28. 出発、クナハ王国
皇宮庭園の薔薇が最も見頃を迎える頃、リンティアナは次の婿候補に会うべく動き出した。
目的地は隣国の一つ、クナハ王国。エリュシオンに接する三つの隣国のなかでは一番小さく、人口も少ない国だ。
国土のほとんどが険しい山岳地帯ということもあり、良質な温泉資源があるものの観光には不向き、更には起伏の多い地形のため牧畜や農業にも適さないという難しい土地柄だ。
主な産業は魔物から採れる魔宝石の加工。クナハは古くから魔物が多く住む土地、というよりも、魔物の巣窟だったところを開拓して人が住めるようにした国なのだ。
長年に渡り大小様々な部族が入り乱れ、小競り合いを続けていたが、十年ほど前に一つの国家として統合された経緯がある。
他にはない王政と議会制を融合させた新興国で、武力もさることながら人柄で選ばれた王の人望は厚く、その娘の王女はリンティアナの数少ない友人の一人でもある。
約八年前、建国の動乱がようやく落ち着いてきた頃に、リンティアナは一度クナハを訪れている。
当時十歳。体術の分野で伸び悩み、打開するためのヒントを求めて世界のあらゆる武術の情報を漁っていた頃だ。クナハ王の一族が継承しているという珍しい武術の話を聞き、気分転換も兼ねて訪国をした。
結果としてクナハの武術は大いに役立った。前世でいう合気道に近いのではないかとリンティアナは感じた。敵の力と正面から衝突せず、むしろその力を利用して受け流す戦い方は、どちらかといえば西洋寄りの真っ向勝負が主流のこの世界においては異質だ。
だが、決して頑強でも大柄でもないリンティアナの体格にはよく合っていた。新しい刺激を得たことが幸いしたのか、リンティアナはその後数ヶ月ほどでスランプを脱することになる。
更に、これはリンティアナが意図したわけではなかったのだが、結果としてクナハ王国の平定にも貢献することになった。
大国エリュシオンの皇女が王家と親交を持ったという話が広まれば、敵対するものほど敏感に『王家にはこれ以上ない後ろ盾がついた』と勝手に解釈してくれたのだ。
実際には武術を習っただけなのだが、リンティアナはただそこにいるだけで、一滴の血も流さずに隣国の土台を固めることに貢献した。あの過保護を絵に描いたような父皇帝から珍しく早めの訪国許可が降りたのは、そういう理由もあってのことだったのだろう。
「フォンゼル王子とイヴォナ王女はお元気ですかね」
リンティアナお気に入りの紅茶を注ぎながら、アルトランテが言う。
「そうだといいわ。通信魔法で魔王討伐の報告をした以来だから、ええと……やだ、もう四ヶ月も経ってるじゃない! 本当に時間って早いわ~」
「またそんな年寄りみたいなこと言って」
光陰矢の如しを実感するリンティアナに、冷静な突っ込みを入れるアルトランテ。
二人は今、空間魔法が施された馬車で山道を進んでいる。もっと正確に言うと、馬を外した馬車で浮遊しながら高速で飛行移動している。
傍から見れば異様な光景だが、きちんと目隠しの隠ぺい魔法もかけているので、いつぞやの庭師のように通行人の腰を抜かせてしまうことは無い。
「今回の訪問について、クナハ王は何と?」
「快諾してくれたわよ。あくまでお忍びだから、夜会とかは開かないようにお願いしたわ」
「夜会用の淑女は持ってきてませんもんね」
「私の淑女を着脱可能みたいに言わないでくれる?」
今回の訪国では、淑女の仮面は少しお休みだ。
大国の皇女としてではなく『幼馴染』として婿候補に会うほうが、互いに心証が良いのではないか。ザルツでの苦い経験から、リンティアナはそう分析していた。実際には問題点はそこではないのだが。
「着飾るとどうしても威圧感が倍増するじゃない? だから今回は動きやすい簡素なドレスだけにしたわ」
「多分そういうことじゃないと思いますけどね」
「そんなことより、この報告書が問題なのよ!」
「そんなことて」
ゴソゴソと分厚い報告書の束を出し、リンティアナは眉根を寄せた。例によって『お使い』が作成したものだ。
原作ヒロインの一人で元盗賊、スキル『盗人』を持つナディアは、今ではリンティアナ直属の諜報集団『お使い』のエースだ。リンティアナに並々ならぬ忠誠を誓い、リンティアナからの指令を唯一至上の喜びとしている。
仕事ぶりを褒めるたび、無口なナディアの青紫色の瞳が嬉しそうに輝く様を見ると、リンティアナは原作のシナリオを変えられて本当に良かったとしみじみ思うのだ。
そんなナディアがもたらしたクナハの調査報告は、予想外に酷いものだった。
建国から十年あまりが経ち、クナハ王家を筆頭に重鎮同士の結束が高まっているかと思いきや。一部の地域では真逆の現象が起きているようなのだ。
山岳地帯が多く平地が少ないこともあり、クナハでは全体的に家屋が小さく、華美な意匠よりも実用性が重視される傾向にある。それは王都も決して例外ではない。質実剛健を体現したような王都は簡素で慎ましく、けれど健やかな活気に満ち溢れている。
ところが近年、とある辺境伯領では異変が起きているらしい。
街には西側の隣国フォブリオール製の高価な輸入品が溢れ、領主邸はいつの間にか王城よりも大きく改築され、何とも豪奢な暮らしぶりなのだという。
それだけならば、まぁ良い。領が豊かになるのは悪いことではないし、貴族らしい煌びやかな暮らしを愛する領主もいるだろう。
だが、実際には領民の暮らしは豊かになるどころか年々厳しくなっているという実情、そして『この辺境伯領こそが近い将来クナハの王都になる』と、辺境伯に近しい者が実しやかに吹聴しているという話は聞き捨てならない。
ましてその年若い辺境伯当人が、リンティアナの友人でもある王女イヴォナの婚約者とあらば猶更だ。
「なぁんか、露骨にきな臭いわよね」
「はい。良からぬ思惑が透けて見えるようです」
ヴィド・モントシュタイン辺境伯。年は二十一歳。
もともと一帯を取り仕切っていた豪族の流れを汲むモントシュタイン辺境伯家の次男で、数年前に父である先代辺境伯と後継だった兄を亡くし、その座に着いた人物だ。
モントシュタイン領の民の暮らしぶりは、数年前に代替わりをするまでは何の問題も無かったそうだ。不運にも魔獣討伐の際に命を落としたという先代は清廉な人柄で、クナハ王からの信頼も厚く、忠臣と呼ばれていたようだ。
「この疑惑の新辺境伯、顔は良いのかしら」
「線が細く中性的で、かなりの美男子のようです」
「っか~! 出た出た! 顔だけクズ男の匂いがぷんぷんするわ!」
「淑女を脱ぎ過ぎです。もうちょっと頑張ってください」
年季の入ったオッサンのような言動に、流石にアルトランテが苦言を呈す。だがリンティアナは特に気にした様子もなく、膝に抱えた報告書へと視線を戻した。
件の領地では、たびたび夜盗が出るという。神出鬼没で辺境伯家の騎士団も手を焼いていて、いつも寸でのところで逃げられてしまうのだとか。
対魔物戦が主のクナハの騎士だけでは不十分だと、辺境伯の個人的なツテで、わざわざフォブリオールから傭兵団を招いているらしい。その費用のためにと税は上がり続ける一方で、厳しい暮らしを強いられている者が少なくない。
不満を持つ領民もいるようだが、先代辺境伯の統治がよほど良かったのだろう。まだ辺境伯家を信じたい者が多いようだ、と調査報告は締めくくられている。
リンティアナは小さく溜息を吐いた。
四ヶ月ほど前の通信魔法の際、イヴォナからは「婚約者が決まった」と聞いている。だが公には未だ何も発表されていない上に、どうにも歯切れの悪い話し方をしていたイヴォナの様子も気にかかる。
「……ひとまずは王都へ入りましょう。確認したいこともあるし」
「はい」
馬車もとい飛行車のスピードを一段上げて、リンティアナは報告書を仕舞った。
アルトランテが淹れた紅茶は冷め始めていたが、それでもその華やかな香りは、リンティアナの不安を随分と和らげてくれた。




