38. 不機嫌な魔王
エリュシオン皇都の一等地にある老舗の菓子店、パティスリー・ノワ。
その一番人気のクッキー缶を抱えてモシャモシャと貪る魔王に向け、リンティアナは呆れ混じりに言った。
「ね~、そろそろ機嫌直してよ」
モシャモシャ。
「ジス」
モシャモシャ。
「仕方ないじゃん、クナハではジスに出てもらうような場面が無かったんだって。それにジスだって、いつも面倒くさそうにするじゃん」
【だからといって除け者にするのは良くない】
「し~て~な~い! ごめんて、次はちゃんとお願いするから!」
魔王を出さなければならないような『次』があるのは困るのだが、ジスティリオールは拗ねるとしつこい。ラウレンティアの涙に引き籠りながら、昼夜を問わず延々と恨み言を垂れ流すこともある。リンティアナの心の安寧と安眠を守るためには、供物(高級菓子)を用意して早々に機嫌を直してもらうのが一番なのだ。
「……それ、美味しい?」
【うむ】
「じゃあ、また買ってくるよ」
【そうしてくれ】
日頃から皇宮パティシエ謹製の菓子を食べているからだろう、最近の魔王は随分と舌が肥えてしまった。本来ならば生き物の悪感情だけを糧とし、食事の必要性すらないはずなのに。
【大人しくしていてやるからクッキーをくれ】と隙あらば菓子を強請る彼のせいで、第八皇女宮は年中ハロウィン状態だ。使用人たちがエプロンのポケットやジャケットの懐に菓子を忍ばせるのが当たり前になってしまった。
【うむ。美味いが、ちと量が足らんな】
前世の日本円にして軽く数万円はする高級クッキーをあっという間に平らげ、ジスティリオールは物足りなさそうにペロペロと指を舐めた。
少年の姿だからギリギリ微笑ましいが、本当は二メートルを優に超すムキムキの巨漢だ。イケメンといえども複雑な心境になるな、とリンティアナは内心で思った。脳内の小人も少し引き気味だ。
「まったく、随分と人間の世界に馴染んだわよね」
【そうじゃな。お前らといると退屈せん】
「あら珍しい」
蓄積された負のエネルギーの寄り集まりである魔王には、寿命という概念はない。この世に感情を持つ生き物がいる限り消滅することは無く、勇者の剣によってのみ霧散し、再び寄り集まるまでの長い時間は眠っているようなものなのだという。
およそ五百年を経て目覚めれば、また気の赴くままに世界を荒らす。『そういうもの』なのだと、ジスティリオールは言った。
長く、終わりのない生。本当の自由も成し遂げたい目標もなく、ただ繰り返し暴れ、霧散させられるだけの悪役。
気の遠くなるほど昔から、ジスティリオールはとうに飽いていたのだ。名も知らぬ神か、世界そのものによって運命付けられた役割に。
【最近は刺激が多いからのう。お前がいなくなったら、またつまらなくなるんじゃろうなぁ】
どこか覇気のない声で、ジスティリオールが呟く。魔法帝とはいえ、リンティアナも彼にしてみれば瞬きの間に世を去る儚い存在だ。
「……私がいなくなったら、ジスはどうしたい? ラウレンティアの涙の中にずっと住むことも出来るわよ」
ラウレンティアの涙は、エリュシオンの国宝だ。扱える者など滅多に現れない。リンティアナが世を去れば、厳重に守られた宝物庫で再び眠りにつくことになるだろう。
「それかいっそのこと、この国の守り神になれば? 歴代の王に力を貸してあげてよ。勿論、その価値が無いと思うなら出て行ってもいいし」
魔王を擁する国など、前代未聞だ。だがそうすることで世界の災厄を抑え込み、平穏を維持できるのならば最善の策だろう。ジスティリオールの生にも、魔王として以外の役割を与えることが出来る。
ふむ、と言いたげに少しだけ思案して、ジスティリオールはふわりと宙に寝そべった。
【悪くはない話じゃな。石の中で眠るのも良い。そうしてまたいつかお前が生まれたら、そのときは……】
羊のような瞳が穏やかにリンティアナを捉え、けれど言い終わる前にパッと逸らされた。
【先のことなどわからん】
ふん、と鼻を鳴らしてジスティリオールは目を閉じ、プイと顔を背けた。この話はここまでだ、という意思表示のようだ。
リンティアナは小さく苦笑いを零した。いつの間にやら随分と懐かれたものだ。
魔王としての長い長い生の中で、恐らくは初めて出会った強者なのだから致し方ないのかもしれない。長らく人類の敵であった者に対しておかしなことだが、いつかは彼を残して逝かねばならないことに、リンティアナは一抹の寂しさと切なさを感じた。
「あ、そういえばアルは? なんか時々いなくなるのよね」
辺りを見回し、いつもならば「食べカスを落とすな、あと従魔の分際で図々しい」と会話に入ってくるはずのアルトランテがいないことに気が付いた。
【お前の父のところじゃろ】
何を今更、と言いたげにジスティリオールが答える。
「え、お父様のところ? そうなの?」
【たまに行っとるぞ】
「何でアンタが知ってるのよ」
【……知らんのはお前くらいじゃろうなぁ】
はぁ、と呆れたように溜息を吐き、ジスティリオールはごろりと宙で寝返りを打った。
「何よ、意味深ね。何か知ってるの?」
斜め上に浮く背を見上げながら問う。けれど眠そうに欠伸を零すジスティリオールは、それ以上は何も教えてくれなかった。




