42. 誤算と衝動
「えっ?」
アルトランテは珍しく頓狂な声を上げた。
心の底から驚いたと言いたげな様子だ。例によって飛行車に乗りながら、紅茶の準備をしていた手を止める。
「フォブリオールの王弟公爵閣下なんですか? 次の婚活のお相手って」
「うん、そう。オスカルおじ様」
美しく並べられたクッキーを摘まみ上げながら、リンティアナがこともなげに答える。
「いやいやいや、閣下のご子息のクローヴィス様ではなく?」
「クローヴィス君は既婚者よ」
「それは閣下もでしょうが。まぁ、奥方のベルンシュタイン様を亡くされて久しいですが……え、もしかして後妻狙いってことですか?」
「まぁ、そうなるわね」
「いやいやいやいや……!」
額に手をやり、アルトランテは一体どこから突っ込めば良いのかと高速で思案した。
二人は今、フォブリオール王国の王都に向けて飛行車を飛ばしている。
クナハでの事件の真相と黒幕を追うための訪国なのだが、リンティアナにとっては例のごとく婚活の場でもある。今度は誰がお目当てなのかと軽口を叩いたアルトランテに、リンティアナは以前から候補に考えていたというフォブリオールの王弟大公の名を挙げた。
フォブリオール唯一の大公家当主、オスカルディア。現国王アルカディアの双子の弟で、国の主産業でもある植生研究を主導する傍ら、王の補佐としても名を馳せる傑物だ。
これはまずい、とアルトランテは思った。文句のつけようのない身分に加え、オスカルディアはその容姿の端麗さでも有名なのだ。
古のエルフの血を引くフォブリオール王族は皆容姿が整っているのだが、そのなかでも一際美しいと評判の美丈夫が国王とオスカルディアの二人だ。
オスカルディアはリンティアナが言うところの『傾国の美オジ』を地で行く存在。しかも亡き妻はエリュシオン皇帝アレクサンドリートの実姉で、公私に関わらず夫婦で幾度となくエリュシオンを訪れ、その度にリンティアナとも交流してきた知己でもある。
五十八歳という年齢から全くのノーマークだった彼が、目下最大の敵として急浮上してしまった。フォブリオールには目ぼしい候補などいないと高を括っていたアルトランテの焦りたるや。
(いや、流石に歳離れすぎだろ? いくら眉目秀麗・優秀・旧知の間柄とはいえ、亡き叔母の夫だぞ。しかも今も一途に奥方を想う愛妻家だ。『愛し愛される幸せな結婚』はどこにいったんだ)
アルトランテの困惑を見透かすように、リンティアナは窓の外を眺めながら呟いた。
「七年前に叔母様を亡くされてから、ずっと元気がないそうなの。お父様も珍しく気にされていたわ。様子を見てきてくれって」
静かに話すリンティアナの声に無邪気さはなく、常よりもどこか大人びている。
「……私が後添いになるのはどうかと思ったのよ。叔母様を一途に想っているところも素敵だし。恋愛は出来ないだろうけど……その分きっと穏やかに暮らせるわ。」
これは紛れもない本心だ。前世でまともな経験をしてこなかったリンティアナにとって、恋愛はとても難しい。したいか・したくないかで言えば勿論したいが、同時に怖さも感じる。
好みの顔にときめく喜びは一瞬で、捨てられる苦しみまでもが地続きのような気がしてしまう。そんなことはないと頭ではわかっていても、どうしても臆病になる。前世での自分の愚かさが招いた結果が、今も尚リンティアナの恋愛観に暗い影を落としているのだ。
もういっそのこと、恋愛などしなければ良いのではないか。恋愛感情が無くても円満な家庭を築くことは出来る。多くの貴族がそうしているように。
穏やかな家族になることを第一に考えれば、むしろ騒がしく制御の効かない恋愛感情など無いほうが、安全で安心で楽なのではないか。あくまで『恋愛結婚』ではなく『結婚』が目的ならば、の話だが。
(恋愛から逃げてるだけなんじゃないかって言われたら、そうとしか言えないけど……)
正解の無いモヤモヤとした問いを持て余すように、リンティアナは憂い顔のまま小さく溜息を吐いた。
これまでにないリンティアナの反応に、アルトランテは内心で盛大にむくれた。
オスカルディアは強敵だ。彼はリンティアナが嫌いな『顔だけのクズ男』ではない。地位は盤石、容姿も礼儀も教養も完璧、更には人間性もしっかりしている。
強いて難点を挙げるならば年齢と、亡き奥方一筋だからこそリンティアナを女性として愛すことは無いだろうという点だ。だが、それらも考慮の上でリンティアナは満更でもない様子だ。
表面上は平然とした顔を保ってはいるが、アルトランテの内心は嵐の海のごとく荒れ狂っている。
「いいんですか? オスカルディア様との結婚じゃ、多分あなたが妻として愛されることは生涯ないですよ」
「うーん……そりゃまぁ、出来ることなら愛されたいけどさ」
「だったら!!」
常にはなく声を荒げ、アルトランテがその場に跪く。キッと挑むようにリンティアナを見上げ、驚きに瞬く七色の瞳を射るように見据えて言った。
「俺にしといてください。俺以上にあなたを愛せる男はいません」
「えっ、何急に」
「言っときますけど本気ですよ」
「えっ、あっ、ちょ」
目に見えて狼狽えるリンティアナの左手を流れるような仕草で持ち上げ、アルトランテは触れるだけのキスを手の甲に落とした。薄いレースの手袋越しに、暖かな唇の熱がじわりと広がる。
(わあっ!? えっ!? わ、わあああ! 待って待ってやばい……!)
盛大に心を乱すリンティアナ。心の中の小人は高速で四方八方へ飛び跳ねて、もはや残像しか見えない。
諸説あるが、手の甲へのキスは右が『敬愛』、左が『深い愛情』を表すという。一寸の迷いもなく左手を取ったアルトランテが、その意味を知らないわけもないだろう。
(ど、どうして急に……? あ、おじ様の話したから? でも、これまでこんなこと一度もなかったのに……ああもう、ちょっと心臓うるさい黙って、いや黙ったら死ぬか!)
激しく渦巻く戸惑いのなかに、確かに見え隠れする歓喜。その事実もまた、リンティアナの心を一層かき乱していく。
収まりようのない動悸を宥めながら、リンティアナは耳まで真っ赤に染め、消え入りそうな声で絞り出した。
「か………………………………、考えさせて」
「随分ためましたね。まぁ良いでしょう、及第点です」
「なんでそんな偉そうなの!?」
パッとリンティアナの手を離し、何事も無かったかのように紅茶の準備を再開させるアルトランテ。その後ろ姿を憎らし気に眺めながら、リンティアナは「どっちが主なのよ……」と文句を言った。
ぶつくさ言いながらもまだ頬を赤くしているリンティアナに、アルトランテは内心でホッと胸を撫で下ろした。
予想外の好敵手の出現に、つい我慢できずに想いを吐露してしまった。本当はもっとリンティアナが戸惑う余地もなくなるほどに、他の選択肢を全て潰して囲って追い詰めて、どろどろに甘やかしてから言うつもりだったのに。
(はぁ……俺もまだまだ未熟だな……)
心中で大きな溜息を吐いてから、アルトランテは際限なく湧き上がる仄暗い欲求に蓋をするように、陶器製のティーポットの蓋をそっと閉じた。




