35. 黒幕
当初は、その貴族からの頼み事は何てことはないものばかりだった。
人気の商品を融通して欲しいだとか、知人の分も取り置いて欲しいだとか。その程度は贔屓の顧客相手なら当たり前の、気遣いの範疇だった。
そうこうしているうちに辺境伯である父と、次期当主だった兄が、魔獣討伐で世を去ったという信じられない報が入った。そうして今更望むはずもない辺境伯の椅子に座らされた頃から、貴族の『頼み事』の内容が一変した。
使途不明の武器や魔道具の調達、秘密裏に裏の仕事を請け負う人間の斡旋、果ては国家機密の横流し。どれも難しいと断れば、代わりに高額な金銭の貸与を求められた。
当然、断らなければ、と思った。出来ることならもう関係を断ちたいとさえ思った。けれど恩もある以上どう返事をしたものかと思い悩んでいるうちに、貴族は部下たちを引き連れて辺境伯邸まで押し掛けてきた。
相手は、本来ならばそう簡単に国境を越えられるはずがない高位貴族の身分だ。恐らくは正規の入国手続きなど経ていないだろう。
その時点で相手の違法性や危険性は十分承知していた。けれど幾人ものガラの悪い護衛たちに囲まれ、いつぞや壊した壺の話をちらつかされて、若輩のヴィドは要求を断ることができなかった。
気付けば、決して少なくない額の金銭を融通していた。貴族の手下が邸に入り浸るようになり、更にはたびたび辺境伯邸を訪れるようになった貴族の要望で、辺境伯邸を豪奢に改装させられた。
資金が底を突けば税を上げろと命令され、断ればヴィドの犯してきた失態や不正を白日の下に晒すと脅された。
白く眩くなった屋敷を見上げ「近い将来、ここがクナハの王城になる」などと宣い始めた貴族を心底恐ろしく思いつつも、その頃には既に抗う術も気力も持ち得なかった。
ヴィドの様子を不審に思った使用人たちから何度も心配の声が寄せられたが、その度に曖昧に濁すことしかできず、使用人たちとの間にも溝が出来ていった。
そうして遂にある日、貴族から子飼いの者たちを匿って欲しいと依頼された。訳あって本国フォブリオールにはいられなくなった者たちで、ほとぼりが冷めるまで預かって欲しいとのことだった。
どう考えても、まともな者たちではないだろう。
流石にまずいと直感したが、断る間もなく彼らは辺境伯領に入った。そしてあろうことか夜盗紛いの悪事を働きだしたのだ。
困り果てたヴィドは貴族と取引をした。彼らを匿い、更に上納金を収める。その代わり辺境伯領の領民には一切手を出さないで欲しいと訴えた。貴族はこれを了承した。
山中の洞窟に夜盗どもを匿い、彼らを傭兵と偽り、警備費と称して増やした税を上納した。
彼らが時折隣国フォブリオールや他領地からの商隊を襲うのを黙認し、事情を知らない辺境伯家の騎士たちが動くときには情報を流し、捕まらないように手を打った。
「申し訳、ありませんでした……!」
ソファに沈み込むように、ヴィドは深く頭を下げた。
(……きっと最初から、その黒幕貴族の目的はお金だけじゃなかったんでしょうね)
哀れなほどに縮こまるヴィドを見つめ、リンティアナは胸中で溜息を吐いた。
話を聞く限り、相手の貴族とやらはヴィドの性分をよく理解している。見栄っ張りで小心な性格を見抜き、利用するために近付いたとしか思えない。
まず懐に入り込み、弱みを握って脅し、孤立させ、家人すらも遠ざけさせる。辺境伯という肩書だけは立派な、気弱な操り人形の完成だ。
「もっと早く王に……せめて、この辺境の騎士たちに正直に話すべきでした。そうしていれば……」
俯いたまま、ヴィドが悔いるように唇を噛み、声を震わせる。
民の信頼厚い父と優秀な兄を亡くし、急に座らされた辺境伯の椅子。
家臣たちには「騎士でもなく、領地経営も学んでこなかった次男が当主で大丈夫なのか」と不安視されていることは嫌というほどわかっていた。
きっと誰よりも戸惑いと不安を感じていたのはヴィド本人だろう。父や兄のような才が無いことは自分が一番よくわかっていたし、おまけに他国の厄介な貴族にまで目をつけられていたのだから。
「ずっと葛藤していました。けれどもう、今更取り返しがつかないと、一蓮托生だと繰り返しあの方に言われて……」
「イヴォナとの婚約の打診に応じたのも、そいつの指示か?」
聞いたことが無いほど冷たい声で、フォンゼルが問う。
応接間で合流した後、フォンゼルは真っ先にイヴォナを抱きしめ、謝罪の言葉を口にした。辺境伯の暴言についても聞いたのだろう。結果としてイヴォナを深く傷つけたことを、ひどく後悔しているようだ。
「……はい。手間が省けた、と言われました。王女殿下が降嫁すれば、いずれは、その……陞爵も見込めるだろうと……」
口ごもり、言葉を選ぶヴィド。
(きっともっと直接的な物言いだったんでしょう。王女を篭絡すれば王位も夢じゃない、とかね)
リンティアナは心中で盛大に溜息を吐いた。
この件は単に『辺境伯が他国の貴族に不当に搾取された』という話ではない。一国の乗っ取りの布石となり得る大罪だ。それも、この大陸でエリュシオンに次ぐ大国のフォブリオールが関わっているとなれば、我が国としても無視することは出来ない。
(まぁ、黒幕を追うのは当然として……今はこっちをどう片付けるかよね)
項垂れたヴィドを見やる。綺麗に整った顔も、今は憔悴しきって見る影もない。
(結局のところコイツがしたのは、他国の犯罪者を匿ったことと、夜盗の被害を助長させたこと、そして不当な税の値上げ。個人的にはイヴォナへの暴言も含めて死罪でも良いくらいだけど……そう簡単じゃないわよね)
貴族の処罰には厳格な取り決めがある。不当に取り立てた税は民に還元させるとしても、降爵などの重い処分は慎重に議論しなければならない。今回は他国の思惑も関わっている以上、うかつな処分は返って状況を悪くする危険もある。
さてどうするか、とリンティアナが思案しているうちに、王が口を開いた。
「何故、もっと早く言わなかったのだ」
いくらでも機会はあっただろう。呆れたようにそう付け足して、王は深い溜息を吐いた。
クナハ王ハーヴィーは根が優しく、人の善性を信じているタイプだ。困っていたならどうして頼ってくれなかったのかと本気で思っているのだろう。
高すぎるプライドが邪魔をして素直に頼ることが出来ない人間もいるのだと、本質的に理解できないのだ。
問われたヴィドは悔しげに唇を噛み、小さな声でぽつぽつと話し始めた。
「……幼い頃から何をしても半端で、褒められるのは容姿だけでした。私は父たちを見返したかったんです。なのに、ようやく商会が軌道に乗ったところで……壺のことさえ無ければ……!」
吐き捨てるようにそう言って、握った拳で自身の細い膝を叩く。
「あ、そういうのはもういいわ」
しんみりしつつあった部屋の空気を全く読まずに、リンティアナはサッと手を挙げてそう呟いた。そのまま溜息交じりに続ける。
「申し訳ないけれど、あなたの事情には毛ほども興味がないのよ」
「え……」
二の句が継げずにいる辺境伯を真っすぐに見据え、リンティアナは尚も続けた。
「だって、要は『自分の失態を知られたくなかった』っていう子供じみた保身でしょう? そんな身勝手な理由で許されることなど何一つないわ」
身分ある者なら猶更ね。そう付け足して、リンティアナは辺境伯爵という立派な肩書を持つヴィドを冷ややかに見つめた。
ずっと黙って聞いていたイヴォナが隣でおろおろしている。異論はないが、もう少し手加減をしても良いのでは……と言いたげな顔だ。けれどリンティアナはお構いなしに続けた。
「この辺境の民たちは最早、魔物よりも夜盗に怯えているわ。民の血税で生きる身でありながら甘ったれた保身に走り、彼らを守るどころか恐怖させ、あまつさえ増税など……先代がお聞きになったら、さぞ嘆かれるでしょうね」
「……」
辺境伯ヴィドは、今やもう可哀想なほどに小さくなっている。
「……とはいえ、あなたも被害者だったのでしょう」
ぽつりと呟かれたリンティアナの言葉に、ヴィドがそろりと顔を上げる。
「壺を壊してしまった件、仕組まれていた可能性が高いわ」
「え……っ!?」
駆け出しの商会を狙った詐欺は、珍しいことではない。
初めに恩を売り、相手が気を許した後で無理難題を通そうとする悪徳商人や貴族もいる。だが今回の件は恐らく、それよりも遥かに根の深いものだ。クナハの王位簒奪の足掛かりだったとすれば、最初から全てが仕組まれていたと考える方が妥当だ。
(もしかすると、先代辺境伯たちの死も……)
最悪の考察がリンティアナの脳裏を過ぎったが、今はまだ言葉にするべきではないと打ち消した。
言葉を失い、呆然とするヴィド。王とフォンゼルには驚いた様子はない。彼らは既に、その可能性に気付いていたのだろう。
「あなたは嵌められ、利用された被害者でもある。でもだからといって処罰は免れないわ。追って王から沙汰があるでしょう」
ちらりと視線を流せば、王は静かに頷いた。
(罰に関しては王に任せましょう。あとは……辺境伯領の立て直しと、イヴォナの婚約のことね)
リンティアナは脳をフル稼働させて考えた。脳内の小人も難しい顔で腕を組んでいる。
誰をどこにどう配置するのが今の、そしてこれからのこの国にとって一番良いか。そして何より、どうすればイヴォナが幸せになれるのか。
(……うん、よし。これで行こう)
コンマ数秒で弾き出した結論に、リンティアナは脳内の小人とともに満足げに頷いた。




