2. 婚活開始
「あ~~~、疲れたっ!」
第八皇女リンティアナは、盛大に溜息を吐きながら言った。
柔らかなソファに倒れ込み、窮屈なヒールをぽいぽいと脱ぎ捨てる。従者と魔王以外には見られていないとはいえ、お行儀が悪い。
あの後、生まれたての小鹿のように震える勇者を丁重に追い出し、リンティアナは謁見の間から自身の住まいである第八皇女宮へと戻った。
広大なエリュシオン皇宮のなかでも端に位置する第八皇女宮は、謁見の間がある本宮からはかなり遠い。
美しく整えられた初春の庭園を眺めながら優雅に散歩……などと言っていられる距離ではない。だが、宮内の移動に魔法を使うことは、父皇帝により固く禁じられている。魔法師には魔法を正しく扱うための『体力と筋力』が不可欠だからだ。
ソファの横に跪き、放られたリンティアナのヒールを片方ずつ丁寧に拾い上げながら、従者アルトランテは忌々しげに言った。
「あの勇者、やはり娼館にツケがあったようですね」
アルトランテはだいぶ前から勇者と書いてクソ野郎と読むことにしているのだが、実際に会った今日は特に嫌悪感が強いらしい。吐き捨てるようにそう言って、小脇に抱えていたリンティアナ直属の諜報部隊『お使い』からの報告書を睨んだ。
「娼館って、ミアの?」
「はい。あの大聖女、じゃなくて大性女の」
「言い直さなくていいのよ」
今代の聖女ミア。
類まれなる美貌とスキル『聖女』を持って生まれた彼女は、色々あって今は国が認めた大娼館の主兼ナンバーワン嬢という、聖女として前代未聞の職に就いている。
百戦錬磨の圧倒的性剛、負けなしの夜の戦乙女、大聖女ならぬ大性女とは、全て彼女自身の自称だ。
「三日前から居続けだったそうです。散々遊んで支払いの段になったら『俺は勇者だから王家が払う』と言いやがったとか」
「絵に描いたようなクズね……。昨日ミアからそれっぽい客が来てるって連絡があったから、そうだろうとは思ってたけど。登城前に娼館だなんて思った以上のクズだったわ」
はぁ、と深い溜息を吐き、リンティアナはこめかみをぐりぐりと揉んだ。
勇者にはツケを払い終えるまでミアの娼館で下働きをさせ、その後は故郷の村へ送り返すことになっている。が、もう今すぐに強制送還したいくらいだ。出来るだけ遠くに追いやりたい。
【おい、本当にあんな奴が今代の勇者なのか?】
リンティアナの頭上でフワフワと浮く魔王ジスティリオールが、謁見の間で大人しくしていた褒美の菓子を頬張りながら聞いた。
今は少年の姿をしているが、これはリンティアナに魔力を大幅に取り上げられているからであって、本来の彼は二メートルを超す巨躯の持ち主だ。筋肉隆々の巨漢がファンシーなクッキー缶を抱えて頬を膨らませているのだと思うと、なかなかにシュールな絵面だ。
「少なくとも勇者のスキルを持ってるのは事実よ、確認したもの」
謁見の間で勇者を一目見た瞬間に、リンティアナは鑑定魔法を使った。
その結果、彼が生まれ持ったスキルは『勇者』と『魅了』であり、勇者として有用な鍛錬はほとんどしていない代わりに、魅了の熟練度はやけに高いことが分かった。故郷の村のみならず、出会う人間全てにその能力を使ってきたのだろう。
スキルとは、この世界の神からのギフトだ。
血筋で出やすいスキルの傾向はあれど、基本はランダム。『聖女』のスキルを授かる者が清純であるとは限らないし、同じく『勇者』のスキルを持つ者が勇気ある善人だとは限らない。そして全てのスキルは、相応しい鍛錬をしなければ真価を発揮しない。
過去にもスキル『勇者』を持つ者が勇者たり得なかったことはあった。それ自体は何も珍しいことではない。だが困ったことに、この世界の災厄である魔王は、スキル『勇者』を持つ者にしか倒せないのだ。
世界中の生き物が生み出す負の感情の塊である魔王は、勇者の身の内から生まれ出る『勇者の剣』によってのみ、その身を霧散させる。
たとえその他の攻撃方法でどれだけ深い傷を与えようとも、勇者の剣なくして魔王を倒すことは決してできない。
魔王ジスティリオールとの七日七晩に渡る壮絶な戦いの果てに、リンティアナはそれを思い知った。そして気付いたのだ。倒せないのならテイムしてしまえば良い、と。
まるで『パンがないならお菓子を食べれば良い』とでも言うような荒唐無稽な話ではあるが、幼い頃から並々ならぬ研鑽を積んだリンティアナには、その力量があった。
結果として魔王のテイムに成功し、大災厄を防げたわけだが。もしも自分に力が無かったなら、あの顔だけは良いクズ男(勇者)を頼らねばならない事態になっていたのかと思うと……。
リンティアナは心の底からゾッとした。
悪い想像を追い出すように頭を振る。その様子を見ていたアルトランテが、腑に落ちないと言いたげな顔で聞いた。
「確かにあの勇者、顔だけは整ってましたが……本当にあんな男に惚れたんですか? 『原作』のあなたは」
「…………残念ながら、そうなのよ」
リンティアナは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「でも、これでようやく原作の犬死にフラグをへし折れたわ。前世を思い出してから苦節十五年、本当に長かった……!」
万感の想いを載せ、両拳をグッと握る。リンティアナの細い腕がわなわなと歓喜に震え、溢れ出た魔力が髪の先で爆ぜる。
「さあ、始めるわよ! 今度こそ幸せになるための婚活を!!」
虹色の瞳と魔力を煌めかせ、リンティアナは右拳を天高く突き上げた。
クッキー缶を抱えた魔王もノリで一緒に拳を上げながら、苦虫を百匹ほど噛み潰したような渋面のアルトランテに忍び寄り、こそりと耳打ちをする。
【おい、良いのか? コンカツとやら、つまりは番探しだろう? まさかこやつ、お前の気持ちに気付いとらんのか】
「……リン様の鈍感さを舐めるなよ」
【フッ、そうかそうか。難儀じゃのう】
ニヨニヨと揶揄うような笑みを浮かべる魔王に向け、第八皇女専属従者アルトランテ・ダンテは、深く重い溜息を吐いた。




