3. 三歳、転生把握
魔法大国エリュシオン。
正式名称はエリュシオン・デア・ラウレンティウム大帝国。この世界で最も歴史が長く、圧倒的な国土を誇る大国だ。
自然豊かで地に宿る魔力が多く、民たちは呼吸や食事で常に魔力を取り入れ続けているため、程度の差はあれど大多数が魔法を扱うことができる。他国から『生きてるだけで魔法師になれる国!』と羨望混じりに呼ばれる所以だ。
国を治めるエリュシオン皇家は代々桁違いの魔力を有し、歴代ほぼ全員が優秀な魔法師として貢献してきた。
その皇家の歴史のなかでも格別に高い魔力を有し、現皇帝の掌中の珠と言われる十二番目の子、それが第八皇女リンティアナ・エル・オパール・エリュシオンだ。
父である皇帝、実母の皇妃と四人の義母側妃、そして四人の兄と七人の姉から暑苦しいまでの溺愛を一身に受けて育った皇家の末っ子。
そんな彼女は、いわゆる異世界転生者だった。
三歳の誕生日を迎えたばかりの夏のある日、リンティアナは積み木で額を強打した衝撃で前世を思い出した。ついでに原作ならば十歳で発現するはずのスキル『魔法帝』を開花。
前世三十七年分の記憶と魔法知識が目まぐるしく脳内を駆け巡り、嵐のようなそれがようやく静まった頃、フッと頭に浮かんだ。
「あ、このままじゃ私、またクズ男のために死ぬ」と。
***
前世のリンティアナは、平凡を絵に描いたような女性だった。
一般的な家庭に生まれ、容姿も能力も至って平均的。人より秀でたものは何一つなく、両親は少し年の離れた兄にしか興味が無かったが、それなりにうまくやっていた。
ただ一つ少し、いやかなり問題だったのが、いわゆる『面食い』だったことだ。それも並大抵の面食いではない。『顔さえ良ければ他はどうでもいい』と本気で思うほどの、とんでもなく重度の面食い癖だったのだ。
更にそこに生来のオタク気質も相まって、二次元でよくある『悪人だけど仲間を大事にする』とか『悪人だけど愛した女だけは命がけで守る』とか、そういう人間性に難ありのイケメンが三度の飯より大好物という危険極まりない嗜好になってしまった。
無職だろうが浮気性だろうが暴力男だろうが、顔さえ良ければ許してしまう。そんな気質でまともな恋愛が出来るはずもない。知人には『クズ男ホイホイ』だなんて不名誉なあだ名まで付けられた。
案の定と言うべきか、前世のリンティアナは顔だけのクズ男に幾度となく振り回された。
十代最後の年には、働かない男を養うために副業を掛け持ちすることが普通になった。二十代ではいつのまにか借金の連帯保証人にされたり、浮気相手が自宅に乗り込んできて警察沙汰になったり、詐欺の片棒を担がされそうになったこともある。
幾ら面食いでもここまでされたら目が覚めそうなものなのだが、当時のリンティアナはクズ男のために働き詰めで、既にまともな思考が出来ない状態になっていた。
そうしてズルズルと三十代になり、とある小説をきっかけにようやく『現実世界における顔だけのクズ男は害悪』だと悟った時には、もう遅かった。
正気を取り戻し、当時付き合っていたとびきりのクズ男に別れを切り出したものの、相手は都合の良いATMだと思っていた女に反抗されたことが余程気に食わなかったのだろう。
逆上し、前世のリンティアナを汚い言葉で罵り、叩き、引き摺って、抵抗する彼女を車道に向かって突き飛ばした。運悪く、それはとても交通量の多い時間帯だった。
容姿の良さは、勿論、人間の大きな魅力の一つだ。だが決してそれが全てではない。相手の人間性に見ない振りをしてきた結果が、この理不尽な最期だった。
(やっぱり……クズ男が格好いいのは二次元までだわ……)
血に濡れたアスファルトに横たわりながら、救急車を呼ぶでもなく一目散に逃げていく男の背を眺め、前世のリンティアナは「次は絶対、顔だけじゃない人を好きになろう」と固く誓った。
***
あのときのアスファルトの無慈悲な硬さが肌に蘇って、思わず身震いをする。もう二度とあんな思いはしたくない。
(……そうよ。二度と顔だけ男のために死んだりなんかしない)
死に際に誓った思いが再び湧き上がる。
(今度こそ顔だけじゃない人を好きになりたい。そしてあわよくば、前世では出来なかった幸せな結婚がしたい!)
強い思いが胸の内で火を噴くようだ。
(そのためにも、まずは落ち着いて情報を整理しないと。多分ここは『あの小説』の世界よね。でも……)
眉間に皺を寄せながら、リンティアナは壁に嵌め込まれた豪奢な鏡を横目で見た。
二メートルはあろうかという大判のそれに映っているのは、積み木を手に座り込む小さな自身の姿。
柔らかなウェーブがかかったツヤツヤの黒髪に、透けるような白い肌。虹色に輝く特徴的な瞳。文句なしの美幼女がそこにいる。
(ッスゥー……)
リンティアナは現実から目を逸らすように瞳を閉じ、大きく息を吸い込んだ。そして小さな背をアルマジロのごとく丸め、心の中で盛大に叫んだ。
(ねぇ~~~! 無理なんですけど! 百歩譲って異世界転生は良いよ、正直かなり憧れてたから! でもなんで大っ嫌いな小説の、その中でも一番共感できなかった『この子』になんのぉ!?)
丸くなってワナワナと震えるリンティアナに何を思ったのか、侍女たちは慌てながら通信魔道具を使い、すぐに侍女長と医師らしき初老の男性が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「皇女殿下!」
「どうなさいましたか!?」
一瞬でリンティアナを取り囲む大人たち。医師は熱を測るための魔道具を丸まったリンティアナのあちこちにかざし、侍女長は絶えず声を掛けながらリンティアナの背をさすっている。
後ろに控える侍女たちも、水差しを持って来たり毛布を運んで来たりと忙しなく動き回っている。正直うるさい。
記憶を辿ることに集中したいリンティアナは、丸まったまま思わず叫んだ。
「ちょとまっちぇ! しぇいりちてゆから!」
ちょっと待って、整理してるから。
そう言ったつもりだったのが、何とも拙い発音だ。三歳の言語能力ってこんなに低かったっけ、とリンティアナは心の中で首を捻った。
「こ、皇女殿下が、お言葉を……!?」
「これまで発したことが無かったのに……!」
驚きと喜びが入り混じったような視線がリンティアナに降り注ぐ。
(え、そうだったの?)
リンティアナ自身も驚いた。パパとかママとかお決まりの単語ではなく、まさかの「ちょっと待って、整理してるから」が初めての言葉になるとは。
知っていたらもうちょっとやりようがあっただろうに、とリンティアナは若干の申し訳なさを感じた。
「まぁまぁ、なんてお可愛らしい御声でしょう……!」
侍女長が声を震わせながら言った。心なしか涙ぐんでいる。
どうやらリンティアナは話し始めるのが遅い子だったようだ。時々そういう子もいると、前世でも聞いたことがある。
皇女の側付きの面々は、きっと大層心配していたのだろう。なんだか猶更、記念すべき初めての言葉がこんなので申し訳なくなってしまう。
「あー、しぇ、せ、せいり、すゆから!」
サ行とラ行が言いにくいったらない。リンティアナは何とか言わんとしていることを周囲に伝えた。ところが、周りの大人たちは全員ポカンと間の抜けた顔をしている。
「せいり……もしかして、整理ですか?」
「もうそんな難しい言葉を!?」
(あっ、そうか。ついさっき初めて話した子が、整理なんて単語知ってるわけないか)
医師と侍女長は目を輝かせながら顔を見合わせ「天才では!?」と興奮している。
このままでは世紀の神童扱いをされてしまう。それも面倒くさいが、前世三十七年分の経験値を抱えたまま標準的な幼児の真似をするのは、もっと面倒くさい。
(うーん……ま、なるようになるでしょ!)
リンティアナは考えることを放棄した。今はそれよりも優先すべきことがあるからだ。
(やっぱ、ここってあの小説の世界だよね?)
皆の服装やら髪形、部屋の装飾などは中世ヨーロッパ風。その割には上下水道などのインフラが整っていそうなことや、日本語しか話せないはずなのに意思疎通が出来ること、そして魔法の存在。どれも転生ものには付き物の世界観だ。
更には積み木で頭を打った瞬間から、目に力を込めるだけでホログラムのような半透明のステータスが表示される。恐らくは鑑定魔法。これもまた異世界転生あるあるだろう。
試しに自身の小さな手を見つめてみる。
氏名:リンティアナ・エル・オパール・エリュシオン
年齢:三歳
種族/身分:人間/エリュシオン帝国第八皇女
所有スキル:魔法帝
どれもこれも、覚えがありすぎる。間違いない。ここは『あの小説』の世界だ。リンティアナは深く重い溜息を吐き、あまり思い出したくはない記憶を手繰り寄せた。




