30. 晩餐、本題
クナハに到着した日の夜には、気心の知れた者だけの晩餐会が開かれた。
討伐を終えて戻ってきたクナハ王ハーヴィーと王太子フォンゼル、王女イヴォナ、そしてリンティアナとアルトランテの五名だ。
従者であるアルトランテは「主人と卓を共にするなど……」と固辞しようとしたが、クナハ王ハーヴィーの「お前の分を別で用意するのが面倒なんだ、いいから座れ!」という豪快な一言に押し負けて、大人しくリンティアナの隣に座っている。
「さあ、始めようか!」
王の言葉とともにグラスを掲げて乾杯をすれば、クナハ自慢の名物料理が次々と運ばれてきた。どれもクナハで獲れる魔物を食材としたものだ。
魔毒を抜く調理法を長年に渡り研究してきたクナハならではの魔物食は、栄養価が高く滋味深いのが特徴だが、やや癖がある。
(これこれ、懐かしいわ~! 前世のジビエみたいな感じなのよね。私は全然いけるけど、苦手な人もいるでしょうね)
野性味溢れる匂いが鼻先を掠め、リンティアナは思わず感嘆の溜息を吐いた。その様子を嬉しそうに眺め、王は山盛りにした前菜をリンティアナの前にドンと差し出した。
「皇女はこれが好きだったよな!」
熊のように大柄な体躯、大雑把に括られた焦げ茶色の髪。顎全体を覆う無精髭に、あちこち散りばめられた無数の傷跡。歴戦の猛者である王の姿は八年前から変わらず、その風貌と不釣り合いなほどに理知的な雰囲気を漂わせる紺色の瞳も健在だ。
「王……確かに好きですが、この量は……」
「まぁ食べてみなって、リンティアナ。今年の鬼蟹は一段とうまいよ!」
リンティアナの正面に座る王太子フォンゼルが、にこやかに背中を押す。
本来ならエリュシオン皇族の言葉を遮るなど許されることではないのだが、五つ年上の幼馴染でもあり、今回の婚活のお目当てでもあるフォンゼルならば話は別だ。
リンティアナよりも五つ年上の彼は、父であるハーヴィー王とよく似た風貌をしている。少し癖のある焦げ茶色の髪や顔立ちは王にそっくりだ。けれど亡き王妃譲りの琥珀色の垂れ目のせいか、笑うと一気に幼く見える。王が熊なら王太子は大型犬といったところだ。
「あのね、フォンゼル。私だってもう子供じゃないのよ。こんな大量の前菜だなんてマナー違反は……」
そう言いかけたリンティアナの鼻先を、ふわりとくすぐる爽やかな香草の香り。
初夏のクナハの清流で獲れる驚くほど硬い殻を持つ蟹型の魔物、鬼蟹の身を茹でて丁寧にほぐし、蟹みそと香草で和えた前菜だ。普通はこれを少量、薄焼きのクラッカーに載せて食べるのだが。
「八年前はスープ用の深皿いっぱいに盛って食べてただろう。今回もたくさん用意させたぞ!」
にこにこと悪意のない王の笑み、そして込み上げる食欲に抗えず、リンティアナはそっと一匙掬って口に運んだ。
瞬間、口の中で弾けるぷりぷりの食感と濃厚な旨味の本流。
(うっわ、やっぱ美味しい! 最高! 焼酎が欲しい~~!!)
「王、ありがとうございます! この量いけそうな気がしてきました!」
「そうか!」
「いや駄目ですよ、リン様。偏食はやめてくださいね。王もフォンゼル様も、あまり主人を甘やかさないでください。調子に乗るんで」
「ははは! すまんすまん、ついな!」
「アルトランテも相変わらずだなぁ」
大口を開けて笑う王や王太子を尻目に、アルトランテは大きなスプーンを握って食べる気満々のリンティアナを抑え、大盛りの深皿からやや多めの適量を小皿に取り分けた。
「うぅ……でも、そうよね。他にもたくさん食べたいもの!」
一瞬だけ残念そうな顔をしたあと、リンティアナは気を取り直してずらりと並べられた魔物食に向き直った。
牙兎と魔草の若芽のテリーヌ、根菜を魔山羊のミルクで煮込んだクリームスープ、柑橘のソースを添えた角鹿のロースト、魔樹の実を練り込んだ風味豊かなバゲット。どれも魔物食に精通したクナハでしか味わえない逸品だ。
(全部本当に美味しい……なんか昔より美味しくなってない?)
幼かった修業時代よりも、ずっと美味しく感じる。味覚が成長したせいもあるだろうが、今のリンティアナには『原作のシナリオを変えられた』という心の余裕があることが一番の違いかもしれない。
クナハで修行をしていた当時のリンティアナは、なかなかに切羽詰まっていた。心の中には常に大きな不安が棲みついていたし、嬉しいことや楽しいことがあっても、次の瞬間には原作の結末を思い出して怯えていた。
それはきっと周囲にも伝わっていただろう。だからこそクナハ王も、年相応の子供らしい反応が見られた鬼蟹の前菜のことを覚えてくれていたのかもしれない。
ふと隣を見れば、アルトランテは常の無表情のまま、綺麗な所作で黙々と食べている。だが、食の進みがいつもよりも早い。顔には一切出さないが、クナハの料理を気に入っているようだ。
(……なんか、今すごく幸せかも)
清水のように湧き出る感情に逆らわず、リンティアナは心の中で呟いた。
犬死にする未来への不安もなく、ただ楽しく、穏やかに、大切な人と美味しい食事を楽しめる。それがどんなに有難く尊いことか、文字通り血反吐を吐いてきたリンティアナには、身に染みてわかる。
今更ながらにじわじわと達成感がこみ上げてくる。アルトランテの整った横顔を見つめながら、原作の流れを変えられて本当に良かったと、リンティアナは心の底から思った。
他愛のない昔話に花を咲かせ、和やかに食事会は進んだ。
白いカップを満たす薄緑色の食後茶を見つめながら、リンティアナは(さて、そろそろ本題に入りましょうか)と内心で呟いた。
「そういえば、イヴォナのお相手が決まったとか」
何食わぬ顔でそう切り出せば、イヴォナの細い肩がピクリと揺れた。王と王太子の顔にも緊張が走る。
(……やっぱり、何かあるわよね)
この国でもまた一山ありそうな気配を感じて、リンティアナは胸中で小さく溜息を吐いた。




