32. 突入、辺境伯邸
「というわけで、私の転移魔法で行きましょう」
まだ陽も登りきらぬ明け方、リンティアナは事も無げにそう言った。王とフォンゼルにイヴォナ、そして三十人ほど集められたクナハ騎士団の精鋭たちが俄かにざわつく。
「転移って……この人数をかい?」
フォンゼルが驚いたように問う。
「ええ。山一つくらいの距離なら問題ないわ」
さらりと言ってのけたが、実際はちょっと手間がかかる。
魔法帝と言えども、知らない土地での転移は危険と隣り合わせだ。転移先をよく確認しておかないと、気付いたら水中や魔物の巣や鬱蒼と茂る茨の中、なんてこともあり得るからだ。
地図をもとに遠隔視魔法を駆使して、アルトランテとともに昨夜のうちに最適な転移先の選定を済ませておいた。おかげで少し寝不足だ。
「では、行きましょう。少しでも早い方がいいわ」
件の辺境伯領は、西の大国フォブリオールと国境を挟む位置にある。
辺りはどこまでも連なる岩山が天然の要塞となり、そこからの侵略を企てる者はまずいない。そのため辺境の騎士たちが対人よりも対魔獣の戦法が主となるのも無理はないのだが、だとしても訓練された騎士が単なる夜盗ごときに後れを取るとは信じがたい。つまりは現状こそが、相手が『単なる夜盗』ではないことを示している。
きっと今頃、先方には王が出した先触れよりも早く、間諜の情報が渡っているだろう。到着まで二日はかかると高を括っているところを急襲する作戦だ。
王も王太子も、委細承知したとばかりに頷く。イヴォナも愛用の弓を握りしめ、緊張した面持ちで頷いた。
***
「あらまぁ……確かに立派ねぇ」
辺境伯邸を見上げ、リンティアナは呆れ混じりの溜息を吐いた。
素朴な土色の家屋が多いクナハの地にあって、辺境伯邸は眩しいほどに白い。若干目に痛いくらいだ。どうやら漆喰に砕いた貝の粉を混ぜているようで、陽の光に当たるとキラキラと輝いて見える。なるほど、豪奢な造りだ。
「では、参ろうか!」
鎧姿の王が先頭に立ち、大きな拳で辺境伯邸の扉を壊さんばかりにノックする。ダン、ドン、と重たい音が数度響いたところで、執事らしき初老の男が怯えたように顔を出した。
「どちら様で………お、王!?」
目の前で仁王立ちする巨躯に気圧されたのか、執事はその場で尻もちをついた。何事かと集まってきた使用人たちも、皆一様に竦んで動けない。
「夜盗討伐の応援に来たのだ、ヴィド殿はどちらかな!?」
高らかにそう宣言し、王は家人の返事を待たずにズンズンと進んだ。辺境伯邸の間取りは頭に入っているようだ。
リンティアナとイヴォナも、アルトランテと護衛の騎士に周りを固められながら後に続く。
「お、お、お待ちください、主は来客中でして……!」
幾人かが行方を阻もうとするが、武人でもない一介の使用人に歴戦の王の歩みを止められるわけがない。
まるで木の葉のように軽々と振り払われていく彼らを横目で見ながら、リンティアナは密かに防御魔法を展開した。明確な悪意を孕んだ魔力の気配を、すぐそこに感じ取ったからだ。
バァン!
派手な音を響かせて、執務室らしき部屋の扉を王が押し開ける。値が張りそうなシャンデリアの下でこちらを振り向く顔のほとんどは、酷く人相が悪い。
(多分あれが辺境伯……ヴィド・モントシュタインね。顔が良いの、こいつくらいだもん)
やや失礼なことを思いながら、リンティアナはじっと辺境伯を見据えた。
編みこんだ明るい藁色の髪に、長い睫毛で覆われた錆色の瞳。騎士の家系にしては随分と細い体躯や、彫刻のような端正な顔も相まって、一瞬女性かと思うほどだ。
(うーん、何かちょっと……神経質そうっていうか自己中そうだな)
またもや失礼なことを胸中で思う。だが、性分とは顔に滲み出るものだ。当たらずとも遠からずだろう。
「お、王!? どうして……」
目に見えて狼狽える辺境伯。
「先触れはまだ届いていないか? なに、夜盗の件を聞いたものでな。討伐に手を貸そうと急ぎ参ったのだ!!」
がっはっはと豪快に笑いつつも、王の目は全く笑っていない。
薄ら寒いものを感じて(こわぁ……)と胸中で呟きながら、リンティアナは辺境伯以外の数人を視線で指して言った。
「こちらの皆様は?」
「あ……よ、傭兵団の者です。その、フォブリオールから来た……」
辺境伯はしどろもどろになりながら答えた。
「いや、お前こそ誰だ?」とでも思っているのだろう、訝し気な表情を浮かべている。だが傭兵団と呼ばれた者たちは、王よりもリンティアナに対して強い緊張感を放っている。彼らはわかっているのだ。リンティアナが何者で、何をしにここに来たのか。
「おお、隣国の傭兵団の! それは丁度良かった! 我らも加勢するゆえ、今から夜盗どもを叩き潰しに行こうではないか!」
傭兵たちの肩を折らんばかりにバシバシと叩く王。常人の倍はあろうかという巨掌で叩かれるのはかなりキツいらしく、全員身を強張らせて耐えるだけで精いっぱいのようだ。
頬を引き攣らせた辺境伯が、取り繕うように曖昧な笑顔を零す。
「お、お忙しい王の手を煩わせるなど……」
「なに、王都はフォンゼルに任せておるから案ずるな!」
この場にいないフォンゼルについてさらりと嘘を吐き、王は更に語気を強めた。
「王家は民を守るためにこそあるのだぞ、力を貸すのは当然だ!」
「い、いや、しかし……」
「お父様の言う通りです、ヴィド様! 夜盗だなんて、どうして言ってくださらなかったのですか!? すぐに退治しましょう!」
イヴォナもずいと前に出て言い募る。
裏のない真っすぐな、百パーセントの善意でそう言っているのが手に取るようにわかった。流石の辺境伯も返す言葉が見当たらないようだ。そこへ更に王がダメ押しをする。
「わざわざ他国から傭兵を招くなど、莫大な費用が掛かるはずだ。王として貴家にそんな負担を強いることは出来ん。大事な娘を嫁がせるとなれば、猶更だ」
有無を言わさぬ目力で、王はギロリと自称傭兵たちを一瞥した。その圧倒的な迫力たるや。
(……王女が降嫁するとなれば、この領地の問題にも介入しやすくなる。逆に言えば、そうでもしないと尻尾を掴めなかったってことよね)
王と言えど、確たる証拠もなく貴族の領地を取り調べることは出来ない。強硬過ぎる姿勢は独裁と見做され、貴族や民衆の心が離れる事態に繋がりかねないからだ。
そして悪知恵の働く者ほど、その仕組みをよく理解している。確かな証拠が無ければ王家が手を出せないのを良いことに、善良な一貴族の皮を被って悪行の限りを尽くすのだ。
(でも、どう見てもこのイケメン坊や一人じゃ無理よねぇ……)
こうして直に見た辺境伯は、明らかに小物だ。国盗りなどと大それた悪事が働けるようには到底思えない。年若い彼の後ろで蠢く巨悪の気配に、リンティアナは心底うんざりした気分で溜息を吐いた。
何だかどんどん話が大きくなっていく。ここには世直しではなく婚活をしに来たはずなのに。
リンティアナが脳内でふくれっ面を晒している間に、どうやら話がついたらしい。辺境伯が整った顔を青くして、項垂れながら息を吐いた。
「わかりました……。すぐに当家の騎士を準備しますので、少しお待ちください」
そう言い残し、辺境伯は自称傭兵たちを連れて部屋を出た。
扉が完全に閉まったことを確認してから、リンティアナたちはそれぞれに目を合わせ、小さく頷き合った。
「じゃあ、手筈通りにね」
そう囁いたリンティアナに、全員がしっかりと頷く。
アルトランテだけはやや渋面だったが、リンティアナが念押しするように視線を送れば、溜息を一つ吐いてから「わかってます」と返事をした。




