29. 旧友その二
クナハ王城へ到着すると、王女イヴォナが出迎えてくれた。
父であるクナハ王ハーヴィーと兄の王太子フォンゼルは、今朝がた急に現れた大型魔獣の討伐に出ているのだという。魔物が多いこの国では、辺境でなくとも突発的な出動が日常茶飯事のようだ。
「ようこそおいでくださいました、第八皇女殿下!」
王女イヴォナが美しく礼をして、それから悪戯っ子のように二ッと笑う。
大きくウェーブした焦げ茶色の髪に、好奇心が光る紺色の瞳。両耳に着けた伝統的な意匠の金の飾りがきらりと光って、彼女の象牙色の肌によく映える。
「お久しぶりね、イヴォナ」
通信魔法で何度もやり取りをしているが、会うのは実に八年ぶりだ。伸び悩んでいた十歳のリンティアナを救ってくれた大恩あるクナハ王の娘であり、その当時こっそり一緒のベッドで眠ったりもした、一つ年上の幼馴染。
「本当に久しぶり! あなたは相変わらず…………お姫様ね!」
上から下までリンティアナをじっくりと見て言うイヴォナに、思わず吹き出す。
「ふふっ、それまだ言うの? あなたもお姫様でしょう」
イヴォナと初めて会った八年前の記憶が、リンティアナの脳裏にありありと蘇った。
クナハ王に連れられ、リンティアナと対面したイヴォナの第一声は「お姫さまだぁ……!」だった。
『黙ってさえいれば最高級のビスクドールのように美しい、黙ってさえいれば』とアルトランテが形容した十歳の頃のリンティアナは、それはもう愛らしい姿をしていた。
少女でありながらどこか憂いを帯びた表情を見せるリンティアナに、家族は勿論、皇宮中の者がメロメロになっていた頃だ。
頬を赤く染め、キラキラと光る瞳でリンティアナを見つめるイヴォナの姿は、物語のなかのお姫様に憧れる少女そのものだった。
「あなたもクナハのお姫様でしょう?」小さく笑ってリンティアナがそう言えば、イヴォナは「あっ、そうだった!」と照れ臭そうにはにかんだ。
こんな純朴そうな子が王族として権力争いの中で生き残れるのかと、リンティアナは随分と気を揉んだ。帰国した後も通信魔法での交流を続けたが、イヴォナは常に明るく素直で、人を疑うことを知らない善人だった。
出会いから八年が経ち、淑女の礼はそれなりに身に着いたようだが、内面は相変わらずらしい。
「はぁ~~……その生地、とっても綺麗。帝国の服はやっぱり洗練されてるわね!」
淡く柔らかな灰色の地に、白と銀の糸で刺繍を施したリンティアナのドレスをしげしげと眺め、イヴォナが感嘆の溜息を吐く。
「ありがとう。イヴォナのドレスも素敵よ。似合ってるわ」
黒かと見紛うような深い焦げ茶色のシックなドレスは、イヴォナの大振りの金の装身具を一層引き立てている。肩を大きく出すデザインや大胆なレース使いも相まって、落ち着き過ぎの印象もない。背伸びをしたい年頃のイヴォナによく似合っている。
「本当!? ありがとう!」
くるりと回りながら「これにして良かった~!」と王族らしからぬ素直さで喜ぶ姿に、リンティアナもつられて笑みがこぼれる。イヴォナと一緒に出迎えてくれたクナハ国宰相も、一歩下がった位置で苦笑いしている。
「本当に相変わらずね」
くすくすと笑いながらそう言えば、イヴォナは少しムッとしたように唇を尖らせた。
「知ってるでしょ、王女っていっても私は十年前まで単なる田舎領主の娘だったのよ。ほとんど平民と同じなの。リンティアナみたいな生まれついてのお姫様じゃないわ」
拗ねたような、それでいて悪意のない真っすぐな羨望が混じる表情。こういうところは初めて会ったときから全く変わらず、愛らしい。
「私、イヴォナのそういうところ大好きよ」
「はっ、はぁ!? 何よいきなり! まぁ別に? 私だってリンティアナのことは嫌いじゃないっていうか……す、好きだけど!?」
真っ赤になって狼狽える様は、正しく前世で言うところのツンデレだ。
くるんと波打つ髪の先を弄りながら尚も「まぁその、と、と、友達だし? あっ、友達よりもうちょっとだけ特別かもしれないけど……」と見事なデレを決めてみせるイヴォナを、リンティアナは好々爺じみた宰相とともににこやかに眺めた。
***
「久しぶりに会ったけど、まだあんなに感情を顔に出すなんて……ふふっ。イヴォナって本当に可愛いわよね」
通された賓客室で、リンティアナはいつものように靴を脱ぎながら言った。派手さはないが、よく手入れをされた柔らかな絨毯が素足に心地良い。
「素直な方ですよね」
華奢な靴を丁寧に拾い上げ、アルトランテも同意する。
イヴォナには淑女のマナーという観点ではなっていないところが多々あるが、リンティアナに対する純粋な好意を隠そうともしないところは、アルトランテも概ね好意的に捉えているのだ。
「……いつ見ても綺麗な街ね」
窓際に立ち、夕日に照らされた城下を眺めるリンティアナの目は優しい。小さな王都をぐるりと取り囲む険しい山肌も、オレンジ色に染まる今はどこか柔らかな印象だ。
「ええ」
傍らに立ったアルトランテも、世辞ではなく素直に美しいと感じた。
素朴で慎ましく、けれど賑やかな民の息遣いがすぐそこに感じられるような。生きていくことが厳しい環境だからこそ、他者への慈愛に満ちた街だ。
すぐそこまで降りてきた夜を迎え入れるように、通りには一つ、また一つと火が灯されていく。淡く小さく灯るそれらは、まるで待ちきれずに落ちてきた星のよう。
見つめるリンティアナの虹色の瞳を、穏やかに、けれど確かに彩っていく。
「一国の王族とは思えないほど真っすぐで、純粋で、心根の美しいあの子が……悲しい思いをするのは嫌だわ」
視線を窓の外へ向けたまま、リンティアナは静かに言った。
イヴォナは婚約の件について何も言わなかった。思ったことは何でも口にするあの子が、人生で一番と言っても過言ではない大イベントについて何も触れないのは不自然だ。何か問題が起きている状況なのかもしれない。
それとなく宰相にもイヴォナの婚約について聞いてみたが、やや焦りながら「公表前なので……」と濁されるばかりだった。
(多分、王は既に把握してるんでしょうね……)
婚約相手の辺境伯が抱える問題も、その後ろで醜く蠢く黒幕も。
つい先ほどナディアから送られてきたばかりの追加の調査報告を頭の中で反芻し、リンティアナは重たい息を吐き出した。
「アル、手伝ってくれる?」
問いかける声には明確な怒りが滲んでいる。揺らめく七色の瞳をまっすぐに見つめ、アルトランテはしっかりと頷いて言った。
「勿論です。俺があなたのお願いを聞かなかったことなんてありますか?」
「え、割とあるけど」
「……そうですねぇ」
張り詰めた空気が僅かに緩んで、どちらからともなくクスクスと笑う。
ここぞというとき、リンティアナの本気の願いをアルトランテが断ったことはただの一度もない。
「じゃあ早速聞いてくれる? あのね……」
声を潜めて考えていることを耳打ちすれば、アルトランテは一瞬だけ嫌そうに眉を歪め、けれど最終的には「やれやれ」と言いたげに溜息を吐き、肩を竦めて頷いた。




