブリオール
フォブリオール王国は緑豊かで美しい大国だ。自然を愛し、他人種を嫌うことで有名なエルフが、かつて唯一親交を深めた国でもある。
千年ほど前にエルフの血が混じったフォブリオール王家は、現代に至るまで皆見目麗しい。特に現王とその双子の弟である大公は他国にまで名を馳せる美丈夫だ。
四十年ほど前、王弟が皇姉ベルンシュタインへ妻問いをせんとエリュシオンまで出向いた折には、そのあまりの美貌に集まった観衆たちが次々に気絶したという逸話まであるほどだ。
国の主産業は農業で、貴族向けの生花の栽培や研究についてはエリュシオンも及ばない実績がある。
多種多様な花を原料とした上質な香油の生産地でもあり、特に王弟オスカルディアのアトラス大公家が誇る薔薇の香油は、全世界の貴婦人が憧れてやまない逸品だ。とんでもなく稀少なそれは、今回も皇宮の女性陣から「お土産にお願い……!」と懇願されている。
その王弟大公邸へ到着し、案内された貴賓室の扉を開けながら、アルトランテが後ろを振り向く。
「リン様、中へどうぞ」
「んっ!? あ、うん!」
どうにもぎこちない。主にリンティアナが。飛行車の中での突然の告白を思えば無理もない。
明らかに微妙な空気が流れている主従に気が付いているだろうに、出迎えてくれた家令をはじめ、よくよく躾けられた大公邸の使用人たちはおくびにも出さない。てきぱきと部屋を整え、静々と去って行った。実に優秀だ。
魔法空間に仕舞っていた荷物を取り出しながら、アルトランテが問う。
「今夜のドレスは、いつものように俺が選んでも?」
「んっ!? あっ、ドレスね。うん、ドレス……お、お願い!」
挙動不審気味に答えるリンティアナを眺め、アルトランテは満足げに頷いた。
今回の訪問は、表向きは外戚を訪ねる私的なものということにしている。だが、夏も盛りの今は社交シーズンの真っ只中。ちょうど王家主催の舞踏会があるらしく、居合わせた以上は出ないわけにはいかない。
さくさくと無駄のない動きでドレスの選定をするアルトランテの後姿を眺めながら、リンティアナは内心で百面相をした。
(いやいや、何でそんな普通なの? これ私がおかしいの? どうしよ、普通の恋愛なんてしたことないからわかんない……!)
あんな熱烈な告白をされたのは、前世を含め初めてだ。大好物のちょっと悪い顔に惑わされ、良いように利用され、最後はいつも手酷く捨てられてきた過去の経験は何一つ参考にならない。
(でも、いつまでも変な状態でいたくないし……今夜あたり、ちょっと話してみようかな。ちゃんと話せるかわからないけど……)
アルトランテの告白は、決して嫌ではなかった。むしろ嬉しい。だからこそ困る。
もうずっと、恋愛対象として見られることはないと思い込んできたのだ。今から思えば、そう自分に言い聞かせてきた面もあったのかもしれない。アルトランテは自分に恋愛感情なんか抱かない、だから自分も抱いては駄目。そんな風に。
ところが、どうだ。
疑いようもないほど真剣なアルトランテの眼差しに射られ、濁すことも躱すことも出来ずに向き合うしかなかった。その結果、何とか絞り出せたのが溜めに溜めてからの「考えさせて」だったのは、何とも情けない次第ではあるが。
あれからずっと頭の中に淡い靄がかかったようで、何だかとても落ち着かない。
「リン様、こちらでいかがですか」
そう言いながら振り向いたアルトランテは、黒に金糸の刺繍を散らしたドレスを手にしていた。
「んっ!? う、うん! いいね、それにする!」
刺繍はあえて控えめに、繊細なレースをふんだんにあしらった品格漂う一着だ。リンティアナの好みをよく把握している。
「御着替えには侍女を呼びますか?」
「う、ううん、自分で着替えられるわ」
「髪は?」
問いながら、アルトランテはリンティアナの髪を一筋救い上げ、意味ありげに撫でた。ちらりと寄こされる情熱的な視線も相まって、一瞬で場の空気が変わる。リンティアナがヒュッと息を呑む音が響いた。
「そ……れは、アルにお願いしたい、いつもみたく……」
「ふ。わかりました」
口元を綻ばせ、アルトランテは大人びた顔で微笑んだ。瞬間、リンティアナの心臓が一際大きく跳ね、小人が心の天井に突き刺さる。
(ちょっと何今の!? ふ、って! 何その大人みたいな顔、いや大人なんだけど! なにこれ!? どう返すのが正解なの!?)
ろくな恋愛をしてこなかったかつての自分を、こんなにも恨めしく思う日が来ようとは。
飛び跳ねる心を落ち着かせるように、リンティアナは意識して細く長い息を吐いた。どうにもソワソワして落ち着かない。何の解決にもならないとわかっていても、今すぐどこかに逃げ去りたくなる。
(いやいや、落ち着け……前世から数えれば、私もう五十五歳なのよ。大丈夫、五十路なんだから大丈夫! 五十路! 大人! 大丈夫!)
謎の呪文を唱えつつ身支度を整え、アルトランテに髪を結ってもらう間もずっと、リンティアナの心臓はこれでもかと跳ね続けた。もうその音がアルトランテにも聞こえているのではないかと思うほどだった。
すっかり支度が整ったところで、邸の主である王弟大公がやってきた。
「やぁ、リンティアナ! 出迎えられずにすまなかったね」
よく通る涼やかな声に、腰まである見事な銀髪。リンティアナを映す深い金色の瞳は、確かな慈愛で満ちている。
王弟大公オスカルディア。フォブリオール王族しか持ち得ない特殊スキル『妖精の末裔』を持ち、その力が存分に発揮された長い銀髪は溜息が出るほど美しい。歩くたび、髪が風になびくたびに、微細な銀の光が端正な顔の周りをきらきらと舞うのだ。
「仕方ありませんわ、お仕事だったのでしょう?」
「ああ、兄に呼び出されてね。いくつになってもあの人は勝手だから」
呆れたようにそう言って、オスカルディアは肩を竦めて笑った。
兄とは、国王であるアルカディアのことだ。顔の造りはよく似ているが、纏う雰囲気はかなり違う。
アルカディアはリンティアナが言うところの『覇王系イケメン』というやつで、ときに傲慢とも思える物言いが実に王らしい王だ。そのせいでアルカディアの方が好戦的でオラオラ系だと思われがちなのだが、本当に切れたら怖いのはオスカルディアのほうだろうとリンティアナは思っている。そしてそれは、概ね正しい。
「私ももう年だからね、王の補佐としての仕事はそろそろ息子に譲ろうと思うんだ」
「クローヴィス君に?」
「それなりに鍛えたから、十分役に立つだろう。私はのんびり薔薇を育てて暮らしたいよ」
王弟であるオスカルディアは幼い頃から兄の補佐を務めているが、本職はスキル『探求者』を活かした植生研究だ。植物魔法の適性もあり、薔薇の品種改良や病害対策について多くの功績を残している。
「ああ、そうそう。今回もうちの香油を用意しておいたよ。好きなだけ持っていくと良い。きっと義姉上や側妃方に頼まれているんだろう?」
「実はそうなんです。でも、宜しいのですか? 稀少なものなのに」
「勿論だとも。可愛い義姪のためならね。アルトランテ、下の工房で受け取ってきてくれるかい?」
くるりとアルトランテを振り向き、オスカルディアが穏やかな笑顔で言う。物腰は至って柔らかいが、やはり王族。有無を言わせぬ圧がある。
リンティアナが小さく頷くのを確認してから、アルトランテは「承知いたしました」と返事をした。きちんと礼をしてはいるが、渋々感が滲み出ている。リンティアナの側を離れるのは不本意だと顔に書いてあるかのようだ。
アルトランテを見送ってから、オスカルディアは「さて」と仕切り直すように呟いた。
「なんだか浮かない顔だね、リンティアナ」
「えっ」
「アルトランテが関係しているのかな。あの子もようやく一歩踏み出したか」
「ええっ!? ど、どうして……」
「おや、隠せると思うのかい? 君が生まれた時から見てきた私に」
ふふ、と少し意地悪そうに、そしてとても愉快そうに笑うオスカルディアに、リンティアナは内心で降参の白旗をあげた。




