37. 帰路そして岐路
「はぁ~~、何とか丸く収まったわね!」
馬車もとい飛行車に乗り込んで、リンティアナは常のようにポイポイと靴を脱ぎ捨てた。空間魔法を施した車内は広く、毛足の長い絨毯を敷いた床には素足が最適だ。ふわふわの感触が心の疲れも癒してくれる気がする。
魔道具士の姉に頼み込んで作ってもらった魔導マッサージ機能付きのソファに背を預け、リンティアナは「ああ~、効く~~」と疲労を載せた息を吐いた。
全く淑女らしからぬオッサン臭さに溜息を零しながら、こちらもまた常のようにリンティアナの靴を拾い上げ、アルトランテが言う。
「お疲れ様でした。疲労回復効果のある薬膳茶でも淹れましょうか」
「うん、お願い」
当初の予定ではもう少し長くクナハに滞在する予定だったのだが、思った以上に事案の根が深かったため、父皇帝の判断を仰ぐために急遽帰国することとなった。不穏な動きを見せているフォブリオールの貴族についても、精査をしなければならない。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……」
「婚活も失敗しましたしね」
「お黙り」
爽やかな香りの茶を淹れながら小憎らしいことを言うアルトランテを、リンティアナはじろりと一睨みした。
今回の婚活のお目当てだった王太子フォンゼルには、一連の騒動の後に一応、婚姻の打診をしてみた。ザルツでの教訓を活かし、出来るだけ威圧感を与えないように手持ちの中で一番シンプルなドレスを着た。そしてその結果、ものすごい勢いで断わられたのだ。
「は!? 俺!? いやいやいや勘弁して寿命が縮む! ってか今更リンティアナをそういう目で見るのは無理、ごめん!!」
直角より更に深く、膝に付きそうなほど全力のお辞儀で断られた。
一言一句失礼だな……と思ったものの、よく考えれば王太子フォンゼルは幼い頃に散々体術の練習に付き合わせ、完膚なきまでに叩きのめした過去がある。今更「結婚どうよ?」と言われて、頷くわけもない。
会話の最後に、フォンゼルはこっそりとリンティアナに耳打ちをした。
「リンティアナこそ、俺じゃないだろ。俺を誰と比べてるのか、ちゃんと自分で気付けよな」
そう言って、心優しい大型犬を彷彿とさせるような顔で笑った。
(……あれは何だったのかしら)
遠ざかっていくクナハの王城を窓から眺め、リンティアナは脳内の小人とともに首を捻って反芻した。
フォンゼルを誰かと比べるような発言など、そんな失礼なことはしていないはずだ。まともな恋愛経験に乏しいリンティアナといえども、流石にそのくらいの分別はある。
フォンゼルは良い男だ。心優しく優秀で、クナハの次代の王に相応しい人間だと心から思う。だが、厄介極まりない身分かつスキル持ちのリンティアナ自身を棚に上げて言わせてもらえば、彼のことを人生の伴侶として愛せるかと言うと……。
(うーん……。ちょっと気遣いの方向性とか価値観がズレてるのよね。あと、出来ればもうちょっと影がある感じが良いんだよなぁ。垂れ目よりつり目気味で、やや性格に難ありくらいの方が……って、これがダメなんだってば!)
好みの顔を追求した前世での数々の失敗を思い出し、打ち消すように頭を振る。
(顔の好みだけで言えば、アル以上の人なんか多分いないし……。あ、そう言えば、あのときアルが鬼みたいな顔でこっち見てたわよね)
そう思いながらアルトランテに視線をやれば、ちょうど淹れ終わった薬膳茶を差し出すところだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
カップを受け取って、暖かな湯気を堪能する。爽やかで優しい薬草の香りが、リンティアナの鼻先をくすぐった。
(フォンゼルとのこと、何か誤解したかしら……いや、しないか。アルだもんね)
心中でそう呟くと同時に、チクリと胸を刺す何か。
あまり深追いしたくはないその痛みに目を瞑るように、リンティアナはゆっくりとカップに口をつけた。暖かな液体が喉を潤していく。ほろ苦く爽やかな香りが、心に刺さった棘を優しく溶かしてくれるような気がした。
*
ちょうどその頃、クナハ王城のバルコニーではフォンゼルとイヴォナが遠ざかっていく飛行車を見送っていた。夏の気配を纏った風が、並んで立つ二人の髪を揺らす。
「……お兄様。本当は、リンティアナのことが好きだったのでは?」
視線は空へ向けたまま、イヴォナが問う。
どこか確信を滲ませる声だった。フォンゼルもまた青い空を見上げたまま、参ったなというように眉をへにゃりと曲げた。
「そりゃあ、リンティアナは強くて美しくて真っすぐで……憧れないはずがないだろ。でも、叶いっこないのは昔からよく知ってるからな。あんなおっかない番犬が側にいたんじゃあさ!」
肩を竦めて、フォンゼルは清々しく笑った。いつものように明るく豪快で、けれどほんの少しだけ切なさを滲ませる声だった。
傍らのイヴォナは少しだけ何かを言いたげに口を開いて、けれど結局何も言わずに、静かに微笑んだ。労うように兄の背を撫でる。
飛行車もとうに見えなくなった空を、フォンゼルはしばらくの間、何も言わずに眺め続けた。
*
同じ頃、飛行車の中ではアルトランテが盛大にくしゃみをしていた。
「あら、誰かがアルの噂してるのかしら」
からかうようにそう言ったリンティアナに、アルトランテは至って真面目な顔で返す。
「そうだと良いんですけどね」
「はぁ?」
何それ、と視線で問うリンティアナを、アルトランテは無言のままじっと見つめた。
「え、なに?」
「何でもありません」
視線を逸らしながら、はぁ、と雑に溜息を吐く。
「いや、なに!? 言いたいことがあるなら言いなさいよ!」
アルトランテは再度溜息を吐いた。あのときの、王太子フォンゼルの耳打ちは当然聞こえていた。少し離れた場所にいたが、身体強化魔法で聴力を強化すればなんてことはない。
あれは弁えている男だ、とアルトランテは思う。
仮にも一国の王族に対して不遜すぎる物言いだが、事実としてフォンゼルは、リンティアナやアルトランテのことをよく理解していた。アルトランテの抱える執着じみた重たい感情については勿論のこと、リンティアナの、当人もまだ自覚できていないような想いについても。
(大した会話もしていないあの男ですら、正確に把握しているというのに……)
「何だってこの人は……はぁ……」
「あっ、何!? やっぱり何かあんでしょ!?」
「何でもありません、しつこいですよ」
「は!? いや本当不敬すぎる、どうしたら良いの」
まだキーキーと何事かを訴えているリンティアナをスルーして、アルトランテは二杯目の茶葉の準備を再開させた。白い陶器製のポットの蓋を開けながら、ああ全く、と胸中で独りごちる。
一日も早く、全人類が知ればいい。
自分以外の誰も、この人の隣には並び得ないのだと。
リンティアナに対する、それはそれは強く重い感情を持て余すように、アルトランテは深く重たい溜息を吐いた。後ろでリンティアナが「ねぇ喧嘩売ってんの!?」と騒いでいるが、スルーすることにした。




