40. 親馬鹿と兄馬鹿
「入れ」
不機嫌を全面に押し出すような皇帝の声を確認してから、皇帝執務室の重い扉を押し開ける。
重厚な割にはシンプルな調度品でまとめられた執務室は、重苦しい『威圧』で満ち満ちていた。「勘弁して……!」と言いたげな半泣きの文官が数名、アルトランテと入れ替わりにそそくさと出て行く。その背を見送り、扉が完全に閉まるのを待ってから、アルトランテは口を開いた。
「いい加減やめてくださいよ、毎回それやるの」
とびきり不敬な言葉の先には『威圧』全開の皇帝アレクサンドリートと皇太子ラインハルト、そして第二皇子ユヴェーレン。
リンティアナを除けば世界でトップクラスの魔力持ちである三人の威圧を同時に受け、流石のアルトランテも少々顔色が悪い。
「ビリビリして痛いんですってば」
言いながら、溜息を吐いて首筋を擦る。無礼極まりない態度だが、それが許される位置にアルトランテはいる。
「うるさい、威圧くらい甘んじて受けろ!」
第二皇子であり宰相補佐のユヴェーレンが、堂々と理不尽なことを言う。
大きな執務机に両肘を載せて手を組み、濃い焦茶色の眼鏡を不敵に光らせる皇帝も、その左右を固める皇太子と第二皇子も。それぞれ黒を基調とした装いも相まって、どう見ても非合法な裏社会組織のボスとその配下といった風体だ。
「はぁ。それで今回は何の御用でしょうか」
「お前は本当に、俺たちには遠慮なく不敬だな」
最早どこか感心したように、皇太子ラインハルトが言う。
「まぁ、この呼び出しももう百回くらい喰らってますんで……流石に慣れました」
『早くリン様のところに戻りたいんですけど』という空気を隠そうともしないどころか、顔に書いてあるレベルの態度だ。
リンティアナの専属従者になることが決まってから、アルトランテはこの過保護スリートップに幾度となく呼び出され、小言を受けてきた。
最初こそ緊張したものの、自分の主はあくまでリンティアナであるという確固とした自覚を持ってからは、恐れることはなくなった。その代わりに、認められる必要があると気付いたのだ。リンティアナの後ろではなく、隣に立つことを望むならば。だからこそ毎度の嫌がらせとしか言えない強烈な威圧も、甘んじて受け入れている。
ふぅ、と意味ありげな溜息を吐いて、皇帝が口を開いた。
「アルトランテよ、お前の並々ならぬ想いはわかっておる。だが、すまんな。リンたんがお前を伴侶に望まない限り、我らも認めるわけにはいかんのだ」
言いながら、にやりと笑う。同様に左右の二人も意地の悪い笑みを浮かべた。
「……あとは皇女殿下のお気持ち一つ、ということですね」
負けじと笑顔を作り、アルトランテは念を押した。
「安心しました。ならば俺は誠心誠意、あの方の愛を乞うのみです」
「おい。わかっているだろうが、無体な真似は許さんぞ」
ラインハルトの威圧が一層激しさを増す。全身の皮膚が今にも裂けそうだ。
「万が一、いやもう本当に考えたくもないけど、もしも既成事実を作って身体から籠絡したりしたら……どんな手を使ってもお前を潰すからね」
笑顔の割に目が全く笑っていないユヴェーレンの威圧も更に増した。文官である彼はラインハルトほどではないが、十分に攻撃的な威圧だ。だがアルトランテは平然と耐える。
(七日七晩、骨が砕けるような魔王の威圧を受け続けたことを思えば可愛いもんだ)
脳内でそう呟きながら、アルトランテは姿勢を正して言った。
「殿下方、どうかご安心ください。そんなこと出来るわけ無いでしょう。リン様がその気になれば、俺など一瞬で消し炭ですよ。それに……」
一度、言葉を区切る。笑顔も消えた。腹の底からふつふつと湧き上がる怒りを堪えるように、一段と低い声で続ける。
「リン様の意に沿わないことを、俺がするわけないだろうが」
笑止千万、心外の極み。
そう言いたげに強い感情を覗かせるアルトランテを、ラインハルトが溜息交じりに諭す。
「流石に不敬が過ぎるぞ」
「おっと、失礼いたしました」
「全くそう思ってなさそうなんだよな。まぁ、僕も言い過ぎたよ。ごめんね」
どこか漫才じみた掛け合いを眺め、皇帝が笑いながら言う。
「こいつの無礼は筋金入りだからな。忘れもせんぞ、リンたんの杖にお前がやったブラックオパールが追加された日のことを……」
皇帝は思い出し怒りを抑えられないように、わなわなと拳を震わせた。
「たかが十歳の小僧が『自分の色を差し上げたかったのです』と言ったな。他ならぬリンたんの父である、この俺にだ。しかも事後報告!」
自らの髪や目の色の魔法石を贈るのは、エリュシオンにおける伝統的な求愛の作法だ。当時六歳のリンティアナがそれを理解していたかどうか定かではないが、少なくともアルトランテは『そういう意味』で贈った。
「貴様の目の色の石を喜ぶリンたんを、我らがどれだけ歯を食いしばって眺めたか……! リンたんが欲しいって言うから、頑張って諸々の法とか捻じ曲げて、管理官も説得してあげた国宝のダイヤより喜んでた!!」
「あの時はきつかったな」
「あんなに喜ばれたら怒れなかったよね……」
三人が遠い目をして言う。すっかり威圧も解け、アルトランテはすこぶる快適だ。
「それは何というか、大変申し訳ございません」
「ちっともそう思ってない顔なんだよ! 本当に不敬!」
忌々し気に吠えるユヴェーレンを横目に、皇帝は盛大な溜息を零して言った。
「まぁ、そのくらいでなければアレを任せることは出来んがな……」
事実、色々な意味で規格外のリンティアナを任せることが出来る男など、他にはいない。リンティアナ自身が選び、これ以上ない信頼の証しである魔力交換まで許した、世界にただ一人の存在。それがアルトランテだ。
皇帝も兄達も、ちゃんとわかっている。だが素直にそれを認めて祝福できるかというと、まだ少し、いやかなり、心の底からとんでもなく癪に障るというだけなのだ。
いつの日かリンティアナ自身が『アルトランテを伴侶に望む』と言ったなら。そのときは潔く認めようと全員が思っている。
「励めよ、アルトランテ」
そう言った皇帝は、父親の顔をしていた。アルトランテもその信頼に敬意を表し、口元を緩めて返す。
「言われずとも」
にやりと確信に満ちた笑みを見せるアルトランテに、皇帝は「可愛げのない奴め」と笑った。




